goo blog サービス終了のお知らせ 

ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

兵庫県淡路市、志筑「引摂寺の大銀杏」です!!

2024-06-18 06:30:50 | 巨樹・大木
 淡路市役所は人工島の様な場所に在ります、すぐ西南西側の約1.5kmのところに引摂寺が在ります

 淡路市役所前の市役所通りを北西へ、約500mの「大谷」信号を左(南西)へ、国道28号線です

 約1.2kmの「志筑中央東」信号を右(北西)へ「中橋筋」という名前の住宅と商店の立ち並ぶ通りです

 約200mで道路左側に「引摂寺」の案内板が有りますので右(北東)へ入ると

 突き当りが駐車スペースとなっています


 南東向きに引摂寺山門です

 高野山真言宗 茲光山 慶雲院 引摂寺の寺号標です、淡路四国八十八ケ所第六十七番霊場です

 *淡路四国八十八ケ所は弘法大師が修行した四国八十八ケ所霊場と同じ様に、真言宗寺院が淡路島内に定めた霊場です
 *また淡路島西国三十三カ所霊場というのもあって、かぶる寺院も多く、それぞれに寺巡りが楽しめます

 山門を入ると境内広場の真ん中に、鎌倉時代後期の嘉元2年(1304)銘の「十三重塔」です

 石仏が並びます

 五輪塔と宝篋印塔です

 本堂です
 
 本堂東側に目的のイチョウが隠れています

 北側から見上げました、目通り幹囲5.3m、樹高30m、樹齢500年の巨木です

 奥へ離れて見ました

 では、次へ行きましょう


 2024・6・6・12・40
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵庫県淡路市、多賀「伊弉諾神宮の夫婦大楠」(県指定)です!!

2024-06-17 18:30:20 | 巨樹・大木
 それでは伊弉諾神社の木々を見て行きましょう

 多賀地区は、淡路市役所の北西約6kmのところ

 淡路市役所前の市役所通りを北西へ進みます、国道28号線との交差点「大谷」信号を更に北西へ、県道66号線です

 道成に約3.1kmの「中田北」信号を右(北西)へ、又約3.1kmの信号を左(南西)へ

 約500mの「一宮中学校前」信号を右(北西)へ、約200mで

 伊弉諾神社参道が南向きに信号の所に出ています

 信号を右に入ると神社駐車場ですので車を止めさせて頂きました

 伊弉諾神宮の社號標です

 太鼓橋を渡ります

 手水舎です

 神門です

 境内右手に昭和天皇お手植えの楠です

 標柱です

 昭和天皇お手植えの楠の東側に目的の夫婦クスです

 南側から
 
 南東側から、根元には祠があります、2本のクスノキが合体しています

 説明書きです
   夫婦大楠
 伊弉諾神宮の御祭神は伊弉諾大神伊弉冉大神で夫婦の正道の掟てを定められた皇租の大神様です。
 元は2本の「楠」がいつしか根を合わせて一株に成長したもので、御神霊が宿り給う御神木と信仰されており、淡路の古地誌にも「連理の楠」と記されています。
 岩楠神社には蛭子大神を祀り、夫婦円満、良縁縁結び、子授け、子育ての霊験あらたかと崇敬されています。

 説明版です
   県指定文化財 伊弉諾神宮の夫婦クス
     指定年月日 昭和48年3月9日
     所有者・管理者 伊弉諾神宮
 根廻り12.40m、目通り、幹囲8.00m、幹は地上2.25mで二つの支幹に分かれ、それぞれの幹囲は、5.35mと3.75mである。
 一方の支幹の地上7mの部分と他方の地上6mの部分で再び分岐している。
 樹高約30m、枝張りは南へ約16m、北へ約12mある。
 樹形は一部茎葉の枯損によって、外環上劣るが、樹勢は全体としてまだ旺盛である。
 樹齢は約900年といわれている。
 クスノキは兵庫県の県樹であり、県指定の伊丹市法巌寺、西宮市海清寺および川西市小戸神社などの大クスとともに貴重な文化財として保存されている。    
     平成7年2月   兵庫県教育委員会


 東側から

 北側から

 西側から

 夫婦大楠の東側の淡路祖霊社前二もクスノキの古木です


 放生池北側にソテツの大木です

 では、次へ行きましょう

 2024・6・6・12・10
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵庫県淡路市、多賀「伊弉諾神宮」です!!

2024-06-17 06:53:15 | 文化財・寺社
多賀地区は、淡路市役所の北西約6kmのところ

 淡路市役所前の市役所通りを北西へ進みます、国道28号線との交差点「大谷」信号を更に北西へ、県道66号線です

 道成に約3.1kmの「中田北」信号を右(北西)へ、又約3.1kmの信号を左(南西)へ

 約500mの「一宮中学校前」信号を右(北西)へ、約200mで

 伊弉諾神社参道が南向きに信号の所に出ています

 信号を右に入ると神社駐車場ですので車を止めさせて頂きました

 伊弉諾神宮の社號標です

 日本遺産「国生みの島・淡路」の標柱です

 淡路島日本遺産文化財ガイドです
   国生みに始まるすべての神功を遂げられた
     伊弉諾神宮
 国生みの伝承に登場する伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのもこと)を祀る日本最古の宮です。
 境内は国生みに始まるすべての神功を遂げた伊弉諾尊の神宅の旧跡と伝えられ、神々しい趣で参拝者を迎えてくれます。
 平成16年(2004)には、平安から鎌倉期のものと思われる伊弉冉尊を現したご神像9躯が新たに発見されました。
 ●「古事記」の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」~古代国家を支えた海人の営み~」が、平成28年度の「日本遺産」に認定されました。
 ●「日本遺産」とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーを文化庁が認定し、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群の総合的な活用を支援する取り組みです。

