湖東地区は、茅野市役所の北東約6km、茅野市湖東出張所の約1kmの所に目的の「中村の二本松」が立っています
茅野市湖東出張所の北側の国道152号線を西へ下るように進んで直ぐの「堀」信号の先洋菓子店の手前を斜め右(北西)へ入ります
約600mで道路右手に目的の「中村の二本松」です
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
南東側から
南側から
説明版です
茅野市指定天然記念物
中村の二本松
昭和52年12月1日指定
この一帯の字名は富士塚と呼ばれているが、二本松の立っている塚が富士塚であろう。
径9m、高さ1.8mの円形を呈するが、どのような性格の塚であるかは明らかでない。
故老の言い伝えによれば、むかし富士講が盛んであった時代に、村人が冨士行者を送迎し、この松の下で酒ほがい(酒宴)をしたとのことである。
松の幹囲は目通り3.9mで、根元から1.8mの高さで幹が二つに分れている。
枝張りは南北19m、樹高は10m以上で樹勢は旺盛で、市内では宮川高部の傘松に次ぐ松の巨木である。
樹齢は約300年と推定される。
八ヶ岳・蓼科の山並みを背景として遠くからもよく目立ち、枝ぶりも見事でまさに名木と呼ばれるにふさわしい。
昭和53年3月 茅野市教育委員会
*湖東村は昭和30年(1955)2月1日に、 諏訪郡ちの町・宮川村・金沢村・玉川村・豊平村・泉野村・北山村・米沢村が合併して茅野町が発足しました。
ちなみに昭和23年から30年まで存続した「ちの町」は日本初のひらがな市町村名であったそうです。
茅野駅の所在地であった永明村が町制施行するにあたって宮川村茅野との区別を図るための措置であったとか。
宮川村茅野は甲州街道の上諏訪宿と金沢宿の中間に置かれた間の宿で、中央本線の開業時にはこの地に駅を計画していたが住民の反対に遭い、上川対岸の永明村に駅が設置されました。
昭和33年8月1日に 諏訪郡茅野町が市制施行して茅野市となりました。(Wikipedia一部抜粋)
西側からは逆光に成ってしまいました
では、次へ行きましょう
2024・4・15・7・45
茅野市湖東出張所の北側の国道152号線を西へ下るように進んで直ぐの「堀」信号の先洋菓子店の手前を斜め右(北西)へ入ります
約600mで道路右手に目的の「中村の二本松」です
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
南東側から
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茅野市指定天然記念物
中村の二本松
昭和52年12月1日指定
この一帯の字名は富士塚と呼ばれているが、二本松の立っている塚が富士塚であろう。
径9m、高さ1.8mの円形を呈するが、どのような性格の塚であるかは明らかでない。
故老の言い伝えによれば、むかし富士講が盛んであった時代に、村人が冨士行者を送迎し、この松の下で酒ほがい(酒宴)をしたとのことである。
松の幹囲は目通り3.9mで、根元から1.8mの高さで幹が二つに分れている。
枝張りは南北19m、樹高は10m以上で樹勢は旺盛で、市内では宮川高部の傘松に次ぐ松の巨木である。
樹齢は約300年と推定される。
八ヶ岳・蓼科の山並みを背景として遠くからもよく目立ち、枝ぶりも見事でまさに名木と呼ばれるにふさわしい。
昭和53年3月 茅野市教育委員会
*湖東村は昭和30年(1955)2月1日に、 諏訪郡ちの町・宮川村・金沢村・玉川村・豊平村・泉野村・北山村・米沢村が合併して茅野町が発足しました。
ちなみに昭和23年から30年まで存続した「ちの町」は日本初のひらがな市町村名であったそうです。
茅野駅の所在地であった永明村が町制施行するにあたって宮川村茅野との区別を図るための措置であったとか。
宮川村茅野は甲州街道の上諏訪宿と金沢宿の中間に置かれた間の宿で、中央本線の開業時にはこの地に駅を計画していたが住民の反対に遭い、上川対岸の永明村に駅が設置されました。
昭和33年8月1日に 諏訪郡茅野町が市制施行して茅野市となりました。(Wikipedia一部抜粋)
西側からは逆光に成ってしまいました
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