班女・・・再会の場面
花子は歎きます
(花子) 「扇には裏表があるが、この形見の扇よりも、もっと裏表があるのは人の心なのである。
扇が「逢う」には縁があるなどというが、それは嘘。扇をもっていても、逢わずにいるからこそ恋の心はわが心を離れない。
恋の心は我が身を離れない。我が身からは恋の心は離れないのだ、あああ。」
(少将) 「だれか いるか」
(従者) 「お前におります」
(少将) 「あの班女が持っている扇を見たいと申しなさい」
(従者) 「かしこまりました」
(従者) 「班女よ、あの御輿の内から、班女の持っている扇をご覧になりたいとのことであります。さしあげなさい。」
(花子) 「この扇はあの人の形見なので、我が身離さず持っています。
・・・形見こそ 今はあだなれ これなくは 忘るる隙も あらましものを・・・
の古歌のように、これがなければ」
(花子) 「とは思うけれども、それでもやはりまた、これがあるとあの人に寄り添っている気持ちになるので、そのような時には、
扇を取るためのそのわずかな時間さえも、惜しく思われる。そういう訳だから、他人に見せることはすまい。」
(地謡・少将) 「それはこちらにとっても、忘れにくい形見の品。ただそのことを言葉に出して言わず
顔色にも出ないというのでは、それだとわかることもあるまい。
この扇を見て初めてわかることだろう」
(花子) 「さてさて、この扇を見て何のためになると言うのかしら。
この、夕暮れ方の月を描きだしている扇について、こんなにもお尋ねなさるのは、いったい何のためだろう。」
(地謡・少将) 「なんのためか、今はわからないとしても、あの野上で旅寝した時の秋と言う約束はどうしたのだろう」
(花子) 「ええ、野上と言われるか、野上と言う東の国、それでは、東国の果てまで行って、
約束を守らず帰って来なかった人なのかしら。」
(地謡・少将) 「そのことを今更、どうして恨みに思うことがあろうぞ、そなたとは固く約束しておいたこと」
(花子) 「ではそちらにも形見の扇をお持ちで・・・・・・」
(地謡・少将) 「そのとおり、この扇は身から離さず持っていたのだ。」
(地謡) 「扇を取り出したので、折も折、夕方の薄明りのぼんやりしたなかで、夕顔を描いた扇である。
(花子) 「この上はお付きの人に明かりをお命じになって、こちらの扇をご覧ください。」
(地謡) 互いに扇を見たところ、愛するあの人と分かりあう。
形見として、お互いの扇を取り換えることは、男女の愛情を示すもの。
形見の扇こそ男女の深い絆であった。」
(完)
地謡・・・・能楽用語。斉唱で謡の地(じ)の部分をうたってシテそのたの演技を助ける人たち、またその時うたわれる地の謡。
小学館 日本古典文学全集 謡曲集 より