 一ノ鳥居です

 さざれ石です

 参道を進みます

 参道左手に日時計です


 説明石碑です
   ひのわかみやと陽の道しるべ
 伊弉諾神宮の神域は、日本書記に「伊弉諾尊功既畢霊運當遷是以構幽宮於淡路之洲寂然長陰者」
 古事記伊勢本に「故其伊邪那岐大御神者淡路之多賀也」と記される神跡で、伊弉諾大神が御神功を果され、淡路の多賀に幽宮を構築して餘生を過ごされた故地であり、北緯34度27分23秒の緯度上にある。
 當神宮の創祀は神代に遡り、伊弉諾尊の宮居跡に営まれた神稜を起源とする最古の神社である。
 また日本書記に「仍留宅於日之少宮 矣少宮此云 倭柯美野」の記述があり、これは伊弉諾尊の太陽神としての神格を稱へ、御子神である天照皇大御神の差昇る朝日の神格と対比する日之少宮として、御父神の入り日(夕日)の神格を表現している。
 因みに全国神社の本宗と仰ぐ伊勢の神宮(皇大神宮)はこの神域の同緯度上に鎮座し、更にその両宮を結んだ中間點に最古の都「飛鳥宮藤原京」が営都されているのである。
 専門家の協力を得て當地からの太陽軌道の極致のあたる方位を計測すると、夏至、冬至、春秋仲日の日出と日歿の地に神縁の深い神々が鎮座していることを次の通りに確認することができた。
 緯度線より北への角度29度30分にあたる夏至の日出は信州の諏訪湖(諏訪大社)日歿は出雲大社日御碕神社への線上となる。
 春分秋分は伊勢の神宮から昇り、海神神社(對馬国)に沈む、南への角度28度30分にあたる冬至の日の出は熊野那智大社(那智の大瀧)日歿は天孫降臨伝承の高千穂峰(高千穂神社・天岩戸神社)となるのである。
 これらは国生み伝承の淡路島が、神々の坐します大八洲国の中核の島で、祇に天と地を結ぶ能きが、太古から脈々と生き続けている「神の島」だということを物語っているのではないだろうか、神代から受継ぐ千古の歴史の尊さや、太古の浪慢と祖先の叡智とをこの「陽の道しるべ」で宝感していただければ幸いである。
    平成19丁亥年6月吉日    宮司撰

 説明版です
    伊弉諾神宮  
 御祭神 伊弉諾大神 伊弉冉大神
 御社格 延喜の制名神大社 阿波国一ノ宮 元官幣大社
 御由緒 古事記に故其伊邪那岐大神は淡路の多賀になも坐すなり
     日本書記に伊弉諾尊・中略・是を以て幽宮(かくりのみや)で、淡路の洲につくり静かに長く隠りましきとあり、淡路の島は二柱の大神が一番初めに御開拓になった地であり、此の多賀は、伊弉諾大神が国土経営の神業を了えられた後お鎮まり遊ばされた御終焉の地で大神の御陵がしのまま神社として祀られるようになった我が国最古の神社である。
 御神徳
  延寿の神 伊弉諾大神が夜見ノ国の境にお出向かれた時「我は一日に1500の産屋を建てむ」と仰せられことにより、古来命を司どられる大神として寿命乞の信仰が厚い。
  縁結びの神 御祭神二柱の大神が国土御経営のため、天降られ淡路の島でお建てになった宮殿のお柱を巡り、始めて御夫婦の契りを結ばれ多くの御子神をお産みになった故事にあやかる縁結びの神としての崇敬が深い。
 御祭典 例大祭 4月23日摂社浜之宮に神輿渡御の神幸式斎行
     粥占祭 1月15日前夕より古式による徹宵の神事奉仕

 太鼓橋を渡ります

 手水舎です

 神門です

 拝殿です


 幣殿です


 本殿です

 拝殿東側にある「夫婦大楠」の北西側に岩楠神社です

 献馬像です

 境内には沢山の境内社が並びます、まずは「左右神社」です・・・伊弉諾大神の契で左目と右目から出現された貴神を祀る。
 本殿東の伊勢皇大神宮の方向に位置し眼病治癒の信仰があります。

 住吉神社です

 根神社と竈神社の二柱が祀られています

 境内東側の淡路祖霊社です

 記念館由来です・・・祖霊社には島内出身の数多い戦歿者と、先覚者を合祀する。今般終戦30周年を期し、ここに記念館を造営、御祭神の御名を奉掲し、ならびに遺品を蒐集、永く宝蔵するものである。われらは茲に先達の遺徳を偲び偉業を讃え後を継ぐ世代への亀鑑とし、永遠の平和と国運の隆昌を祈念する者である。  淡路祖霊社奉賛会

