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B級会社員のOFF日記(現在無職です)

尻毛助左衛門と尻毛又丸の珍道中の日記を公開しています。

定年サラリーマンのOFF日記もあります。

引き上げ記念館・・・少しのことにも先達はあらまほしきものなり

2017-08-16 21:57:49 | 雑感

美濃国北方にある還暦男、年寄るまで、舞鶴の引き上げ記念館を行かざりければ、心うく覚えて、ある時思い立ちて伴の男と列車にて行きけり。

穂積、大垣、米原、京都、綾部を経由して舞鶴へ行きけり。

駅前案内所にて「かまぼこ手形」を購入して、バスにて行きけり。

記念館の展示に感銘して、かばかりと心得て、帰りけり。

さて伴の男に曰く「年頃思いつること、果たしはべりぬ。聞きしにも過ぎて、貴重にこそおはしけれ」

帰りの車中で驚愕す。「桟橋まだ見ぬ」

少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。

 

 

舞鶴の引き上げ記念館は以前から行きたいと考えていました。

平成29年夏盆休み。青春18きっぷを利用して又丸を伴にして舞鶴へ行きました。

記念館に入館し感銘を受けました。

しかし、桟橋自体を見ることを忘れてしまいました。

そういえば、中学校時代、徒然草でありました。仁和寺の法師の話が・・・。

 

(完)

 

 


父は戦争映画が嫌いだった、何も語らず・・・

2017-08-16 20:54:45 | 雑感

父は戦争映画が嫌いだった、何も語らず・・・

 

父は大正生まれ。

開戦時は20代前半。

小学生の頃 映画を見る場合はほとんど岐阜の柳ケ瀬。

丸物デパートを中心にして映画館がたくさんあった。

岐阜劇場、衆楽、第一映画劇場、青雲館、セントラル劇場、豊富館・・・

怪獣映画をよく見た。戦争映画も好きであった。

(私) 「この戦争映画を見ようよ」

(父) 「・・・駄目!!」

(私) 「どうして?」

(父) 「・・・戦争は嫌いだ」

(私) 「どうして?」

(父) 「戦争を思いだしたくはない。・・・」

父の顔が急に険しくなり、私はそれ以上聞くことは出来なかった。

私が大学の3年生の時、父はがんで他界した。

母の話によると、父は中国戦線に行った。

母もそれ以上は知らないと言う。

テレビや新聞報道で戦争を語る人がいる。勇気ある人と思う。

何も語らずに死んでいった人はたくさんいる。

父もその一人、とても子供に戦争を語ることは出来なかったのだと思う。

 

 

 

 

 


戦争の悲惨さを改めて感じることはできる

2017-08-15 22:03:21 | 雑感

戦争の悲惨さを改めて感じることはできる

 

今日は終戦記念日または敗戦記念日

戦争の体験を語ることはできないが、戦争の悲惨さを改めて感じることはできる。

 

先日、瑞穂市の図書館で偶然手にした本。

 

漫画家たちの戦争

「出征と疎開そして戦後」

発行所 株式会社 金の星社

 

この本に収録されている作品は以下の通り

① 『ドラえもん』より「白ゆりのような女の子」    藤子・F・不二夫

② 「ゴットファーザーの息子」            手塚治虫

③ 「火垂るの墓」                  野坂昭如・原作 滝田ゆう・画

④ 「この世界の片隅に」               こうの文代

⑤ 「ああ七島灘に眠る友よ 疎開船「対馬丸」の悲劇」 石野径一郎・原作 木内千鶴子・画

⑥ 「夕映えの丘に そこも戦場だった」        佐藤まさあき

⑦ 『人間交差点』より「消えた国」          矢島正雄・原作 弘兼典史・画

⑧ 『てつぼん』より「汽車ほっぽ」          高橋遠州・原作 永松潔・画

⑨ 『垣根の魔女』より「御身大事に」         村野守美

 

いずれも著名な漫画家です。

⑦の「人間交差点」はよく読んでいました。

⑧の「汽車ぽっぽ」という歌は「兵隊さんの汽車」という戦時中作られた歌であることを知りました。

こども達が出征する兵士を見送る歌

 

