B級会社員のOFF日記(現在無職です)

尻毛助左衛門と尻毛又丸の珍道中の日記を公開しています。

定年サラリーマンのOFF日記もあります。

紀伊半島一周旅行・・・青春きっぷシリーズ第一弾

2017-03-29 22:11:42 | OFF日記

2016年12月23日

起床 0515

出発 0545

穂積駅 0610到着。

薄暗い夜明け前。青春18きっぷを取り出し、助左衛門と又丸は18きっぷの本日印を押してもらい駅構内に入る。

先頭から2両目に乗車。

穂積発車 0612 すぐに大垣駅に到着 0617

熾烈な接続列車の座席争奪戦が始まった。

ほとんどの乗客が、隣のホームに発車を待っている列車に乗るために階段を猛スピードで駆け上る。

土日祝日のこの列車の日常茶飯事である。特に18きっぷの期間は激しい。

座席を確保できなかった乗客が多数いらっしゃった。

拙者と又丸は何とか確保できた。(このために先頭から2両目という階段に近い車両を選んだ。)

大垣発車 0620

垂井 関ヶ原 柏原 近江長岡と軽快に走る。

少し明るくなってきた。醒ヶ井、次は米原だ。

米原到着 0656

接続列車は隣の三番ホーム

米原始発の12両の列車であるため、争奪戦はない。

誰も乗っていない列車が入ってきた。

列車が到着した。しかし扉は開かない。「どうしたのだろうか」と問うと

又丸曰く「冬季は車内保温のため扉は開かないのですよ」 

拙者「なるほど。なるほど」

又丸が押しボタンを押して席を確保する。

米原発車 0703 

姫路行きの新快速である。

国宝の彦根城を右の車窓に見る。暫くすると、今度は左の車窓に信長の夢と無念を秘めた安土城が見えてくるだろうか。

よく見えない。

早起きしてまだ眠い。又丸に大阪に着いたら起こすように頼む。

 

車内がざわざわとしている。目を覚ます。

京都到着 0757

京都発車 0759

まだ8時前である。

大阪到着 0827

階段を上り環状線のホームに行く。

このホームは環状線ばかりではなく、大和路快速、紀州路快速も走っている。

快晴に近い。しかし寒い。

二人が乗る紀州路快速がやってきた。8両編成の車両だが、前の4両は関西空港行き。後ろの4両は和歌山行き。

大阪発車 0839

 

(次回へ続く)

 

 

 

 

 

 


旧東海道を歩く・・・岡崎その2・・・秀吉と小六の出合いはここですか?

2017-03-23 22:21:37 | 旧東海道を歩く

旧東海道を歩く・・・その2「出合之像」

浄瑠璃時を後にする。

暫く歩くと、矢作川が見えてきた。東海道膝栗毛には次のように詠われている。

    欄干(らんかん)は 弓のごとくに 反橋(そりばし)や これも矢はぎの 川にわたせば  

       [欄干を読み込み「弓」と「矢はぎ」を縁語仕立てにしている。その立派な橋を賞している。]

 

 

 

橋のたもとには「出合之像」が立っている。

少年期の豊臣秀吉・日吉丸がこの橋の上で野伏・蜂須賀小六と出会ったという伝説がある。

当時はこの橋はまだ出来ていませんので、あくまでも伝説です。

写真の立っている人物が蜂須賀小六です。

 「蜂須賀小六は、土豪として木曽川筋の川並衆を掌握。斎藤道三、織田信賢、織田信清、織田信長に仕え桶狭間の戦いに参戦します。

その後秀吉の家臣となり、墨俣城の築城に貢献。越前金ヶ城攻め、近江の横山城攻略、および長島の一向一揆攻めで秀吉に従軍しました。

秀吉が長浜城主となると、長浜領内に所領を与えられた。備中高松城の水攻めは官兵衛の指揮という説もあいますが、小六の指揮と思います。

関ヶ原の戦いでは東軍に与し、領土を安堵され、徳島の外様第大名となりました。」

 

この付近で二人が、出会ったことは間違いありません。

人の出合いは、不思議なものです。

 

 

 

 

「出会い之像」を後にして、矢作橋を渡る。長い橋である。

川幅は広く、

「五万石でも岡崎じゃ、船で城まで船が着く。」と言われた。

八丁味噌の老舗が見えてきました。

 

(次回へ続く)