 樋口李一郎中将之像です

 説明書きです
 樋口李一郎(𦾔姓奥濱)陸軍中将は、明治21年淡路島三原郡阿萬村(現・南あわじ市)に回船業を営む奥濱久八氏の長男として生る。
 三原小学校、丹波篠山の鳳鳴義塾、大阪陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校を経て参謀本部員となり情報将校として世界に雄飛せり。
 在ポーランド公使館附武官として世界情勢の深奥を学び、昭和12年ドイツ視察を経て、満州国ハルピン特務機關長となり、ソ連との国境附近のオトポールに到来せるユダヤ難民救済の道を開けり。
 昭和13年、参謀本部第二部長(情報擔當)。昭和17年、北部軍司令官として札幌に赴任。昭和18年、北方軍司令官としてアッツ・キスカ両島の作戦を指揮せり。
 昭和20年8月、北海道占領を目指したソ連軍が、樺太・千島列島で侵掠を開始するや、第五方面軍司令官として断固反撃を指示し此を撃退、日本分割を阻止せり。
 昭和45年10月11日、東京歿享年82。
    令和4年10月11日   樋口李一郎顕彰会 建立

 日本が、ベトナムや朝鮮のように分割されるのを防いでくれた人だったのですね

 長く成りましたので続きにさせて頂きます、続きは境内の木々を見て行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兵庫県淡路市、久野々「常隆寺のスダジイとアカガシ」です!!

2024-06-16 18:35:26 | 巨樹・大木
 今回からは2024年6月6日取材分です

 久しぶりの淡路島訪問です、前回は明石港から淡路ジェノバライン(渡し舟)で、明石海峡大橋の下を通って行きましたが、今回は、埼玉から車で向かいましたので、明石海峡大橋を渡りましたよ

 久野々地区は、淡路市役所の北北東約6kmのところですが、今回は神戸淡路鳴門自動車道の東浦インターチェンジから説明させて頂きます

 常隆寺があるのは伊勢ノ森(標高515.1m)の頂上東側直下に有ります、因みに淡路島の最高峰は南あわじ市にある諭鶴羽山(標高607.9m)です

 明石海峡大橋を渡って、淡路ICの次が東浦ICを出て、取り付け道路を下り、県道460号線を東浦の「道の駅東浦ターミナルパーク」前の「浦」信号に出ました、ここまでインターチェンジから約1.5kmです

 浦信号を右(南)へ、国道28号線です、約1.4kmの「久留麻」信号を右(西)へ、県道71号線で坂道を上って行きます

 約3.5kmで左手に河内ダムが見えまて来ます

 更に約3.4kmで「常隆寺」の案内板が有ります

 ここからは林道と言ってよい感じの狭い道になりますが、舗装されています

 約3kmで、常隆寺庫裡の手前の駐車場に車を止める事が出来ました

 庫裡側の境内入口に大きな自然石に「国立公園 常隆寺」と在ります

 縁起説明版です
    常隆寺御縁起
 抑も当山は人皇45代聖武天皇の世(724~748年)摂津国摩耶山で在錫中の行基菩薩が西方の方角に、紫雲靆き、光明の放っているのを望見していた。また淡路机の海浜(冨島)に船が滞り、或は漁獲も止まると聞いていた、それで淡路へと巡錫に来られました。
 当山に登りて見ると栗の大木があり、それより光明が放たれているのを見て、菩薩は秘法を修して曰く「吾れ此の大木を以って十一面千手観世音菩薩を刻し安置し奉らん、希くば当来諸人の迷夢を驚かし、天下の富饒を謀らせ給え」と祈祷された。それにより当山を栗村山と号するようになりました。
 また当山は、霊鷲山(印度で釈迦が修行した聖地)にも等しい、尊緑深い霊山でもあるといわれています。
 桓武天皇の世、延暦4年(785)早良親王が皇位継承紛争の過中に王子でそのため廃太子となり淡路に配流される途中薨去され、御遺骸のまま流されました。
 当時、都では、天変地異、悪疫蔓延、これらは、親王の霊魂の祟りであるとして、その霊を鎮めるため、延暦19年7月(800年)崇道天皇と追号、また延暦24年正月24日(805年)桓武天皇は勅使を当山に派遣して、勅願寺とし、七堂伽藍を建立、本尊を安置し佛事信心を怠らず、故に当山は益々隆盛いたしました。それから700年余後永正年中(1058年)戦国時代の兵火により堂塔僧坊残らず焼失したが、御本尊十一面千手観世音菩薩は焼失からまもられたのであります。
 これもひとえに尊像の大慈大悲の妙力絶大なる所以で世の人々一度この尊像に合掌礼拝すれば現世の悪事災難をのがれ、未来には佛果を得て、願望成就すること必定であります。
 瀬戸内海国立公園 桓武天皇勅願所 早良親王霊安寺 淡路西国三十一番霊場
 栗村山 常隆寺


 山門は少し南側です

 山門は鐘楼兼仁王門です

 参道は東側に続いているようです

 山門を境内側から

 銅鍾です

 歌碑が有ります「平和の鐘の音 かねついて 山 一めぐりする」でしょうか

 手水舎です

 本堂です

 本堂の南側に鳥居が在ります

 伊勢ノ森への登山口になっているようです

 更に南側には大師堂です

 大師堂前から背後の斜面にスダジイの大木と奥に巨木です

 北側上の方にはアカガシの巨木も見えました

 鳥居から登ってみます
 
 左手にスダジイです、目通り幹囲5.5mの巨木です

 斜面に付けられた階段を上って北東側からアカガシです

 戻って東側から見上ましたが幹には焦げ跡が見られます

 南東側から見ましたが解かりづらかったかな

 スダジイを西側から

 北西側から見ました

 木の根を踏んで、更に奥へ進んでみましょう

 杉やスダジイ・カシの林です

 山頂部に「魚霊供養塔」です、供養塔の後方にはアンテナ設備の建物が建っている「伊勢の森」の山頂部のようです

 山頂周辺にもスダジイの大木が見受けられました

 では、次へ行きましょう

 

 2024・6・6・13・10
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県糸魚川市、親不知海岸で虹を見ました!!

