ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県長野市、柳原「古野神社のケヤキ」(保存樹木)です!!

2021-07-30 06:24:00 | 巨樹・大木
  柳原地区は、長野市役所の東約6kmのところ

  国道19号線から国道18・117・406号線へと東へ進みます、小島信号を南へ入ると道路は道なりに左(東)へと向きを変えます、次の交差点を右(南)へ入ると昭和幼稚園が東側に有り、古野神社が西側に東向き参道で鎮座します

鳥居前の道路わきに車を止めさせていただきました


境内入口です、目的のケヤキが在ります

保存樹木標識です、指定第240号、平成12年9月16日指定と市内の保存樹木としては新しい方ですね

東側からの参道です

ケヤキを東側から見ました

南側から、目通り幹囲6.2mの巨木です

南西側から

水盤です

説明版です
古野神社
祭神 品陀(誉田)別命ホンダワケノミコト 八幡さま(応神天皇)
天照大御神アマテラスオオミカミ お伊勢さま
建御名方命タケミナカタノミコト 諏訪さま
 由緒 柳原布野を中心とするこの地には、古くから人が住み、平安時代の「和名抄」に見られる信濃六十六郷のひとつ「古野郷」と言われていた。当社はその頃から産土神(うぶすなのかみ)八幡社として崇められており、以来、真田家代々の崇敬するところとなった。社領として一石を与えられ、社殿の修築、営繕等にも援助を受けた。さらに定紋(六文銭)の幕・旗・木盃を寄進され、例祭には相撲興行を認可いただき、その都度、松代藩の役人が警備にあたるなど、他社に類例のないことであった。
文政11年(1828年)、布野村は、「古野郷が転じたものである」という理由でその郷名をもって古野神社と改称し、神社の免許発行権をもつ京都古田家に願い出て認可を受けた。
明治6年には村社として列せられ、明治41年には無格社の伊勢社(字山王堤北に鎮座)と諏訪社(字居村前に鎮座)を合併合祀し現在に至っている。
昭和50年の屋根銅板葺き替え時に見た、社殿造営棟札には、拝殿が文政元年(1818年)、本殿が天保2年(1831年)建立とある。
また、拝殿内には、嘉永2年(1849年)峯村白斉らによる俳諧献額がある。
なお、八幡社は日本全国に4万4千社あり、総本社は大分県の宇佐神宮。
令和2年9月吉日

鳥居です

拝殿です

本殿覆い屋です

拝殿前左のケヤキは道路側にはみ出した枝が切られています

境内社です

では、次へ行きましょう
コメント
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