歌詞は以下の通り

汽車 汽車 ホッポ ポッポ

シュッポ シュッポ シュッポ シュッポポ

兵隊さんを乗せて

シュッポ シュッポ シュッポ シュッポポ

僕らも 手に手に 日の丸の

旗を振り振り 送りませう

万歳 万歳 万歳

兵隊さん 兵隊さん 万万歳

 

二番三番は省略

 

拙者が出征していれば、誰よりも早く、弾に当たっていたと思います。

 

中学校の体育の時間のことです

ソフトボールの大会があり観戦していました。

一塁側

どこかのチームの選手がファールを打ちました。

拙者はみんなに「危ないぞ!!」と叫ぶ。

すぐ後に、ソフトボールのボールは私の体に当たりました。

他の人はボールを避けましたが、中学時代の拙者は避けることが出来なかった。

すごく恥ずかしかったことを今でも覚えています。

 

戦争のない今は平和です。

横になってしまいました。申しわけありません。

(完)

 

 

 


夏は・・・・・・つとめて・・・・・( ①早朝 ②おつとめ 早朝学習)

2017-07-22 21:53:16 | 雑感

夏はつとめて・・・

毎日毎日 暑くてどうしようもない。

 

枕草子では 「夏は夜 月のころはさらなり。闇もなほ 蛍の多く飛びちがひたる。また1つ2つなどうちひかりて行くもをかし。雨など降るもをかし」

 

夜でも悪くない。しkし、真夏の温度は夜中でも下がらない。

拙者は思う。   夏はつとめて  つとめての意は

                                                                                                          

         ①早朝である。早朝の温度は25度前後である。

         早朝は静かである。聞こえてくるのは新聞配達の音 鳥の声 

         6時半になるとやっと、ラジオ体操の音が聞こえ、子供たちの元気な声がこだまする。

         ② お勤め。。。仏教用語。我が家では月命日の日に寺の坊さんが来て祈祷する。

         朝の勤行。拙者は月1日。午前5時前に起床して、6時の座禅会に参加する。場所は西美濃の格調高い禅寺である。

         只々座禅をするだけである。嫌なことは忘れてしまうことができる。

         日中の涼しい所はお金がかかる。お金がかからない図書館は概して子供の多く、うるさい場所せある。

 

         誰にも邪魔されない時間がそこにはあります。

 2017年7月22日


雑感・・・昔の思い出(中学の修学旅行その2)

2016-07-04 21:12:17 | 雑感

雑感・・・昔の思い出(中学の修学旅行その2)

 

上野国立博物館・・・妥当なコースである。これも思いだせない。

夜の東京観光・・・東京タワー、銀座通り、田舎には決してない光景で、「物珍しく、面白く、時間の経つのも夢のうち」。

楽しかった旅行も終わりに近づく。

 

岐阜へ帰る電車は来た時と同じ「こまどり号」

この列車は往路は昼行列車、復路は夜行列車、各1編成しかない車両を効率よく運用するもので、学校と旧国鉄の両者の考えによるものです。

昭和35年4月から運用されました。大垣から品川・東京間を走る「こまどり」号は、修学旅行専用車両の159形(153形を少し変える)でした。

修学旅行シーズン以外は臨時準急「ながら」として運転される昼行急行としてダイヤが編成されていました。

 

他の地域では

品川~京都間は      「ひので」

品川~大阪・神戸間は  「きぼう」

東京・品川~明石間は  「わかば」

京都から下関間は     「友情」

品川~下関は        「わこうど」

と言う修学旅行専用列車が走っていたそうです。

 

垂直のボックス席。寝ることなど不可能。決して寝るどころではない中学生ですが、・・・。

あの時の私のボックス席には、男ばかりでした、そのメンバーの名前も顔も思い出せませんが、

隣のボックスにいたA子さんの名前と顔は今でもはっきりと覚えています。

淡い恋のお話です。

 

(完)