2024-06-16 06:48:00 | ドライブ
 昨夜からの強い雨風のため、道の駅親不知ピアパークの、北陸自動車道の橋脚の間で車中泊させて頂いておりました

 夜が明けて太陽が射し始めると


 二重に虹です

 久しぶりに見た気がしました

 こんなとんでもない風が吹く中でも、海に入ってヒスイを探す人たちがいました

 では、次へ行きましょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県朝日村、古見御馬越「八幡社のカツラ」(村指定)です!!

2024-06-15 18:30:00 | 巨樹・大木
 古見御馬越地区は、朝日村役場の南西約4kmのところです

 現在の住所表示では村役場を含む広い地区が「古見+番地」となっています

 朝日村役場北側の県道291号線を西南西へ向かいます

 約1.6kmでヘルシーフラワーロードに合流してさらに南西へ、鎖川左岸側に沿うように進むと

 約2.6kmの「鉢盛山⇒12km」の案内板を右(北)へ入って坂道を登ります

 約400mで道路左に、幟の支柱石が見えます、右手に参道が伸びて防獣柵の先が八幡社です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 防獣柵の扉を開けて

 参道を進みます

 南東向きに鳥居が見えてきました

 手水です、綺麗な水が流れています

 参道石段を上ると拝殿?でしょうか

 建物を避けて南側から境内です

 社殿と後方に聳える目的のカツラを見ました

 拝殿です

 本殿覆い屋の中の本殿を覗くことが出来ました

 本殿覆い屋の東側にカツラの根元が立ち上がっています

 「村天然記念物 八幡社のカツラ」の標柱です

 拝殿脇に上がって来ました

 東側から見上げました

 説明書きです



 北東側から
 
 北側から見上げました

 では、次へ行きましょう


 2024・5・17・12・00
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜県飛騨市、神岡町吉田「常蓮寺のイチョウ」(市指定)です!!

2024-06-15 06:37:00 | 巨樹・大木
神岡町吉田地区は、飛騨市役所の北東約12km、飛騨市役所神岡振興事務所の南南西約3kmのところ

 飛騨市役所神岡振興事務所の北側の県道477号線を西へ、西里橋で高原川を渡った「西里本町」信号を左(南)へ

 約200mで斜め右(南西)へ、まだまだ県道477号線です

 約1.4kmで「吉田⇒」の標識に従て一時停止を右(南西)へ

 約2.1kmで「古川(杉越トンネル)⇒」の標識に従て一時停止を右(西)へ神岡カントリーロードを進みます

 約600mで南東向きの浄蓮寺参道が神岡カントリーロードに出ています

 「聖徳太子尊像安置霊場」の自然石の碑です

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道を進みましょう

 ここからが続きです

 参道石段側からでは、写真に移しきれませんね~

 境内内側から山門です

 鐘楼です

 手水舎です

 本堂です

 説明版です
   飛騨市指定史跡
     願智坊廟 
       昭和50年7月9日指定
 常蓮寺はもと天台宗にて竹林山華蔵寺といった。
 本願寺3世覚如上人の遺弟覚淳がこの地へきて、浄土真宗の宗旨を盛んに広めたことに覚如上人は大いに喜んで、祖師行脚の御影と執持鈔を授け願智坊の号を贈った。ときに正和年中(1312年)の頃である。
 廟所は鎌倉時代の末期又は吉野、室町時代に造営されたとみられる。
 江戸時代末までは天をつきまでの大きな松があったが落雷のため今はその残りしか見られない。
 昭和50年荒廃見るに忍びず整備された。
     平成24年1月   飛騨市教育委員会

 太子踊の説明版です
   岐阜県重要無形民俗文化財
     太子踊
       昭和52年6月24日指定
 例年7月24日常蓮寺で聖徳太子像が御開帳されるが、そのとき境内で繰り広げられるのが、この太子踊である。
 太子像は覚永のころ一時越中八尾の聞名寺に移されていたが、硫黄岳の噴火などの天変地変に郷民は霊像を移したがためと、時の領主に奉還をお願いしたところ還されることになり、太子像・奉持の一行が23日夜、漆山に宿泊中、常蓮寺の桜が光明さん然と輝き、喜び勇んだ村人は境内に集まり夜を徹して踊り明かしたといわれる。
 以来300年以上も踊り伝えられてきたが、御開帳のとき仏の前で感謝の踊りを捧げること、見せるためにわざと振り付けたところがないことに特色がある。
    平成24年1月     飛騨市教育委員会

 本堂前東側には文化財の石碑が並びます

 山門西側の御堂の中には「太子桜」の幹が納められています

 次世代の桜が植えられています

 本堂左手(西側)にイチョウの大木です

 南東側から、乳柱(気根)が沢山出ています

 「飛騨市指定(天然記念物)常蓮寺のイチョウ」の標柱です

 目通り3.9mの数字以上の大木さに見えるのは多くの乳柱(気根)が出ているせいでしょうか

 北側から

 境内下には「太子水」の湧水です、そばの石碑には「太子みず 呑んで声よし 音頭とり」とあります

 「浄土真宗 本願寺派 龍洞山 常蓮寺」の新し寺号標です

 西側の駐車場前の道路から境内を見ました

 では、次へ行きましょう

 
 2024・5・16・15・30
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜県飛騨市、神岡町吉田「常蓮寺のスギ」(県指定)です!!

