10月15日(金)
左舷に九州の街の灯が輝いているのが分ります。急いで朝風呂を浴びて、下船準備をします。定刻5時20分、新門司港着岸。自動車なしで九州まで乗船していたのは、大きな船で7名でした。全員、船内で予約していた乗り合いタクシー2台でJR門司駅へ向かいます(300円也)。ようやく陽が昇り始めます。早速、北九州市内のいくつかの駅で駅撮りを試みたもののいま一つで、気分が乗りません。長い船旅で少し疲れたようです。午前中は、北九州・福岡間で列車撮影するつもりでしたが、撮影地までの長い道のりを歩くのが面倒で、門司駅に戻り駅前のミスドで、コーヒーをお代わりしながら、無為に時間を過ごしていました。いつもなら仕事をしているこの時間、見知らぬ街で何もせずまったりとした時間を過ごしている、ある意味贅沢な気分を味わっています。(そんな過ごし方で幸福を噛みしめること自体、しょぼい休暇なんでしょうが・・・・)
とは言え、いつまでもコーヒーを啜っている場合ではありません。お代りも4杯めでギブアップ・・・。
昼前には気を取り直し、福岡方面へ出発します。私の乗った快速は、黒崎の手前でゆっくりとコンテナ列車を追い抜きます。カマはなんだろうと、眺めていると、車窓に銀色のコルゲートのボディーが映ります。ステンレスの車体が眩しい、銀ガマことEF81-304です。いままで、何度か撮影にトライしてきて、振られ続けた機関車です。これを撮らずして、何を撮ろうぞとばかり、次の折尾で急遽途中下車。慌ててホームの門司側先端に向かいますが、そこに来て、304号機に出会えた喜びが、失望に変わります。背景のビルは仕方ないとしても、大きな緑の架線柱が画面の真ん中にどうしても入ってしまいます。<慌てて下車せずに、もっと先の見通しの効く駅で降りたら良かったのに・・・・>。今回も、後悔先に立たずの旅の様です。私が、304号機の満足いく写真を撮る日は何時の事になるのでしょう?
さて、急遽決まった今回の旅は<西鉄2000系とお別れする>という大きな目的があります。
私が、国鉄以外の鉄道というものがあることを認識させてくれた、はじめての車両がこの2000系電車です。小学生の自分が、旅先で偶然この車両に出会ったことが、<私鉄電車>とのファーストコンタクトと言えます(大げさすぎますが)。また、このブログで最初に取り上げた話題も西鉄2000系電車でした。
しょぼい毎日第1回 2007年3月12日→http://blog.goo.ne.jp/hally583/d/20070312
あれから、何度か2000系を見に大牟田線沿線を巡りました。そのたびに、これが最後かなと思いながら撮影したり、乗車してきました。わたしにとって、住んでいるところは遠く離れていますが、学生時代、頻繁に乗っていた阪急や京阪の電車より遠くの黄色い電車に思い入れがあります。この栄光ある電車が、遂にラストランを迎える事となりました。このニュースを聞いて心が騒ぎました。でも、行けば、ただの葬式鉄になっちゃう様で・・・・・。でも、最後の姿を見ておきたいという気持ちで、ここまで来ました。
JR天拝山で下車して、徒歩で西鉄朝倉街道駅を目指します。西鉄の駅は細長い通りを東に5分ほどで到着。そこから線路沿いを10分ほど北上した幼稚園の裏手の踏切でスタンバイします。ちょうど学校帰りの幼稚園児や小学生が私の待機している踏切を渡ります。小さな子どもたちが、カメラを抱えている私を指差して「ラッキー・イエロー、ラッキー・イエロー」とはやし立てます。どうやら子供たちの間では2000系の事を<ラッキー・イエロー>と呼んでいるようです。カメラを持った人もラッキー・イエロー目当てだということが分っているので電車と同じ呼び名で言っているみたいです。私の大好きな2000系の事を素敵なニックネームで呼んでくれているみたいで、私の気持ちも和みます。もうすぐお別れの古い黄色い電車の事を、大人になっても子供たちは覚えていてくれるかな・・・・。などと思いを巡らせているうちに、天神方向から懐かしい、<ラッキー・イエロー>君がやってきました。前回撮影した時と違い、前面塗り分けを登場時に直しています。ラッキー・イエローと呼ばれた2000系の最後の編成は、普段と何一つ変わらぬ表情で、駆け抜けていきました。