松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

濡れながら若者は行く楽しそうに濡れゆくものを若者と言う 永田和宏

2024-06-01 | インポート

前回の「禅にはホームレスの系譜がある」の続きです。

写真 千田完治

ドイツ生まれの青い目の禅僧、ネルケ無方さんは、来日して禅の修行して、続いてホームレス仲間の輪に加わり、一緒に生活しながら、「ホームレスを救済?とんでもない。ホームレスよりも、毎朝肩を落として駅からビルの群れに向って急ぐ、サラリーマンやOLこそ救済しなければそのように思っていました」、と言いました。
禅にはホームレスの系譜があります。かつて、京の五条大橋の下でホームレスをしていたのは、若き日の大徳寺開山、大燈国師(1282~1337)だし、美濃の山奥で牛飼いをしていたのは妙心寺開山、関山慧玄禅師(1277~1360)です。


ホームレス禅僧の元祖、大徳寺開山・大燈国師の次の歌を6月のことばとしようとしました。

「蓑はなし 其の儘(まま)ぬれて行(ゆく)程(ほど)に 旅の衣に 雨を社(こそ)きれ」(平野宗浄『大燈禅の研究』教育新潮社)。

旅の途中でとおり雨がふってきたが蓑はない。そのまま歩くと、雨を着て歩いているようだ。といった意味でしょうか。雨と蓑は対です。「対」の字を使った熟語に、敵対とか対抗があります。雨を避けるために蓑をつければ、雨に対抗して敵対することになります。それほどの雨ではないから「濡れていこう」。濡れてみたら、自然とひとつになって晴れ晴れとした、という気分です。
 でもね、掲示板の一句としては難しくないか。
そこで、歌人の永田和宏さんの『百万遍界隈』(青磁社)所収の短歌にしました。
「濡れながら若者は行く楽しそうに濡れゆくものを若者と言う」
 筆者が住職する寺の門前を、男子高校の生徒が朝晩自転車で突っ走っていきます。そう言えば、彼らが傘をさしているのを見たことがない。もっとも、傘をさしての自転車走行は危険です。やめましょう。雨に濡れるのは若者の特権なのだろうか。少し前も女子高生が雨の中を傘もなくカバンを頭の上に置いて、傘代わりにしていたのを車で運転しながら見つけました。車にはビニール傘があったので、思わず窓をあけて差しだそうとしましたが、「坊さん、女子高生にちょっかいを出している」なんて思われるのもイヤだから、かわいそうだけど、通り過ごしたのでした。

でも、あの女の子。悲愴な雰囲気ではなかった。傘のない自分を楽しんでいるように見えた。やはり、「濡れながら若者は行く楽しそうに濡れゆくものを若者と言う」のだな。

追伸 

 雨に濡れるといえば、毎度お世話になっている金田一春彦著『ことばの歳時記』(新潮文庫)の3月29日の項目に「月形半平太」と題した次の文章があります。エチケット違反かもしれないけれど、短文なのでスキャンして転載します。

 春雨の名所は何といっても京都である。私は、ちょうど今ごろの季節、京都をおとずれたかことがあったが、それまでは一面に霧が立ちこめているのかと思っていた。それが、ふと賀茂大橋を渡りかけて賀茂川の水面を見ると、糸のような波紋が無数に描かれては消えていく。気がつくと、なるほど雨とはみえないような細かな水滴が、空中を舞い上がり、舞いおりして、しっぽりと京の町をぬらしているので文部省唱歌に「降るとは見えじ春の雨」と歌われたのはこのことだったかと感じたことがあった。
 新国劇の芝居で見ると、月形半平太が、三条の宿を出るとき、「春雨じゃ、ぬれて参ろう」と言うが、今思うと、彼は春雨が風流だからぬれて行こうと言ったのではなく、横から降りこんでくる霧雨のような雨ではしょせん傘をさしてもムダだから、傘なしで行こうと言ったのらしい。そこへゆくと、東京の春雨は「侠客春雨傘(きょうかくはるさめがさ)」という芝居の外題でも知られるように、傘を必要とする散文的な雨である。

 ね、すごい文章でしょう!