2024-06-14 18:36:00 | 巨樹・大木
 神岡町吉田地区は、飛騨市役所の北東約12km、飛騨市役所神岡振興事務所の南南西約3kmのところ

 飛騨市役所神岡振興事務所の北側の県道477号線を西へ、西里橋で高原川を渡った「西里本町」信号を左(南)へ

 約200mで斜め右(南西)へ、まだまだ県道477号線です

 約1.4kmで「吉田⇒」の標識に従て一時停止を右(南西)へ

 約2.1kmで「古川(杉越トンネル)⇒」の標識に従て一時停止を右(西)へ神岡カントリーロードを進みます

 約600mで南東向きの浄蓮寺参道が神岡カントリーロードに出ています

 「聖徳太子尊像安置霊場」の自然石の碑です

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 海抜513mの標柱が建っています

 参道を進みましょう

 石段が見えて来ます

 参道石段左に目的のスギです

 東側から見上げました

 「岐阜県天然記念物 常蓮寺のスギ」の標柱です

 南東側から、目通り幹囲6.7mの巨木です

 南側から

 南西側から

 参道石段に戻って北東側から

 石段を上って北側から見ました

 参道石段を更に登ってから見ました

 参道石段の上に山門が見えて来ます

 山門の東側には鐘楼です

 本堂です

 長く成りそうなので続きとさせて頂きます


 2024・5・16・15・20

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜県高山市、上宝町見座「玉水神社の杉」(市指定)です!!

2024-06-14 06:51:00 | 巨樹・大木
 上宝町見座地区は、高山市役所の北東約16kmkmのところ

 高山市役所上宝支所の北東約1kmのところですが河岸段丘斜面を下って行きますので約3kmの距離となります

 高山市役所上宝支所東側の県道76号国府見座線を北東へ河岸段丘面を進み、坂道を下って行きます

 約1.1kmで左に大きくカーブすると右手に「栗原神社のスギ」を見て、更に段丘面を下って行きます

 右へ大きなカーブを過ぎて約1.8km下って来ました、横断歩道の先を右(南東)へ入ると


 見上げる位置に水玉神社境内です

 正面の地蔵堂と観音堂が一緒になった建物ですの前の道路に車を止めさせて頂きました

 軒下の「地蔵堂」と「観音堂」の額です

 境内には供養塔です

 右手(北西)側に南東向きで玉水神社です


 参道入り口の水路はまるで滝のように水が流れています

 社號標です

 手水舎です

 拝殿です

 境内左手(西側)の石垣の上に愛宕社です

 水玉天満宮です

 目的のスギは、本殿北側に在りますので、境内から下の道路に戻って、社務所の下を潜るように北側の道路を進みます

 本殿覆い屋の脇に目的のスギです

 北東側から

 説明版です
   高山市指定天然記念物
     水玉神社のスギ
   指定年月日 昭和49年7月3日
   所在地   上宝町見座
   所有者・管理者 水玉神社
 神社境内の本殿裏の大変狭い場所にあり、胸高周囲5.0m、樹高49mの巨木で、地上6mあたりより二又にわかれて径・樹高ともほぼ同じ形状をしている。
 1本は途中より枯れがはじまり弱ってきているが、もう1本の樹勢は盛んである。
 以前ここは稲荷大明神のあった跡地でその境内の杉が残されたものである。

 根元から見上げました

 北側から見ました

 では、次へ行きましょう

 
 2024・5・16・14・30
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜県高山市、上宝町宮原「栗原神社の杉」(市指定)です!!

2024-06-13 18:35:00 | 巨樹・大木
 上宝町宮原地区は、高山市役所の北東約16km、高山市役所上宝支所のすぐ東側約1kmの地区です

 高山市役所上宝支所東側の県道76号国府見座線を北東へ河岸段丘面を進み、坂道を下って行きます

 大きく左にカーブした所に「奥飛騨温泉郷⇒16km」の標識の先に「宮原バス停」が在ります 

 右(東)へ入ると

 南東向きの栗原神社参道入口です

 戻って西側の宮原バス停の広場に車を止めさせて頂きました

 栗原神社の社號標です

 左側には郷社の石碑です

 手水舎です

 祓戸です

 境内社です

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 本殿東側に目的のスギです

 東側から

 説明版です
   高山市指定天然記念物
     栗原神社のスギ
   指定年月日 昭和49年7月3日
   所在地   上宝町宮原
   所有者・管理者 栗原神社
 宮原栗原神社境内にあり、古くから地元の御神木としてあがめられてきた。
 見座・宮原・在家と続く河岸段丘の中間地形の中央部に位置し、本殿・拝殿・社務所・倉庫の間にスギ・サクラ等二十数本が育成し社叢林を形成している中で一際そそり立つ姿は威厳がある。
 主幹より大枝4本いずれも枝分かれしてのち垂直に育成し、副樹幹的な役割をしている。
 枝葉は大きく四方に広がり均整のとれた樹冠をなしている。
 目通り6.2m・根元周囲9.7m・樹高47・5m・枝下高9mで、樹齢約400年と推定される。

