ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県長野市、若里「木留神社のケヤキ林」(保存樹林)です!!

2021-07-09 06:22:00 | 巨樹・大木
 若里地区は、長野市役所の南約2kmのところ

 国道117号線の「長野市九反」信号を東に入って、次の信号「ホクト文化ホール南」信号を左(北)へ旧北国街道を進むと蓮心寺の北側に、東向き参道で木留神社が鎮座します

 参道北側の通り沿いに荒木町公民館が有ります、前の道路脇に車を止めさせて頂きました


荒木町公民館です


若里地区の案内板です、北が下になっています

参道です

鳥居です
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拝殿です

本殿は覆屋の中です

沿革説明版です
  沿革
 御天領荒木村「慶長7年(1602)村各初見」を治めるために、嘉永4年(1854)に故藤原源四郎氏宅内に創設された荒木藩屋及び隣接の高札場(創設年月日不明)は、明治4年(1871)廃藩置県により廃屋になるまでその任務を果たし、その後も藩屋及び高札場の建物は残された。
 この高札場の創建の場所は、荒木22番地「現在の篠原昭治氏宅の北側、県道長野―真田線(北国街道)に東面して設置」である。
 しかし昭和38年(1963)この高札場は連心寺面前の空地(現在の青木英一氏宅前長野市所有土地)に移転されやがて昭和42年(1967)には藤原氏宅が解体された。
 今回全ての神事を経てこの由緒ある高札場を分解しその擦り減った木片等の現場は一時神社境内に保管し平成10年正月の道祖神祭に焼却することにした。
 新建物は、原形復元ではなく、外形寸法は同一、使用材料はスプルス(米国檜)を用い、木留神社境内(斉藤武宮司承認)に建立した。これこそ21世紀へ語り継ぐ新鮮な歴史的所産である。
 建築は(株)守谷商会が基礎を、後の行程を荒木所在企業「(株)ナガノ建築サービス(徳武)エース建築設計事務所(大川)平和板金(須田)及び大成建装(太田)」が分業担当。
 最後に、今回の歴史的事業の成功は大成産業(株)、(株)守谷商会の両企業の絶大な支援の賜物であることを特記するものである。
  平成9年(1997)9月25日
  荒木区


目的のケヤキです

保存樹林標識です、指定第114号昭和51年11月5日指定で、ケヤキとドイツトウヒが記載されています


南側から、目通り幹囲9.0mの巨木です


北東側から



社殿の北西側にドイツトウヒです

境内のケヤキです

西側から

北西側から


では、次へ行きましょう
コメント
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