B級会社員のOFF日記(現在無職です)

尻毛助左衛門と尻毛又丸の珍道中の日記を公開しています。

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中西 進先生の訳は違う

2019-04-14 00:14:27 | その他

中西 進 訳 講談社

 

天正二年正月13日に

長官の旅人宅に集まって宴会を開いた。

時あたかも新春の好きな月

空気は美しく風はやわらかに

梅は美女の鏡の前に装う白子のごとく白く咲き

蘭は身を飾った香のごとき香りをただよわせている。

 

松は臼絹のような雲はかずいて きぬがさをかたむけていて

山の窪みには霧が わだかまって

島は薄霧に こめられては

林に さまよい歩いている。

庭には 新たに蝶の姿を見かけ

空には年を越した 雁が飛び去ろうとしている。

 

ここに天をきぬがさとして

地を座して、人々は膝を近づけて祝杯をくみかえあかしえいる。

すでに一座は言葉を掛け合う必要もなく

睦(むつ)み、大自然に向かって

胸襟を開きあっている。

淡々とそれぞれが 心の赴くままに 振る舞い

快く満ち足りている。

この心中を筆にするので なければ

どうして言い現しえよう。

中国でも 多くの 落花の詩編がある。

古今異なるはずとてなく 宜しく庭の梅を

読んで聊かの歌を作ろうでかないか。

 

(拙者曰く) 大友旅人の歌の中西 進先生の訳は

万葉の風が 良く吹いているようです。

難しい訳はできません。


令和・・・序の続き

2019-04-02 20:01:51 | その他

「令」という字、音には

凛とした感じがします。

 

初春の令月にして 気淑く風和ぐ。

梅は鏡前(きやうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き

蘭は珮後(ばいご)の香(かう)を薫(かを)らす

 

加以(しかのみに あらず)

 

曙の嶺に 雲移り

松は羅(うすもの)を掛けて

蓋(きぬがさ)を傾(かたぶ)く、

 

夕べの峰に霧結び

鳥は殻(うすもの)に封(と)ぢられて

林に迷う

 

庭に新蝶(しんてう)舞ひ

空に故雁(こがん)帰る

 

訳は以下の通り

折しも

新春正月の良い月で

気は良く風は穏やかである。

 

梅は鏡の前の白粉(おしろい)のように白く咲き

蘭は匂い袋の香りのように薫っている

 

そればかりではない

 

夜明けの峰には雲がさしかかり

松はその雲の羅(ベール)をまとって

蓋(きぬがさ 註1)をさしかけたように見え

 

夕方の山の頂には霧がかかって

鳥はその霧の幕(とばり)に封じこめられて

林の中に迷っている。

 

庭には今年の新しい蝶が舞っており

空には去年の雁が帰って行く。

 

注1 蓋は貴人にさしかけた 柄の長い傘

 

(続く)

 

 

 

 

 

 


令和 

2019-04-01 13:25:38 | その他

万葉集 巻五

 

梅香の歌 三十二首 併せて序

天平二年正月十三日に

帥(そちの)老(おきな)の宅(いえ)に

集まりて 宴を申(の)ぶ

 

時に 新春 月(れいげつ)にして

気淑(よ)く 風(やわらぐ)ぐ

梅は鏡前の粉を披(ひら)き

蘭は珮後(ばいご)の香を香らす

 

・・・以下略・・・

 

蛇足ながら

「時に・・・」からの訳を

小学館の日本古典文学大系から

紹介しますと以下の通りです。

 

折しも 初春 正月の良い月で

気は良く 風は穏やかである。

梅は 鏡の前の白粉(おしろい)のように 白く咲き

蘭は 匂い袋のように 香っている。

 

令和・・・良い年になりますように。

 

追加記入(2019 04 02)

解説者曰く

最初に帥の老と書いてあるので

旅人の序文ではない。・・・諸説あり

 

 

 

 


12歳に量子学を学ぶ

2019-03-29 21:31:19 | その他

拙者は高校時代 物理が嫌いでした。

大学受験も 物理は避けて

化学を選びました。

 

あの当時 文科系 理工系の

気質自体が 違う所が多くありました。

 

しかし 最近 信じられないことではあるが

自然科学に関心を示す自分を発見する。

 

12歳の中学生が書いた「量子学の教科書

を読んで見ました。

歯がが立たないので 途中で挫折。

 

(完)

 

 


ドナルド・キーン氏死去

2019-02-26 00:45:00 | その他

2月24日 ドナルド・キーン氏がなくなった。

三島由紀夫、安部公房さんらの小説を

英訳して世界に紹介された。

心不全のため 台東区の病院で死去、96歳。

 

コロンビア大学中に

「源氏物語」と出会い 日本文学への関心を抱く。

米国海軍日本語学校に入学し

大戦中は通訳官を務めた。

 

終戦後、英国ケンブリッジ大学で学んで

京都大学へ留学する。

京都大学では 松尾芭蕉 近松門左衛門を研究した。

三島 太宰の作品を英訳する。

 

川端 谷崎 司馬さんなど日本を代表する

作家と交流する。

能や文楽の芸能を

世界に紹介した人。

 

彫刻家ロダンのモデルに

日本で唯一の女性「花子」を

顕彰する「ぎふ『ロダンと花子』の会」が

95年に発足すると 名誉会長になる。

 

拙者は著書「日本の文学の歴史」には

時々 お世話になっている。

日本人よりも日本人でありました。

ご冥福をお祈りします。

 

(完)

 

(追伸) 近くの図書館で「日本の文学の歴史」(11) を借りて

少し 読んでいます、亡き人を偲んで。