芥川龍之助 「貉」より
貉は神武東征の昔から山野に住んでいたらしい。
人を化かすこともあったのだろう。
陸奥の汐汲みの娘が 汐焼の男と恋をした。
男は毎夜磯山を越えてやってくる。
娘もやってくる。
しかし 娘は毎夜来ることが出来ない。
娘には母が一人いて なかなか 来れない。
ある夜 一番鳥が鳴いても 娘はまだ来ない。
そんなことが何度かあった。
男は屏風のような岩のかげで待っている。
寂しさを紛らすために 高らかに歌を歌った。
波の音に消されないように 一所懸命 唄う。
潮を浴びて 男の声は 涸れていた。
これを聞いた母親は そばで寝ている娘に
「あの声は何だろう」と言った。
始めは寝たふりをした娘も答えない訳には行かない。
「人の声では ないのでは・・・」
狼狽したあまり 娘は誤魔化した。
「人ではなくて 何が歌うのか」と母は問う。
「貉かもしれない。」と答えたのは 娘の機転である。
夜が明けると 母は近くの蓆(むしろ)織りに話した。
蓆織りは この話を 蘆(あし)刈りの男に話した。
話は伝わり伝わった。
・・・中略・・・
(続く)