平成30年8月17日 金曜日
近江今津
琵琶湖周遊の歌
この歌はここで生まれた。
「我は湖の子 白波の」
この曲は大正6年第三高等学校の
ボート部の部員による恒例の琵琶湖就航の途中
部員の小口太郎による詞を
「ひつじぐさ」(作曲:吉田千秋)のメロディーに
乗せて初めて歌われた。
戦後多くの歌手に歌われたが
昭和46年加藤登紀子がカバーしたレコードは
大ヒットした。
これは滋賀県の県の歌になった。
拙者は無茶を承知で 西美濃の炭焼きの歌を作った。
我は山の子 炭焼きの
根尾の山がら 行く年ぞ
今年も作りて 山降りる
穂積 北方 はるかなり
今年は暑くて 炭売れず
稗は得られど 米はなし
拙者も又丸も 古き良き時代の
学生とは全然違うが 近江今津は
良き町と実感した。
(続く)