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B級会社員のOFF日記(現在無職です)

尻毛助左衛門と尻毛又丸の珍道中の日記を公開しています。

定年サラリーマンのOFF日記もあります。

盲目の太鼓打ち・・・瑞穂市巣南

2016-07-21 20:53:24 | 岐阜県のものがたり

盲目の太鼓打ち・・・瑞穂市巣南

 

昔、昔。

その年はいつもの年よりも、雨が多かった。

村の衆は思った。もしも堤が切れたら、大変なことになる。

家や田畑は流されてしまう。

村の衆は総出で、土嚢をつくり、堤へ運んだ。

雨と汗で、みんな雨と汗で大変疲れた。

しかし、夜の見張りを誰かがしなければならない

誰かがするとよいと考えていても誰も危険な仕事をしたくなかった。

そのうち誰かがだしぬけに言った。

「今日この仕事をしなかった者がいる。そいつに夜の仕事をやらせよう。あそこの盲のやつは十八なる。

あれに太鼓を持たせて、足元に水が来たら太鼓を打たせるのや」

そこの村には、生まれつき盲目の男がいた。

貧しい百姓の末っ子で、家の者にも、村の人にも厄介者扱いされていた。

 

連れてきたその男は、太鼓を胸に下げさせられ、ばちを両手に持たされた。

雨は少しもやみそうもなかった。

盲目の男をそんなところに立たせておいて、太鼓がなったら、安全なところに逃げていこうという心つもりであった。

ところが男は初めて村の衆に頼りにされたから、にこにこして、いかにも満足そうであった。

 

そして川の音はだんだん大きくなって、吠えるように聞こえてきた。

男は川の水がどのへんまで来たかと足で探ってみた。

すぐそこまで来ていた、、もう叩こうかと思ったがまだやと思い直した。

そのうち堤の上を水が洗った。

「さあ、たたくんじゃ」と男は一心に太鼓を叩き続けた。

 

「太鼓の音が聞こえたぞ。さあ、逃げるぞ。」

何度も堤の上を水が超える。

そして堤が切れて、勢いよく水の流れる音がした。

男の体が太鼓とともに、流されたのはそれからまもなくであった。

流されながらも、男は太鼓を打ち続けた。

 

二日して川下で、男の死体があがった。

その後も川の水がふえると、川下の方から太鼓の音が聞こえてくるそうであった。

 

(完)

 


むかい地蔵・・・瑞穂市

2016-07-19 23:35:14 | 岐阜県のものがたり

むかい地蔵・・・瑞穂市

 

 

結婚を誓った若い男女の悲しい物語。

地元では巣南(すなみ)のロミオとジュリエツトとも言われています。

本巣郡には巣南町という町がありましたが、今は瑞穂市となっています。

 

昔、昔。

古橋村(川下に向かって右側)の若い男は、毎晩木の橋を渡り、十九条(川下に向かって左側)の若い娘の所に通っていました。

昔の土地の習わしで、地区の違う者同士の結婚は・・・・・・・・。

どちらの両親はとても反対していました。

川の両岸の村は、昔から水争いがありました。

両岸の男女の結婚は考えられない話。

 

しかし、二人はあきらめきれず、毎日逢っていました。

大雨の夜も、逢っていました。

 

そして思い悩んだ二人は、体を紐で結んで、川へ身を投げました。

 

二人が亡くなってから、それまでいがみあってきた二つの村は話し合い、

二人の御霊を祀るために、橋の両側にお地蔵様を建てました。

 

古橋側には男の地蔵、十九条側には娘の地蔵があります。

 

長良川の支流の犀川の上犀川橋の物語です。 

(完)

 

 

 

 

 


こしき地蔵…岐阜市、揖斐郡揖斐川町

2016-07-18 11:38:18 | 岐阜県のものがたり

こしき地蔵・・・岐阜市、揖斐郡揖斐川町

 

昔、昔。

揖斐の黒田というところにいた一人の娘の話である。

ある日のこと、川に浸しておいたこしきをもちあげると、どうも重たい。

なんじゃろと思って見てみると、一尺五寸(約46センチ)の地蔵様が入っていた。

娘はそのお地蔵様を大切にして毎日拝んでいた。

 

そのうち縁があって、岐阜の近ノ島というところに嫁いでいった。

娘はその地蔵様を持って行き、毎日毎日、慈(いつく)しんでいた。

 

ところが、その女も四歳になる子を残して、病気で死んでしまった。

亭主は一周忌を迎える前に後添えをもらった。

後添えはその子をいじめはじめた。

 

ある日の事、亭主が出かけた留守の時に後添いは米を水に浸しておいたら、少し減ったような気がした。

こりゃあ、この子が盗んだに違いないと考えた。

その子を見たら、実の母の位牌を拝んでいた。

怒った後添えはその子を捕まえて、無理やり、こしきの中に押し込んだ。

そして重石をして、かまどにかけ、下から火をたきつけた。

 

