ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県安曇野市、穂高神社境内の孝養杉と若宮西の欅です!!

2018-06-02 15:48:29 | 巨樹・大木
穂高神社は、安曇野市役所の北北西約4kmのところ

国道147号線の穂高駅前信号の一つ南側の通りが

穂高神社への参道に成っています

神社の南側の参詣者用駐車場が有ります


穂高神社参道です

御祭神の案内板です
  御祭神
    中殿 穂高見神
    左殿 綿津見神
    右殿 瓊々杵尊
    別宮 天照皇大御神
    若宮 安曇連比羅夫命
    相殿 信濃中将
         穂高神社

手水舎です

安曇野市有形文化財 穂高神社の手洗い石と手水舎の標柱です

説明です
  手洗い石には享保14年(1729)の銘文が刻まれる。
 「銘白 玉顕信烈 水盤新成 洗手湔口 六根偕清 花影酒
 錦 月光投琚 鳳當辟虫 獺必祭魚 維敬之隆 著名嵒下 
 徳輝無窮 国家静謐 社内安康 五穀圓満 産子繁昌」。手
 水舎は平入り流れ屋根で間口354cm。奥行290cm、
 天井に丸山雲章が描いた龍の墨絵があった。明治18年(1
 885)の造立。

神船です

説明が有ります
 神船
   穂高神社の御祭神は、海神系で先人たちは安曇野の自然を
  破壊することなく守り育ててまいりました、昭和57年の御 
  遷宮祭を記念して神船が奉納されました。
 奉納
   東京多摩川最後の船大工といわれる久保井富蔵氏が平安時
  代の資料を元に魂を打ち込み長い年月をかけて完成したもの
  であり貴重な文化的資料であります。
   又、国際的な陶芸家であり「多摩川の自然と文化を守る会」
  を結成、多摩川に青流をよみがえらせる運動を続ける、辻清
  明氏夫妻が穂高の自然と青流、そして人間性に深く感激し、
  氏の友人である芸術家諸氏の協力で穂高町の交流ある仲間と
  共に、上高地にある奥社と当神社との神々を送迎する御船と
  して奉納するものであります。


神馬舎です、白馬が居ます

木の鳥居です

舞殿です

社殿です

霊験顕著 孝養杉です

社殿前から見上げました

   大正時代に穂高柏原の高木康江さんという方が、
  母親の病気平癒の祈願のため、お参りをされていた
  と云い、その話題から、いつしか「孝養杉」と呼ば
  れるようになったのだそうです。

由緒書きです
 穂高神社本宮御由緒   
  安曇族の祖神穂高見命は、海神、綿津見神の御子神で、
 太古穂高岳に天降りましたと伝えられている。安曇族は、
 海神系の宗族として遠く北九州に栄え、信濃の開発に功を
 樹て、安曇野の中心穂高の里に祖神を奉斎したのが、当神
 社の創始である。

孝養杉の北側、境内社の後ろに目的のケヤキがあります

井上靖氏の小説「欅の木」のモデルです

西側から

安曇野市天然記念物 穂高神社若宮西の欅の標柱です

説明書きです
  胸高直径1,4m(幹周4,4m)二本の大枝の広がりは、
 28mある見事な大木である。井上靖の短編小説「欅の木」の
 モデルでもある。樹齢は記録がなく不明であるが、約400年
 との言い伝えがある。

もう一つ神馬舎が有ります、中に入っているのは茶色の毛の神馬です


阿曇比羅夫の像です

解説です
  大将軍大錦中阿曇連比羅夫は、天智元年(662年)天智天皇
 の命を受け、船師170艘を率いて百済の王子豊璋を百済に護送
 救援し王位に即かす。天智2年、新羅・唐の連合軍と戦うも白村
 江(朝鮮半島の錦江)で敗れ、8月申戌27日戦死する。
  9月27日の例祭(御船祭)の起因であり、阿曇氏の英雄とし
 て若宮社に祀られ、英知の神と称えられている。
  伝統芸術である穂高人形飾物は、阿曇比羅夫と一族の雄姿を形
 とったものに始まると伝えられる。


境内南側に「結の石神」です



では、次へ行きましょう

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