 もう一枚には、落雷火災について記されています
   栗原神社大杉の一部伐採について
 令和5年(2023)8月20日 午後5時41分 落雷により大杉の火災が発生した。
 火災の発生後の懸命の消火活動により約24時間燃え続けた後翼21日の夕方に鎮火に至った。
 しかしこの状態では秋の台風の時期、冬の積雪などにより本殿建物に被害を及ぼすことが懸念された為、氏子による協議の結果、損傷した部分を一部伐採し更に残り部分の延命処置を行うことで、今後に於いても高山市指定の天然記念物として保存して行くことにした。
    令和5年9月  栗原神社氏子総代

 北東側から、頂部が焼けています

 北側から、頂上の枝は枯れたまま残っています

 *幹の内部も燃えているようですので、今後も天然記念物として保護して行ってもらえる事を望みます

 では、次へ行きましょう


 2024・5・16・14・10
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜県高山市、奥飛騨温泉郷村上「村上神社の杉」(市指定)です!!

2024-06-13 06:34:00 | 巨樹・大木
 奥飛騨温泉郷村上地区は、高山市役所の約km、高山市役所 上宝支所の東南東約16kmのところ

 高山市役所上宝支所奥飛騨市民サービスコーナーのある所です

 国道471号線沿いの「Aコープ 奥ひだ店」の駐車場に車を止めさせて頂きました

 Aコープ 奥ひだ店の北側に村上神社が南向きに鎮座します

 村上神社の社號標です

 手水舎です

 手水舎脇に目的のスギです

 説明版です
   高山市指定天然記念物
     村上神社のスギ
   指定年月日  昭和49年7月3日
   所在地    奥飛騨温泉郷村上29番地
   所有者・管理者 村上神社
 本殿・手洗場・灯籠・狛犬等に囲まれた神社境内のほぼ中央にある。
 樹勢は盛んで、枝葉を大きく四方に広げ比較的均整のとれた樹冠をなしている。
 目通りは5.55mで、樹高は37.1m、樹齢は約600年といわれている。

 南側から

 南西側から、注連縄が巻かれた御神木です

 北西側から

 東側参道から見ました

 拝殿です

 説明版です
   村上神社の由来
 鎮座地 福知字山サキ146番地1
 銀弊社(旧社格 村社)
 1、祭神 村上天皇・長慶天皇(後の寛成親王)・天照皇大神・伊邪那美命・大山祇神・伊邪那岐命・菊理姫命・南方刀美命・伊須流岐彦命・奥津彦神・奥津姫神・家津御子神・速玉之男神・姫神・熊野久須美神・武甕槌神・経津主神・天児屋根命
 1、由緒 創立年代は不詳である。
    古老に伝える所によると、弘和年間(1381~1383)
    当地の住人、今見右ェ門の祖先今宮氏が住民と共に高原川河畔の丸山(みかど山)に神社を創建し祖霊村上天皇を御祭神と仰ぎ奉斎した。
    奥宮に設けられている奥津城は、五輪の塔らしきもの1基、燈籠一対があるが「貴人の塔」と言い伝えて崇られてきた。
    当神社はまた「寛成親王・(長慶天皇)」の御廟であるとの古文書も蔵し、御祭神として奉祀されているが、いつころのものなのか詳らかでない。
 1、元禄 7年(1694)検地境内除地2反5畝歩
 1、明治40年(1907)4月30日 12集落の12社を合社し、御祭神を合祀した。
 1、明治41年(1908)2月26日、神撰弊皇料共進神社及び会計規定適用神社に指定された。
 1、昭和33年(1958)1月30日、銀弊社に指定された。
 1、昭和55年(1980)8月30日、平湯神明神社を分祀する。
 1、宝物 鶏芸打(県・市指定重要文化財)・十一面観音像(円空作・市指定文化財)・古銭(銀)・江馬公文書・鰐口1個・鑑1具・神像9躯(木造)・古記録・村上天皇血脈1通(元禄元年(1559)23回忌)・村上御本地(写1通)・御陵墓記・長慶天皇記扁額
 1.祭祀 例祭 5月10日 重要文化財の鶏芸打(福地)が奉納される。秋例祭 11月7日。
       令和2年7月吉日書 

 本殿です

 宝篋印塔が並ぶのは「寛成親王(長慶天皇)御陵」です

 境内東端には神馬殿です

 すぐ北側には蕃隆塔です

 説明版です
   播隆塔
 文政6年(1823年)、迦多賀嶽(笠ヶ岳)を再興した播隆は、翌7年登拝道に一里塚を安置しつつ、吹田屋弥三朗の寄進する阿弥陀仏銅像を奉持して実に66人の集団登拝を行なった。
 播隆はその後、槍ヶ岳を開山するが、その業績は山岳史上に刻まれた一大偉業と賞されている。
 笠ヶ岳山頂に安置されていた阿弥陀仏銅像は、昭和38年、ここに移されケルンに鎮座された。
 播隆上人(1782年~1840年)
 *播隆上人については、新田次郎「槍ヶ岳開山」に詳しく書かれています、小説の中では重い鉄の鎖を岩に架け、誰でも登頂を可能にし、ブロッケン現象に人生を見ると言った物語に成っています。

 播隆塔前からスギを見ました

 では、Aコープ 奥ひだ店でお弁当を買って遅めの昼食として、次へ行きましょう

 2024・5・16・13・35
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜県高山市、丹生川町旗鉾「伊太祁曽神社の三本サワラ・ケヤキ」(保存樹)です!!