 


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手放してみて、初めてそれに気づくことが出来る   ネルケ無方

2024-05-01 | インポート

手放してみて、初めてそれに気づくことが出来る   ネルケ無方著『迷える者の禅修行』(新潮新書)より

 風薫る五月。余計なものは手放して、気軽になってみよう。なんて言っちゃって。連休が始まった四月末。かねてから断捨離しなければと思っていた不燃物を整理して、処理場へ車で持ち込んだのです。公営の処理場は土曜日曜は休みだけれども、祝日でも月曜日は開いています。とはいえ休日だから、車が列をなすようなことはなく、短時間で済むだろう。なんて思うのは、世の中の動きに鈍感な禅坊主の浅はかな考え。営業車ではなく普通車が、ゴミの重さを計る計量所に行列しています。大型連休だからといって、渋滞の巻き込まれて遠方へ行楽するのではなく、足もとを整理して楽しむという同志が多いのに、風薫る時世を感じたのです。

 さて、5月のことばは、ネルケ無方著『迷える者の禅修行』(新潮新書)から引用しました。著者は一九六八年ドイツ生まれ。高校時代に坐禅と出逢い、仏道を志して来日。兵庫県の山奥にある禅寺「安泰寺」で出家し、のち大阪城公園でホームレスをしながら坐禅修行をする。現在は、得度した安泰寺で住職を務めるユニークな経歴で、曹洞宗の禅僧です。
 わが、松岩寺は臨済宗です。日本の現在の禅宗は、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗と三つにわかれています。臨済宗と黄檗宗はかなり近いけれど、臨済宗と曹洞宗はかなり離れています。どのくらいちがうかというと、坐禅するときに、曹洞宗は壁に向かって坐ります。臨済宗は壁に背を向けて坐ります。そのくらい異なります。
 ネルケ無方師は曹洞宗です。今、曹洞宗の禅僧の方々の方が、書籍、映像などに露出することが多いですね。そうした曹洞宗の方の文章などを読むと、われわれ臨済宗よりも発想が柔らかくてセンスが良いかな、と思う。
 柔らかな発想の代表がネルケ師でしょうか。何しろ、ホームレス仲間の輪に加わり、一緒に生活しながら、彼らが「生活の工夫をして、明るく逞しく生きて」いることに感動するのですから。そして、次のように言います。
「ホームレスを救済?とんでもない。ホームレスよりも、毎朝肩を落として駅からビルの群れに向って急ぐ、サラリーマンやOLこそ救済しなければそのように思っていました」、と。
 かつて、京の五条大橋の下でホームレスをしていたのは、若き日の大徳寺開山、大燈国師(1282~1337)だし、美濃の山奥で牛飼いをしていたのは妙心寺開山、関山慧玄禅師(1277~1360)です。禅にはホームレスの系譜があるのです。


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諸仏(みほとけ)の世に出つるもありがたし  友松圓諦訳『法句経』182

2024-04-01 | インポート

ひとの生をうくるはかたく
やがて死すべきものの
いま生命(いのち)あるはありがたし
正法(みのり)を耳にするはかたく
諸仏(みほとけ)の世に出つるもありがたし
        友松圓諦訳『法句経』182


