孝子佐吾平の遭難(無礼討ち)
江戸から京へ行く大名がいました。萩原宿から起宿へ通行していました。馬方(馬で荷物を運ぶ職業)の佐吾平は母思いの人物でした。
佐吾平は暴れ馬を取り押さえるために、明石藩主の大名行列に出てしまいました。明石藩の藩主松平氏は無礼討ちにしたという伝説があります。
後年地元では「孝子 佐吾平 遭難遺跡」という碑が建てられました。
ところが、明石藩の公式の記録では無礼討ちはありません。
どちらが正しいかわかりませんが、この事件以降 名古屋藩では明石藩の藩内通行の禁止の通達が出されました。
助左衛門は思います。明石藩では事件の塗りつぶしがあったのでは・・・・・
その後「13人の刺客」という映画がありました。この事件をもとに製作されています。