B級会社員のOFF日記(現在無職です)

尻毛助左衛門と尻毛又丸の珍道中の日記を公開しています。

定年サラリーマンのOFF日記もあります。

継体天皇と薄墨桜(岐阜県の歴史・番外その2)

2016-06-13 21:06:17 | 岐阜県の歴史

継体天皇と薄墨桜(岐阜県の歴史・番外その2)

 

歳月は流れて、継体天皇が26歳になった時、従者の一人の兼平の娘と結婚しました。

その後出生の地、尾張にある、真清田神社に苦労の末、参拝しました。

根尾に戻る際に、持ち帰ったのが桜の苗木です。

 

その後大和朝廷より勅使が根尾を訪れる。

継体天皇が根尾を去るにあたり、詠まれた一首が

「身代と 遺す桜は 薄住よ 千代に其の名を 栄盛へとむる」

 

この苗木は薄墨桜として、国の天然記念物になっています。

樹齢1500年以上のエドヒガンザクラの古木

日本三大桜に数えられている。

 

毎年3月の第三週目の土曜日には、愛知県の一宮市の真清田神社を朝の6時にスタートし、岐阜県の本巣市根尾を目指すウォーキングがあります。

全長60キロのコースです。60キロコースのほか38キロ、28キロ、18キロのコースもあります。本巣市主催です。

 

翌日の日曜日には23キロコース、13キロコースが、あります。

 

今年、拙者と又丸は翌日の13キロコースに参加しました。

 

来年も参加しますので、宜しくお願いします。

 


継体天皇と薄墨桜(岐阜県の歴史・番外その1)

2016-06-12 22:50:23 | 岐阜県の歴史

継体天皇と薄墨桜(岐阜県の歴史・番外その1)

 

日本書紀では第29代継体天皇は近江の国に生まれ、幼い時に父を亡くしたため、母の故郷である越前の国で育てられた。

のちに大和朝廷に迎えられた、。

 

しかし岐阜県本巣市根尾に「真清探当証」の写本があります。

 

田中 豊氏はこの写本を研究されています。

 

この写本によると、継体天皇は父である皇子が政変を逃れ、愛知県一宮市に隠れ住んでいた時に、生まれた。

さらに、岐阜県本巣市根尾まで行き、育てられた。

 

 

(次回へ続く)


岐阜県の時代(その1)・・・・・・昔は海

2016-06-11 22:50:12 | 岐阜県の歴史

岐阜県の時代(その1)・・・・・・昔は海

岐阜地区・西西濃地区の人たちは西に伊吹山(1377M)、東に金華山、北に根尾の山々を見て暮らしている。

南は伊勢湾まで平野。

しかし、大昔は海であった。

金生山は今から2億1000年前に、海底が隆起してできた山と言われている。

長良川は金華山の麓で海に注いでいた。

岐阜市の旦ノ島、近ノ島は昔本当に島であったと言われている。

本巣師糸貫の桑山は別名、舟着山と言われている。

因みに北方町の標高は10メートル。

岐阜県は木曽、長良、揖斐の大きな川が流れ、水害に悩まされてきた歴史があります。

 


岐阜県の歴史(その2)・・・古墳時代

2016-04-13 20:28:43 | 岐阜県の歴史

 尻毛助左衛門は生まれも育ちも美濃であります。大学時代は他県で過ごし、就職は金融機関で全国各地を転々としました。

結婚も他県で、ようやく岐阜に戻りましたが、岐阜のことは知らないことばかりです。

そこで、光文書院発行の岐阜県の歴史(岐阜県郷土史研究会編)を参考にして、岐阜県の歴史を簡単に、自分流に書きますので宜しくお願いします。

 

第1章 古墳時代

岐阜県には数千の古墳があるそうです。多くは円墳、前方後円墳は数十にとどまります。

昭和41年5月、岐阜市の瑞龍寺山(金華山の近く)の山頂で、中学生が銅製の鏡の破片を発見しました。

これは中国の「漢」の時代の内向花文鏡の一部でした。この銅製の鏡と一緒に弥生時代後期の土器の破片の埋まっていました。

瑞龍寺山の麓には古墳があり、銅鐸の破片もありました。銅鐸は有力な人の持ち物です。岐阜市に二は昼塚古墳があります。

大垣市には県内最大の昼飯大塚古墳、本巣市の舟木山古墳群、揖斐郡池田町の願成寺西墳之越(がんじょうじ にしつか のこし)古墳群があります。

(次回へ)