 


旧東海道を歩く・・・岡崎その1・・・義経、初対面の一夜の契り

2017-03-22 21:04:40 | 旧東海道を歩く

うな丼を食べた胃は少し驚いていた。歩くペースは落ちていく。

もう少し歩けば浄瑠璃姫の供養塔がある誓願寺である。

 

浄瑠璃姫のお話は源平時代までさかのぼります。

 

京から金売り吉次の一行は三河の矢作の長者のところに一泊します。

その中に若い義経がいました。長者の一人娘の浄瑠璃姫は歓迎の宴席で琴を弾きました。

その琴の音に合わせたのは、笛の義経でした。

二人は初対面であったにもかかわらず、一夜の契りを結びます。

源氏再興を目指す義経は笛を渡して、奥州藤原氏の平泉を目指します。

浄瑠璃姫の義経への思いは断ちがたく、その後義経の後を追って家をでます。

結局浄瑠璃姫は義経に会うことはできず、戻ってくる。

しかし、父親の長者は許さず、浄瑠璃姫は草庵を建てて住みました。

浄瑠璃姫は義経に会えない悲しみに川に身を投げて亡くなりました。

 

浄瑠璃姫の供養塔は岡崎市内に6ヶ所あります。

誓願寺もその一つです。

 

時代は下って天正年間、小野お通という女性が、浄瑠璃姫の伝説をヒントにして「浄瑠璃十二段草子」という作ったとも言われます。

しかし、小野お通一人ではなく無名の多数の人々が作りあげたと思います。

以下は梗概です。

里人によって吹上浜に追われた瀕死の義経は浄瑠璃姫の涙の雫によって甦ります。

これに節をつけて語ったものが、浄瑠璃になったとされます。

 

 

ようやく、誓願寺に着きました。

現代のお寺は多角経営のため幼稚園を経営しています。

変なおっさんを排除するため、幼稚園の園長は不審者を中に入れません。

元気な園児が楽しく遊んでいました。

 

  春まだき 園児の声は 高らかに 浄瑠璃姫は 静かに眠る  (梅丸)

       梅丸は尻毛助左衛門の雅号です。

  

補足

昨年の大河ドラマの「真田丸」で小野お通は登場していました。

お通役は八木亜希子さん。

真田信之の側室。

 

参考文献 「小野お通」小椋 一葉 河出書房新社 

 

(次回へ続く)

 

 

 

誓願寺

 

 

 

 

 

 


旧東海道を歩く・・・安城

2017-03-18 21:49:12 | 旧東海道を歩く

 

弥次さん北さんの小休止

(茶店女) 「おやすみなさいまし おめしをあがりまし お酒もございます おはいりなさいまし」

(弥次)  「腹がすこしござったじゃないか」

(北八)  「ここで小休止とやらかそう」

(茶屋女)  「よう おいでになりました」

(弥次)   「ねえさん、お飯にしよう。なんぞうまいものはないか」

(茶屋女) 「よい鮎のさかながおます

(北八)  「ナニ鮎のなますだ」 

        註・・・「鮎の・・・おます」を洒落て言った。北八は茶屋女を茶化して言ったのである。

(茶屋女)  「ヲホホホ・・・・・」

        茶屋女は笑いながらやがて鮎の煮浸しをつけて膳ををもってくる。

(弥次)  「ドレドレ。こいつはうめへ。そして豪勢に白い飯だ。」

(北八) 「エエ外聞の悪いことをいう。アレ女が笑っている。あいつは顔中がえくぼだ。」

(弥次)  「えくぼならよいが・・・。ほうべたが、くぼんで、踏み返しの馬蹄石といふもんだ。」

        註・・・沓ぬぎ石のこと。表面に馬の蹄のごとき形がある石。

    北八は例の悪口をたらたら話している。

    すると、奥から大きな声がした。

    近在の客三人が居続け(遊離で数日に亘り滞在遊興すること。)の帰りがけとみえる。

 

