2011年6月5日(日)
一円電車の運転会場と隣接する明延振興館前にも、明神電車の車両達が展示されています。
←役員専用電車として活躍した<しろがね号>。機関車に見えますが、お客を乗せるので電車なのでしょう。扉が開き、内部が覗けますが、すでに朽ち始めており、VIP専用車の面影はありません。ちなみに、先ほど乗車した<くろがね号>は、元々三菱鉱業社長が明延を訪問する際に利用するため急造された車両との事。とにかくユニークな車両が多い!
少し離れた<あけのべ自然学校>にも、今まで見てきた車両よりさらに小さい、軌間500㎜のバッテリー機関車と鉱石車が展示されています。こちらは全身さびだらけで、朽ちるに任せています。ここから少し山に入っていくと、踏切跡があると聞いて、山道を登ります。少し開けた場所に500㎜軌道の跡を発見。抗口は鉄扉で閉鎖されています。反対側はすっかり整地されていましたが、何かの施設の跡の様です。少し視線を上の方に向けると木々に隠れていくつかの建物が見えます。そして上方の施設に向かってインクラインの跡が伸びています。ここが、かつて明延鉱山の中心だったエリアだったのです。インクラインの伸びている上部エリアに、鉱山の重要施設が立ち並んでいた様です。神子畑に通じていた明神電車(一円電車)はここから発着していたようです。S62年に閉山となり、4半世紀という時間が流れましたが、時の流れは風景を変えてしまったようです。それにしても、かつて4000人が暮らしていた明延ですが、今はそのほとんどがみどりに帰ろうとしている現実が実感できます(現在は人口140人程)
←上部に大規模な鉄道施設や鉱山施設が集中していた様です。今やそれらの跡は自然に帰ろうとしています。看板がなければ気がつかなかった。