2024-06-12 18:31:00 | 巨樹・大木
 丹生川町旗鉾地区は、高山市役所のkm、高山市役所丹生川支所の東約12kmのところ

 高山市役所丹生川支所前の国道158号線を東「松本・平湯」方面へ進みます

 約13.2kmで国道右手に

 「天照皇大神宮」自然石の社號標です

 すぐ手前の幟の支柱が置いてある広場に車を止めさせて頂きました

 そばの「旗鉾 くだがい神事」の説明版です
   旗鉾 くだがい神事
 くだがい神事は、今から大凡600年前より、此処旗鉾伊太祁曽神社境内において正月14日に執り行われている伝統の神事である。
 起源は、作柄の吉凶を占うものであり、釜の四方を笹で囲うのは、猪や兎等の鳥獣から作物等を守る呪いであると言われている。
 また、一説には、空腹をしのぐ為、集落の人々が稗や粟等を持ち寄り、薪の代わりに使った麻がらを一緒の窯で煮、粥として食したことが始まりだとも言われている。
 神事は、占い事を書き記したサワラの札(木札)と麻がらを麻皮で縛り、米・小豆・大豆と一緒に粥として炊きあげ、麻の管に入ったそれらの穀物の量によりその年の吉凶を占うものである。
 尚、占いの結果は項目毎、くだがい帳に記帳される。
     記
 名称  旗鉾 粥占い くだがい神事
 麻がら 毎年作
 材料  米・小豆・大豆
 無形文化財指定 昭和63年9月21日

 石燈籠のところを下って行くと

 鳥居です

 手水です、良い水が流れています

 説明版です
   旗鉾伊太祁曽神社
     有形文化財(建造物)  本殿 棟札
     有形文化財(彫刻)   円空作 神像
     有形文化財(古文書)  宮旗員覚帳
     有形文化財(歴史資料) 神社奉納物一式
     無形文化財       伊勢奉納物一式
     無形文化財       管粥神事
 乗鞍岳の西に広がる地域の人々は、日の登る山、乗鞍を信仰してきたが、いつの頃からか伊太祁曽を祭神とするようになり、氏神としてまつるようになった。
 伊太祁曽のほかに日抱尊などの呼び方があり、大日如来をまつり乗鞍権現とも呼び、干ばつの時はたくさんの人が、みの笠つけて、鐘や太鼓を鳴らしながら登山し、雨乞いをした。
 文化8年(1811)には、伊勢の皇大神宮がこの神社へ飛んでこられたという噂が広まった。一日に2000人もの参詣者があり、茶屋が建ち並び、この時、旗250本、額19枚、剣20本などが神社へ奉納された。
 また、この神社では、毎年正月14日に「管粥占い」が境内で行われる。粥の材料は、米と小豆が主であるが、大豆や稗も少し入れる。この材料に加えて麻の茎をハス切して6cmほどの長さのものを何本も準備する。そのほか小さな檜札を数枚準備する。これに五穀の品種名を書き、もう一つ檜板には1月から12月の月割り札を作る。旧暦の閏年は13枚とする。この2枚の檜札の墨書きしたものを合わせ、文字が見えないようにする。これに麻ガラを一組として丈夫な細紐でからげる。占う種類が大鍋に入れられ、粥の材料と共に煮立てる。麻ガラの穴の中に粥が多く入った品種のものが、その年の豊作となり、月割り札はその年の晴天や雨天の占いとなる。
 この神事は荒神祭であるから占う間は女性の立ち入りは許されなかったが、現在は女性も参加している。占いが終わり、管粥帳に記帳がすむと、集まった人達はお粥や御神酒をいただく。
 旗鉾伊太祁曽神社に、およそ600年前から続く伝統の神事である。
      平成18年3月24日 設置    高山市教育委員会

 境内左手にサワラが三本あります

 保存樹の案内板です

 一番東側の一本が、目通り幹囲4.02mの大木です

 東側から

  北西側から

 社殿手前左に大ケヤキです

 北側から

 保存樹の案内板です、目通り幹囲5.0mの巨木です

 社殿前から

 社殿です

 社殿裏側に最初目的としていた杉の巨木が在るようですが、進入禁止に成っていますので諦めました

 では、次へ行きましょう



 2024・5・16・12・50
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜県高山市、丹生川町駄吉「駄吉神明神社・駄吉の大杉」(市指定)です!!

