花々楽しい日

布合わせを楽しみながら キュートで物語のある布小物を作っています

ほっこりバッグと母の人形

2010-03-24 | ソーイング・バッグ&巾着

吉祥寺のコットンフィールドさんで購入したキットでバッグを作りました
いつも小物ばかり作っているので、ミシンの長距離運転は苦手
集中力を持続させるのが大変でした

 

でも、可愛くできたので満足してます

底がオーバル(楕円)なので
形がほっこりしているのもいいです
ミニバケツ制作で鍛えた(?)丸底を縫う技が
とても役に立ちました

 

最近作ったものをもう一つ!

フェルトで作ったシュシュ
丸く切ったフェルトをゴムに通しただけですけど
結構かわいいです
※ 美容院で読んだ雑誌「オレンジページ」に載っていたものです

 


母のこと
私の母は、私なんて足元にも及ばないくらいの
ハンドメイダーでした

幼少の頃から、私の服は母の手作り
リカちゃんの服から傘などの小物まで母の手作り
「ロンパールーム」や「おかあさんといっしょ」で使われていたおもちゃがほしいと言えば
家にあるもので似たようなものを母が手作り
幼稚園に寄贈したぬいぐるみは数知れず

ドライイーストなどがない時代からパンを焼き
デラックスなケーキを焼き(ピンク色のクリームの薔薇の花の飾りなどがついていました)
マドレーヌにシュークリームにキャラメルも手作り
籐でできた籠や籐製の各種小物入れ 
 畳くらいの大きさのパネルに貼ったフランス刺繍の大作
アートフラワーで豪華な花を作り 油絵を描き トールペイントをし・・・

「どんだけ器用なんだ?」という疑問さえも起きないくらい
ありとあらゆるハンドメイドで行きつくところまで行っては
次へ次へと移っていました

私が中学生の時はお人形の先生でした
布製のお人形を作ったら友達から「教えてほしい」と言われ
ちょっと教えてみたらクチコミで広がり
芋づる式に生徒さんが増え
火曜と木曜は私が学校から帰ると
生徒さんとお土産のお菓子で部屋がいっぱいでした

ご近所に住んでいた宝塚スターさんのお母様も
母の人形教室の生徒さんで
その方経由で母の人形はたくさんのタカラジェンヌの元へも
嫁いで行きました

でも ある日「もうやめるわ」と言ったかと思うと
人形教室をフェードアウト
今度は自分で作りたい人形を作ることに没頭し始めました

過去に1度だけ有名な雑誌のハンドメイド大賞に応募したことがあるのですが
その時「ファインワーク賞」をいただいたのがこの子です
※ 人形教室で教えていたのはこのタイプの人形ではありません


ほとんどの人形は嫁いでしまっていますが
この子を含め数人だけが
今も実家の母の部屋で座っています

 


ベルト部分はグログランのリボンにお花の刺繍をしたもの
チロリアンテープじゃないところが母らしい(笑)

 


靴にも刺繍
靴下もペチコートも帽子もアクセサリーも
全部母が作っています

 


目もまつ毛も唇も・・・

これらのお人形は昔からずっと家にいましたが
自分がハンドメイドにはまった今見ると
改めてその凄さがわかります

この後、母は更に進化します

ジュモーやブリュといったヨーロッパのビスクドールに憧れ
クラフト用の粘土で顔や手足を作る人形の制作に打ち込み始めました

その頃作った人形も少しだけ残っています
(欲しいと言った方にどんどんあげていたので、ほとんど残っていないのです)

 


ガラス製の目と、カールした髪の毛は買ったものですが
ほかはすべて母が作っています


最初は次々と新しい人形が生まれていましたが
そのうち「違う!バランスが悪い!」と
顔を作っては壊し 作っては壊し・・・

そのうち、作ることをやめてしまいました


先日実家へ行った時
「作りかけのお人形をそのまま取ってあるんだけど
あんたが続きを作ってみない?」と言われました

箱を開けると・・・

作りかけの顔 そして手足

これを私にどうしろと言うのでしょうか?


あまりにもすご過ぎて・・・
「無理」としか言えませんでした


今はお人形どころか、ハンドメイドらしいことは(お料理も含めて)
全くしなくなってしまった母です
老眼がハンドメイドから遠ざかった要因のようなことを言っていますが
今は強力なお手元眼鏡も販売されているので(この間テレビショッピングでも見ました!)
この才能を、埋めておくのはもったいない
是非また何かを作ってほしいなぁと思っています


4月20日で77歳になる母

まだまだイケルはずだと、娘は信じています

コメント (29)
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