亭主は途中で変な気がして、急に家に帰ろうとした。

途中でいかにも自分の子に似た子を連れて、旅の僧が向こうから来る。

よく見ると自分の子供で、

「どうしたんや」と尋ねると、

旅の僧は答えた。

「お前さんの後添いがこの子をいじめて殺そうとした。そこで身代わりをたてて、助けました。」

急いで家の中に入ると、女は火をどんどん足していた。

思いもかけず、亭主が早く帰ってきたので、女は逃げ出した。

ぐらぐら煮えくりかえる釜のこしきの蓋を取ると、先妻が持ってきた地蔵が入っていた。

 

その後男はその地蔵様の堂を建てて、供養しました。

 

(完)

 

 

 


乳母がふところ・・・各務原市

2016-07-18 10:57:28 | 岐阜県のものがたり

乳母がふところ・・・各務原市

 

昔、織田氏の岐阜城が落ちたころ、金華山の東の山あいの村に一人の女が男の赤子を抱いてやって来た。

赤子は痩せていた。どこの家を訪ねても戸を開けてはくれなかった。

女は自分の乳が出んので、乳にかわるものを、分けてもらおうとしていた。

夜が明けてみると、道端に赤子を抱いた女が座りこんどった。

赤子は泣き声をあげるが、女は立ちあがる元気もない。

なるべく近寄らなかった村の人たちも赤子がかわいそうであるので、お粥を作ってくれたり、筵(むしろ)をくれたりした。

女は赤子に粥を飲ませようとしたが、泣いてばかりでなかなか飲もうとしない。

その夜は十五夜であった。女はいくらか元気をだして、村の道を歩いていた。

すると清水の湧き出る音がする。

女は清水の所へ行って水をふくんだ。

「なんと美味しい水。この子にも水をふくませてあげよう」

独り言を言いながら、赤子に水を飲ませた。

するとそれまで泣いていた赤子は泣き止んで水を飲みだした

幾夜もぐっすり寝たことがない赤子であったが、その夜はぐっすり寝てくれた。

昼と言わず、夜と言わず、赤子が泣き出すと清水をふくませた。

女はその子をその村で育てたそうな。

 

その清水の所には、誰が立てたか知らないが、石碑が立っている。

こんな句がほってある。

 

「行く水や 乳母がふところ 湧き出でて 乳房の滝と 織田を養う」

 

(完)


お浪草・・・山県市

2016-07-17 23:11:34 | 岐阜県のものがたり

お浪草・・・山県市

 

むかし柿野という村に、咲いたばかりの水仙のようなお浪という娘がいた。

若い男たちは「柿野小町」と噂した。

お浪は美しいばかりではなく、働き者で、親孝行であった。

とても評判が良かったので、あちらこちらから嫁にほしいという話が多かった。

しかし、お浪は以前から源蔵という若者を好いていた。

お浪と源蔵が好きあっていることは、村の誰もが知っていた。

あれなら、良い世帯をつくるだろうと噂しあった。

 

源蔵は一日の山仕事がすむと、谷川で顔を洗う。

そこに、お浪は菜っ葉や大根を洗いにくる。

二人は目と目で心を通じ合う。

 

祝言の日も決まっていた。

 

紅葉した山で、一日働いて、夕方いつもの谷川に降りてくると、お浪は大根を洗っていた。

いつものように源蔵はお浪の顔を見たが、どういう訳か目と目があわなんだ。

確かにお浪は目をそらしていた。そして急いで立ち去っていった。

「祝言も近いし、ちいと話もしなきゃならない。」と言った。

<何か気に障ることがあるのか。お浪のあんな顔を見たことがない>

源蔵はだんだん心配になってきた。

 

夕ご飯は喉を通らなかった。夜寝ようと思っても寝ることはできなかった。

その夜は不安で不安でしかたがなかった。

源蔵はむっくりと起き上がった。

そうしてお浪の家に出かける。

 

お浪の部屋の前に立った。

部屋の中で物音がする。

源蔵は愛しさに思わず、

「お浪」と呼んだ。

すると訳の分からない形が障子にうつった。

よく見ると、太い太い蛇であった。

蛇は鎌首をあげて、大きな口を開けた。 

源蔵はひっくりかえった。

気づいたときは自分の寝床の中でがたがた震えていた。

どこをどう走ってきたか覚えていない。腕と膝をけがしたらしく、それが傷む。

 

その頃から雨が降り出した。

お浪の家ではお浪がいないと大騒ぎになった。

村中の人が探したが、どこにもいなかった。

 

それから何日もたった。

ある夜、源蔵の枕元にお浪が来てすわった。

「どうか許してください。私はあの山に住む龍の子供を七人も生んでしまいました。

あなたと睦まじいところを山に住む龍に見られて、私は連れて行かれてしまいました。

他の良い人を探してください。」

手をついてそう言ってから、お浪の姿は消えた。

 

柿野あたりでは、今まで見たことがない白い花が草の中に咲くようになった。

誰かがそれを「お浪草」と呼ぶようになった。

 

源蔵は山仕事はしないで、お浪草をつんでふらふらと歩きまわっていた。

秋になるとその白い花はあちこちに咲いて、源蔵を呼ぶように揺れている。

 

(完)