継体天皇と薄墨桜(岐阜県の歴史・番外その2)
歳月は流れて、継体天皇が26歳になった時、従者の一人の兼平の娘と結婚しました。
その後出生の地、尾張にある、真清田神社に苦労の末、参拝しました。
根尾に戻る際に、持ち帰ったのが桜の苗木です。
その後大和朝廷より勅使が根尾を訪れる。
継体天皇が根尾を去るにあたり、詠まれた一首が
「身代と 遺す桜は 薄住よ 千代に其の名を 栄盛へとむる」
この苗木は薄墨桜として、国の天然記念物になっています。
樹齢1500年以上のエドヒガンザクラの古木
日本三大桜に数えられている。
毎年3月の第三週目の土曜日には、愛知県の一宮市の真清田神社を朝の6時にスタートし、岐阜県の本巣市根尾を目指すウォーキングがあります。
全長60キロのコースです。60キロコースのほか38キロ、28キロ、18キロのコースもあります。本巣市主催です。
翌日の日曜日には23キロコース、13キロコースが、あります。
今年、拙者と又丸は翌日の13キロコースに参加しました。
来年も参加しますので、宜しくお願いします。