4月8日はお釈迦さまの降誕会です。降誕会とは、「釈尊の誕生を奉讃する法会(ほうえ)。灌仏会(かんぶつえ)」(広辞苑)です。
キリストさまのクリスマスに比べて、地味で知らない人も多い。やはりお釈迦さまの誕生日にはサンタさんがいないから、盛りあがらないのか。僧侶たるもの、4月には声を大きくして「花まつりだー」と叫ばなくてはいけないと思う。だのに、わが妙心寺教団が発行する月刊誌『花園』令和6年4月号には「降誕」も「花まつり」の文字もない、去年の4月号にも、釈尊誕生に関する読み物は一切なかった、一昨年の4月号には釈尊誕生の話があった。なんでそんなことを憶えているかというと、一昨年4月から去年3月まで巻頭を担当していたのは私で、むきになって一年間の仏教行事、お盆、彼岸、達磨忌、妙心寺開山忌、涅槃会などに関する話題を書いていたから。一年分を小誌にまとめて、松岩寺ホームページ[お便りの蔵]」→[R05]→[12の話]で読めるから読んでみて!(http://www.shoganji.or.jp/contact.html)
そうはいっても、みなさんが「降誕会」をスルーする気持ちがわからないでもない。書きづらいのですよ。どうして書きづらいかというと、あの言葉がいけない。「唯我独尊」です。
言葉の背景を復習してみると、約二千五百ほど前の四月八日、現在のネパールにあるルンビニーで生誕された釈尊は、「手助けなくして四方に行かれること各七歩されて、自ら、天上天下、ただ我のみ独り尊し」。そう、仰ったという。現代語訳を、水谷真成訳『大(たい)唐(とう)西(せい)域(いき)記(き)』(平凡社)から引用しましたが、いくら聡明な釈尊でも、生まれてすぐに歩きはしないし言葉も発しない。後の時代にできた神話です。そんな神話化は、釈尊ご自身にとっても迷惑な話でしょうが、現代日本では、「唯我独尊」を、「ひとりよがり」のたとえと誤解するから深刻です。
深刻で書きづらいならばその部分にふれなければ良いと思うのですが。たとえば、松原哲明師は「あれに触れると、わけがわからなくなってしまう」とおっしゃって、ルンビニまで何度も行って書いた釈尊伝で、生まれ故郷に吹く風の香りは書いても、「唯我独尊」には書いていないと思う。
というわけで、書きづらい降誕会の言葉は、冒頭にかかげた法句經182節の言葉です。法句經は最も古い経典のひとです。古いということは脚色されずに、お釈迦さまが語ったことばに近いものが記録収録されています。
これがなぜ、降誕会の言葉かというと、末の行に「諸仏(みほとけ)の世に出つるもありがたし」があるから。翻訳者の友松圓諦(1895~1973)が著書『法句經講義』(講談社学術文庫)で次のように解説しています。「仏教の正法を身の上に体験せられた釈尊と言う方を歴史上われわれを持っている」、と。釈尊の誕生が「有ること難し」、有り難いというのです。

ちなみに、冒頭の句は漢訳・法句經から日本語に訳しています。もともとはインドの古典語のパーリ語で伝えられています。漢字経由ではなくて、パーリー語の『ダンマパタ(真理のことば)』から直接訳した中村元訳『真理のことば 感興のことば』(岩波文庫)から同じ節を紹介します。

人間の身を受けることは難しい。死すべき人々に寿命があるのも難しい。正しい教えを聞くのも難しい。もろもろのみ仏の出現したもうことも難しい。

 友松圓諦訳と原典に忠実に訳した中村元訳。どちらがお好みですか。


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花びらは散っても花は散らない

2024-03-01 | インポート

花びらは散っても花は散らない

写真 千田完治

春にふさわい言葉を三月にかかげました。金子大栄(1881~1976)師の言葉らしい。「らしい」と書くのは、またまた孫引きだからです。引用のもとは、松原行樹講演録『心に一輪の花を』(伊勢崎市・玉村町佛教会編)です。
 松原という姓をみて、「ふふーん」と思った方もおられるはず。行樹君は松原哲明(1939~2010)師の四男です。ということは、仏教書としては空前のベストセラーになった『般若心経入門』(祥伝社)の著者、松原泰道(1907~2009)師のお孫さんです。
 令和5年10月26日に伊勢崎市文化会館で行われた講演を文章化したものです。行樹師の顔写真入りの講演録ですが、チラット見た時は、15年前に突然に亡くなった御父君哲明師の追悼録がまた出たの!と思わせるような、よく似ています。
 行樹師は現在、横浜市にある円覚寺派に属する寺の住職していて、昨年までは円覚寺派教学部長という重役に就任していました。そんな新進気鋭の禅僧のお話しの場所は、定員1500人のホール。お寺の本堂での法話よりも、大ホールでの講演が多かった、泰道師と哲明師の在りし日を思い出させます。まさしく、「花びらは散っても花は散らない」のです。
 A4版で30頁の冊子の中から一部分を引用します。行樹師は哲明師の四男と書きましたが、今は年上に2人のお兄さんしかいません。ご長男は生まれてすぐに亡くなっているのです。その五十回忌法要の時の話です。

「花びらは散っても花は散らない」。金子大栄先生のお言葉でございます。「散ってゆく花びらの中に、散らない、本当の仏の命をわかってくれよ」ということでありましょうか。 私がここにいるということはどういうことでしょうか。私だけではありません。皆さんお一人お一人がここにいらっしゃるということ。皆さん自身が生きているということはどういうことでしょうか。先祖代々の果てしなく長い歴史の中で、生まれては亡くなり、生まれては亡くなり、そうして花びらは散っていったけれども、この自分自身に流れている大きな命というものは、今ここに私達がこうして花を咲かせているんだということですね。何とも不思議なこのお花というのは自分が生まれてから一度も枯れたことがないんです。この花を私達は仏の命というのではないでしょうか。
 法要当日(注=長兄五十回忌)、横浜(注=帰路)までの道中で、そういうことにはっと気づいたときに、短い、二日と四時間、この命を一生懸命に生きて、この世を去って行った兄の、仏の命を正にいただいて生きているんだなということを実感致しましした。この仏の命というのはお釈迦様のお言葉にもございました。

 この部分だけでは消化不良。近いうちに、大ホールではなくて、松岩寺本堂でお話をしていただける機会を作れると良いのですが。春の夢に終わらないように!


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始めたことは必ず終わる    田口ランディー

2024-02-01 | インポート

始めたことは必ず終わる    田口ランディー

                        写真 千田完治

 1月のことばは、井原西鶴(1649~93)の『世間胸算用』にあるせりふ「蒔かぬ種は生えぬ」でした。蒔いたら芽がでてどうなるか。運良く育って実がなったら、誰かの腹をみたし、あるいは花を咲かせ、見るものの心は和んで、使命をはたすわけです。
 2月は、作家の田口ランディーさんの言葉です。1月のことばの続きというか、総括になるでしょうか。種をまく時、心配するわけです。毎日水をやらなければならないだろうか。その世話ができるだうか。無事に育っても大きくなりすぎたら、どうしようか、と。でも心配するな!「始めたことは必ず終わる」から。そう作家は言う。
 さて、1月も小正月(15日)を過ぎたころでしょうか。檀家のSさんが「遅くなったけれど、新年のごあいさつに」とやってきました。Sさんは97歳になるお婆さんです。同居しているお孫さんの運転する車に乗ってきて、歩行器のお世話にはなっているけれど、耳も遠くはないし、おしゃれして元気です。
 Sさんが言いました。「どうやって、終わるのか。それがわからないから心配でね」。
 終わるといってもいろいろあるけれど、お婆さんが言っているのは、自分の命のことです。私は言いました。「大丈夫!みんながやっていることだから」。
 私の答えには、出典があります。やはり作家の田中澄江(1908~2000)の名言です。「親も、友達も、みんな死んでゆきました。それくらいのこと、私にだって出来るでしょう」。この言葉は、山田風太郎著『人間臨終図鑑』(徳間書店)でしりました。拙書『おうちで禅』(春陽堂書店)の240頁で引用しています。未だお買い求めでない方はどうぞ(『人間臨終図鑑』ではなくて『おうちで禅』です)。

 さて、2月15日は釈尊入滅の日、涅槃会(ねはんえ)です。涅槃とは「吹き消すこと、消滅の意」(広辞苑)。生命が始まれば、必ず終わりがある。復活などしないで、静かに消え去るわけです。釈尊最期の言葉は、「自らを灯(ともしぴ)とせよ、法を灯(ともしび)とせよ」だったと伝えられています。ともしびにたとえた綺麗なことばです。でも、いちどロウソクの消え去るのをよく観察してごらん。芯が全部燃え切ってしまったとしても、完全燃焼はしないのですね。残蝋(ざんろう=もえかす)がどうしても出来てしまう。これ、どう思う!

 

 


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