平成の弥次さん北さんもお腹がすく頃であった。

(尻毛) 「旧街道は狭い道ゆえ、食事のお店はありませんね」

(みこもち) 「先の交差点で、お店を探しましょう」

(尻毛) 「この際、どんな店でも入りましょう」

    安城市今本町の交差点で、店を探す。直ぐ近くに鰻屋さんを発見する。

    外から香ばしい匂いと入口横で鰻を焼く姿を見ることができる「かねぶん 新安城店」である。

(みこもち) 「このお店でよいですか」

(尻毛)  「客引きはいませんね。客引きのある店に良い店なし。格言です。店の前に椅子が並んでいます。」

(みこもち) 「なるほど。繁盛している証拠です。入りましょう。」

店に入ると満員である。しかしすぐに卓を用意してもらう。

(女店員) 「何にしましょう。」

    尻毛は「何かうまいものはあるか」と話しかけようと思ったが、

(みこもち) 「うな丼の竹にしましょう」という。

(尻毛)  「そうですね。」

(みこもち) 「竹を2つ」

     女定員はすぐに戻ってしまった。

しばらくして女定員は「竹2つです」と言い注文のうな丼をもってくる。

(尻毛) 「お茶をお願いします。」

暫く振りのうな丼である。

(尻毛) 「美味いですね。牛丼チェーンのうな丼を食べたことがありますが、不味いですよ。牛丼屋さんは牛丼ですよ」

(みこもち) 「当たり前のことを言わないでください。不味くなりますよ」

(尻毛) 「これは失礼しました。」

尻毛はご飯が少なくなると、お茶を丼に入れて

    「お茶をお願いします」と女定員に話す。

店内のお客さんは品が良かった。

平成の尻毛助左衛門は北八のような会話はできなかった。

膝栗毛のような居続けの客は当然居なかった。

 

(次回へ続く)

 

 

 かねぶん 新安城店の うな丼 竹

 

 

 

 


旧東海道を歩く・・・池鯉鮒

2017-03-17 10:28:45 | 旧東海道を歩く

 東海道中膝栗毛は弥次さんと北八さんの旅行記である。男の二人旅である。仲の良い男女の旅行記は面白くもない。

膝栗毛は永遠の名作であろう。教科書にはゴシック体で記されていた。「受験に出題されるぞ」と脅されたが、出ることはなかった。

そして受験に忙しいので、読むことは考えていなかった。

親友の「こもよみこもち氏」と男の二人旅を何年も続けている。二人は「平成の弥次さん北八さん」である。

江戸時代の弥次さん北さんは岡崎から池鯉鮒に向かっていた。

宇都(うと)という村に名物の砂糖饅頭があった。

(店主) 「名物の砂糖饅頭はいかがですか」

(北八) 「この饅頭はいくらだ」

(店主) 「三文でございます」

(北八) 「これは安い。では、こちらの焼餅はいくらだ」

(店主) 「これも三文です」

(北八) 「焼餅の三文は安い。亭主殿こうしなさい。この砂糖餅を二文にしなさい。その代わりそちらの焼餅を四文にしなさい。」

(亭主) 「分かりました。ようございます。」

北八はたばこ入れから銭を取り出す。

(北八) 「四文あらば、焼餅を買うが、二文あるから砂糖餅を買おうと思う。」

北八は二文を取り出し、砂糖餅を食べた。

亭主はあっけに取られ、肝をつぶすばかりであった。

 

平成の北八こと助左衛門は知立の旧東海道にある餅屋に入った。

木枠の引き戸を開けると、草餅が並んでいた。

鄙びた餅屋である。横井餅さん。主人はこの道50年の人。3代目であるから店は創業100年くらいであろうか。

(店主) 「草餅はいかがでしょうか。」

(尻毛) 「草餅はいくらじゃ」

(店主)  「草餅は130円です」

(尻毛) 「桜餅はいくらじゃ」

(店主) 「130円です」

(尻毛)「桜餅の130円は安い。しかし草餅しか並んでないではないか」

(店主) 「申しわけありません。この時間では、まだできていないのです。」

(先客) 「ここの餅は程よい甘さが上品ですよ。安くて美味しく全品130円」

尻毛は北八流の値引き交渉をあきらめ、土産に草餅を買い、店頭で一つ頂く。なるほど良いものは100年続くと感心する。

草餅を食べると大事なことを思いだした。

(尻毛) 「この近くに本陣跡はありませんか」

(先客) 「一本裏通りにあったはずですよ」

(尻毛) 「ありがとうございます。見てきます。」

お礼を言い、本陣跡を探した。本陣跡はあったが、古タイヤと寂しく立っていた。。

とても写真を撮る気にはならなかった。

 

2017年3月4日 土曜日 

(続く)