多摩平和イベント実行委員会

多摩の市民グループが「戦後60年」を契機に地域の視点から、「戦後」「平和」「民主主義」を考える

イ・ヒジャさんの思い。なぜ、靖国神社の合祀に反対するのか。

2006-07-10 01:43:16 | 靖国

 8日の「イ・ヒジャさんとの交流会」は、予想を上回る皆さんにご参加いただき、急な企画ではありましたが、やってよかったと心底思っています。ご協力に感謝いたします。TAMA女性センターとの共催として、今回の企画は「一人の女性の生き方として」という視点も内包した効果は十分あったと思っています。最大限24人位しか入らないワークショップルームに何と40人近くの方々に入っていただきました。会場内はイさん一言一言を聞き逃すまいと、特に後半の平和遺族会の方の発言時には涙を抑えられない方々もおられたと思います。

 当日は、水車村の紅茶やお菓子も用意しました。とにかく大勢の皆さんのご協力に感謝、感謝です。

 イさんは、なぜ、「あんにょん サヨナラ」を制作するようになったのか、なぜ、父の靖国合祀にこだわるようになったのか、本当に丁寧にお話いただきました。日本に併合された国に育ちながら日本軍として徴用され、日本軍として中国で戦い、戦死したイさんの父。しかし、日本政府は、韓国に住む遺族には何の通知もせず、遺族が戦死の経緯など詳細を知ったのは1990年代に入ってから。しかも、韓国政府から戦死と知らされたのは、1973年。日本政府の公式記録の「軍人軍属名簿」の「写し」が届き、父の欄に「合祀済」の判がおしてあることを知ったのは1996年。合祀していたのは1959年6月だったということが、その時、はじめて分かったのです。

 イさんは「強制的に徴用されたにも関わらず、遺族には外国人だからと戦死したことを知らせず、しかし、靖国には勝手に合祀し、靖国神社は神となったと説明し、神となった者の取り下げはできない、と強弁する」と憤りを話してくれました。
 日本政府は、戦没者名簿を整理するたび、靖国神社に旧日本軍の陸軍、海軍など所属部隊を記載した名簿を通知してきました。イさんは、「戦争を遂行するための陸軍と海軍の軍隊の神社として建てられ、戦死したもののみ、日本政府から通知を受け、神として祭るということは、一宗教法人の靖国神社と日本国政府は、戦争が終わった後も、一体として機能していることを示している、として、神道を信仰しない人々に対する侮辱」と厳しく日本政府の名簿提出を叱責します。

 それが、イさんら韓国に住む旧日本軍人・軍属の遺族らによる「合祀取りやめ訴訟」でした。しかし、今年の5月26日、東京地裁は、「国による戦没者通知は、原告に具体的不利益を強要するみものではない」として原告の請求は棄却されます。



 映画「あんにょん サヨナラ」には、イさんの父の足跡を求める旅が描かれています。
 8月12日(土)に、多くの皆さんに、この映画を是非、見ていただきたいと思います。

改めてイさんの話を聞き、その意を強くしました。

 チケット、頑張って売りましょう。満席にすることで、イさんの気持ちに少しでも近づきたいと思います。

映画のサイトは下記のアドレスです。

http://taenoha.com/tamaheiwa

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