2024-06-12 06:31:00 | 巨樹・大木
 丹生川町駄吉地区は、高山市役所のkm、高山市役所丹生川支所の東約11kmのところ

 高山市役所丹生川支所前の国道158号線を「松本・平湯」方面へ向かいます、コスモス街道です

 約11.3kmで「神馬橋」で小八賀川左岸側へ渡って左(南東)へ

 約400mで左下の小八賀川沿いに駄吉神明神社が南向きの下り参道で鎮座します


 鳥居です

 鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 道路脇の「整田碑」です

 参道を下りましょう

 境内左手には社務所と神楽殿のようです

 拝殿です

 高床式になった本殿覆い屋は、洪水対策のようです

 市指定 工芸品の「鰐口」の 文化財標柱です、側面には「鰐口とは、神社や寺院の拝殿正面の軒から吊るされた、下部が鰐の口に似ている扁平の金口(こんく)で、参詣の時に打ち鳴らすものである。神明神社の鰐口は、径が23cm、厚さが7cmで、長禄3年(1459)の銘がある。」と

 脇を流れる小八賀川の対岸では国道158号線を片側通行に規制して、土砂崩れの復旧工事が行われています

 目的のスギは本殿西側です 

 「天然記念物 駄吉の大杉」の標柱です、側面には「神明神社の境内にあるこの駄吉の大杉は、目通り4.83mになる」とある大木ですね

 西側から

 北西側から見上げました

 では、次へ行きましょう

 国道158号線に出て、崖崩れ工事現場の規制地点から「駄吉の大杉」が見えました


 2024・5・16・12・30
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜県高山市、丹生川町板殿字宮ヶ洞「伊太祁曽神社の杤の大樹」(市指定)です!!

2024-06-11 18:32:00 | 巨樹・大木
 丹生川町板殿字宮ヶ洞地区は、高山市役所の東北東約14km、高山市役所丹生川支所の東約8kmのところです

 高山市役所丹生川支所前の国道158号線を東(松本・平湯方面)へ向かいます

 道成りに約8.7kmの「⇐板殿」の標識に従って左へ入って北東側へ一山超えます

 約1.9km西へ下って行くと、左手奥に公民館の見える交差点を右(北)へ坂道を上がります

 丁字路を左に入ると右に伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)への参道ですが、丁字路のところに車を止めさせて頂きました

 参道への入り口です

 参道へ進みながら伊太祁曽神社の社叢を見ました

 伊太祁曽社號標です

 文化財標柱です、左は鰐口、右は円空仏・薬師如来 3軀です

 鳥居です

 鳥居脇の建物は、神楽殿ですね

 正面東向きに一段高い所に社殿です

 拝殿です

 拝殿前右手には御神木のスギの大木です

 拝殿左手(南側)目的の「大栃」です

 近付いて見上げました、細い注連縄が巻かれていますので、こちらも御神木扱いをされているようです

 天然記念物 伊太祁曽神社の「栃の大樹」の標柱です

 東北東側から

 北東側から、目通り幹囲7.4mの巨木です

 北側から

 北北西側から、西側のトチノキと一緒になって根が盛り上がって土手に成っています

 北西側から見ました

 本殿覆い屋です

 また文化財標柱です、丹生川村指定工芸及び天然記念物 鰐口・栃の大木となっとぃます(タイトルにはGoogleマップの「杤の大樹」を採用させて頂きました)

 保存樹の桧の案内板ですが、境内を見まわしましたが見つかりませんでした

 杤の大樹を南東下側から見上げました

 *境内に農作業のため軽トラを止めている方がいらっしゃったので、お話をうかがうことが出来ました
  「子供の頃には幹に入る事が出来、中は幹の上まで空洞になっていますよ」と、ところで社殿の脇の「保存樹・桧」の案内板が有りますが、境内には見当たりませんでしたとたずねて見ましたが、首を傾げられただけでした、残念

 では、次へ行きましょう

 

 帰り際に雲の切れ間から乗鞍岳が見えました


 2024・5・16・12・05
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜県高山市、丹生川町折敷地「住吉神社のケヤキ(県指定)と杉・桧」です!!

2024-06-11 06:31:00 | 巨樹・大木
 丹生川町折敷地地区は、高山市役所の北東約12km、高山市役所丹生川支所の北東約7kmのところ

 高山市役所丹生川支所前の国道158号線を東へ直ぐ「⇐運動公園・飛騨エアパーク」の標識に従ってガソリンスタンドの先を左(北)へ

 道成に約2.3km進むと右手に「丹生川運動公園」を見て更に北東へ向かいます

 約800mの「荒城温泉恵比寿之湯」の案内板のある一時停止の交差点を右(東)へ

 道成りに約4.3kmの「農産物加工場」の先で左(北)へ入って、道成りに東へ進むと

 約200mで

 ここが境内への入り口です

 石垣の上に「住吉神社」社號標です

 広い境内の先に目的のケヤキが見えます

 境内端に車を止めさせて頂きました

 境内北側に文化財標柱が並びます、左から能面(猿田彦・翁)、鰐口(江馬氏)、乗馬飾(鞍・金小札浅葱鎧・兜)、円空仏(十一面観音像・薬師如来像 2軀)と無形文化財の「采踊り・庚申講」が丹生川村代の指定文化財です

 西側から

 南西側から、目通り幹囲6.4mの巨木です

 南側に傾いていますので、南側には支柱が副えられています

 天然記念物標柱です

 根元には古い石柱です

 南東側から

 東側から

 北側から

 南向きに鳥居です

 参道石段を上ります

 中段からケヤキを見ました

 石段左手の杉です

 保存樹案内板です、「丹生川村 指定保存樹 樹名 杉、目通幹回り4.48m」の大木です
 
 東側から

 北東側境内から

 手水舎です

 拝殿です

 本殿です

 拝殿東側の建物は神楽殿でしょうか

 本堂東側にも大きな木が見えます

 近付いて見上げました、こちらにも注連縄が巻かれています

 保存樹案内板です、「丹生川村 指定保存樹 樹名 桧、目通幹回り3.11m」の大木です

 本殿覆い屋です

 では、次へ行きましょう



 2024・5・16・11・20
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする