ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岐阜県高山市、漆垣内町「二之宮神社のケヤキ」(県指定)です!!

2024-06-10 06:32:00 | 巨樹・大木
 漆垣内町は、高山市役所の東約5kmのところ

 高山市役所の西側の道路を南へ進みます、約400mの「高山駅北」信号を左(東)へ、県道74号線です

 約300mの「国分寺東」信号からは国道158号線となって更に東へ進みます

 道成りに約2.8kmで「松之木町東」信号を斜め右(南東)へ、飛騨ぶり街道です

 約1.5kmで道路左手の消防屯所の先に

 二之宮神社参道入口です

 手前の公民館に車を止めさせて頂きました

 二ノ宮神社社號標です

 鳥居です

 大きな水盤です

 拝殿?ですね

 拝殿です


 本殿はビニールカバーで覆われています

 説明版です
   二之宮神社本殿  附棟札
 〈市指定〉昭和50年7月10日
 〈所有者〉二之宮神社
 〈所在地〉漆垣内町宮ノ後546番地
 〈時代〉  享保16年(1731)
 〈員数〉  1棟2枚
 本殿(1棟)桁行1.85m、梁間3.12m、一間社流造、亜鉛鍍鉄板瓦棒葺
 棟札(2枚)①(表)3000人の合力による再建の旨が記される。神主 北村丹波守 享保16年6月 大工 柏木長衛門
         (裏)大八賀郷漆垣内村二宮大明神 名主川尻長治郎
       ⓶(表)元文元年(1736)6月 本社上葺 願主 住紋重郎 葺師 高山川原町平蔵 同越中高山丸扁兵衛
         (裏)飛州大野郡大八賀郷漆垣内村 二ノ宮神主 北村丹波守氏子中
 二之宮という名称は、一之宮に次ぐ神社ということで名付られ、当時の飛騨の国における重要な神社であったと考えられます。
 飛騨の国造になったと伝えられる大八椅命ほか3神を祀っています。
 戦国時代の終わり頃、金森長近は飛騨へ入り、はじめ鍋山城周辺に城下町を構え、その整備に伴って、室町時代に荒れた社殿を修復しました。
 後天領時代になってからも、代官、郡代は配下を祭礼に代参させました。
 祭礼の際「槍踊り(大八槍踊り)」が今に伝えられています。
 この本殿は、享保16年に、氏子のほか3000に及ぶ人の寄付により建てられました。
 形の整った石積基壇の上に建ち、一間社流造。後世の改造が少なく、蟇股、虹梁、木鼻などに、18世紀初め頃の手法が見られます。
 棟札は享保16年に本堂を建てた時のものと、元文元年屋根の上葺をした時のものがあります。

 石祠です

 境内社は弥勒菩薩です

 通称みより様と言うが、飛騨国神社記には三折観音と記されています

 目的のケヤキは境内東端にあります

 南西側から

 西側から

 北側から

 東側道路から

 南東側から幹面に屋根が付けられています

 根元へ近付けます

 幹の傷の木材に神像が彫られています

 「岐阜県天然記念物 二之宮神社のケヤキ」の標柱です

 説明版です
   二之宮神社のケヤキ
 〈県指定〉昭和45年4月7日
 〈所有者〉二之宮神社
 〈所在地〉漆垣内町宮ノ後546番地
 〈樹齢〉 800~900年
 〈員数〉 1本
 ケヤキ(1本)目通り6.2m、高さ約26m、二之宮神社東南隅に位置する。樹齢8~900年、幹下部東南面の枯れた部分に等身大の神像が彫刻してある。
 伝説によれば、むかいこの古木が枯れようとしたとき、氏子はもちろん朝夕にこの神木を眺めてきた郷内の人々は、手の施しようもなく、ただ嘆き悲しむばかりであった。たまたま、八百比丘尼という尼僧が現われ、この神木をしばらく見詰ていたが、やがて蘇生の祈願をこめ目通りに神像を彫刻し、三拝九拝の後いずこともなく立ち去った。
 不思議にもその後神木は次第に蘇生の新芽を出し、年と共に繁茂して今日に至った。
 後、9尺に2間の堂を建立してこの神像を祀ったが、明治末期の暴風で堂は破壊された。
 そのままになっていたが、県の文化財に指定されてから、昭和45年、彫刻を保護する屋根を新しく設けた。
      高山市教育委員会

 南側の道路「飛騨ぶり街道」から見ました

 では、次へ行きましょう


 2024・5・16・10・20

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