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B級会社員のOFF日記(現在無職です)

尻毛助左衛門と尻毛又丸の珍道中の日記を公開しています。

定年サラリーマンのOFF日記もあります。

尻毛松枝の半生

2014-02-24 22:23:38 | 日記

尻毛松枝は一族の中で優秀

高校三年になると、大学進学を目指しました

尻毛の自宅から通学できる東海地区の国公立大学を受験し、見事に現役で合格し入学

卒業後は南九州の方と結婚し、「尻毛」の姓はとれて「〇〇 松枝」に

現在1男2女の母となる

お仕事は新聞関係である

 

拙者とか又丸とはずいぶん違う半生である

(続く)

 

 

 


新潟発日光行き帰省旅行・・・変わり種ルート

2014-02-11 09:31:26 | 日記

目をつむれがいろいろなことが思いだされる

 

10年ほど前4年間拙者は新潟へ単身赴任をしていました

月2回の週末の金曜日は家内のいる日光へ帰っていました

① 新幹線x新幹線コース

  新潟18時16分発 とき344号大宮19時46分着

  大宮20時06分発 やまびこ219号 宇都宮20時34分

  宇都宮21時00分 普通 今市着21時33分

  これは少し高いなあ~とB級は思いました

② 新幹線x東武鉄道コース

  大宮からは東武鉄道がでています これは利用できそうだ

③ 新幹線高崎下車x両毛線横断コース

④ 郡山まで高速バスコース

⑤ 池袋まで高速バスコース

⑥ 只見1泊コース

⑦ 翌日 青春18きっぷコース

⑧ 翌日 わたらせ渓谷鉄道コース

⑨ 翌日 野岩鉄道・会津鉄道コース

詳細は後日投稿します

 


長屋のような付き合いが

2014-02-06 23:29:34 | 日記

平成26年2月某日

又丸殿の母上は昨年秋、米寿を迎え耳が大変遠い

自然に又丸の声は大きくなる

(又丸) 「母上~ お醤油がありません~ お醤油のない刺身はいけません」

(母上) 「又丸どうしよう~  お店はどこも閉まっているでしょう」

(又丸) 「大丈夫  又左衛門殿のところに行ってきます」

 

又丸は手拭いを首に巻いて、拙者の家にやってきた

(又丸) 「醤油を切らしてしまいました 少し分けていただきたい」

(又左衛門) 「拙者は健康のため醤油はあまり使わない お好きなだけお持ち帰りなさい」

(又丸) 「かたじけない! ありがたい!」

(又左衛門) 「今日はまた粋な手拭いですな」

(又丸) 「現在54本あります 100本まで集めたい」

 

拙者の家から又丸殿の声が時々聞こえる

昔は敷地は広く柿の木は数10本あったという

しかし敷地は代々狭くなり、隣の家の又丸殿の声も聞こえる始末である

樹齢100年近い柿の木は毎年元気で秋には200個以上の実をつけてくれる

切られずに残ったこの老木は優しく今年も尻毛家を見守っている

(次回へ続く)

 


本日天気晴朗ナレドモ山高シ

2014-02-05 21:51:44 | 日記

平成26年1月12日

    未明のことである   「痛い・・・・・・」

なんとベットから落ちてしまった

窓の外をみる・・・「本日天気晴朗ナレドモ山高シ」

7時30分 わが師匠は拙者より先にテーブルについていました

朝食 美味い 小さな御ひつのご飯は茶碗3杯分あったが、すべて平らげる

(師匠) 「今日は絶好の天気だよ」

(尻毛) 「準備万端、いざ出陣」

朝食後近くのコンビニで弁当を買う

 

尾鷲9時3分普通「新宮」行きに乗車

「三木里」9時21分着

 

1時間近く歩いて登山口に着く

「名柄一里塚」で、後ろから男女二人ずれが近づく

振り向くと「軽装にして足軽し」・・・アッという間に抜かれる

 

石畳はいつ終わることもなく続く、師匠は後れだした拙者を時々待っていてくださる

登り方のコツも教えてくださる

所々にあるベロだし地蔵は意地悪く「アカンベー」と言っているようだ

もう少し頑張ろうと何回も自分に言い聞かせ、登り続ける

師匠から「もうすぐ、もうすぐですよ!」の声が上から届く

12時過ぎ、信じられないところ「桜の森広場」に着く

この日は無風で快晴で最高の日、南には三木崎から賀田湾

東には九鬼湾から尾鷲湾が見える

 

寒いと思ってホッカイロを背と腹ばかりでなく、両ひざ、両腕にも張ってきた

ズボン下2枚、アンダーシャツ2枚、セーター、ジャンパーと本格的な山への服装

暑くて汗がでる 背中の汗は休憩で冷たくなってきた

元気も少し出てきて、下りの石畳の先の温泉に入りたいと切に思う

登りよりも下りが急である

「桜茶屋一理塚」で一休み、「七曲り」で尻もちをつくが、「駕籠立場」「麗茶屋敷」を無事過ぎる

16時過ぎやっと峠の登り口に着く

師匠のおかげであります

ありがとうございました

16時30分 熊野古道センター近くの温泉で汗を流すことができた

後は南紀8号で名古屋へ

 

 

 

 

 

 


西国一の難所に挑むぞ・・・

2014-02-04 20:37:48 | 日記

平成26年1月某日

拙者は数日後に挑むことになっている「八鬼山越え」を真剣に考えこんでいた。

「・・・どうしよう・・・」

どのガイドブックを読んでみても、「西国一の難所」 「供養碑3基」と書いてある

拙者が4番目の供養碑になるのではないかと思っていた

そしてとりあえず考られるすべての準備をしよう

1度も入ったこともない山登り専門店で、いろいろ買い集めた

登山靴、カッパ、靴下、非常食2回分、山用帽子、手袋

そして登山用ナイフを買おうしたが、お金がなかった

 

天気予報のお姉さんは「週末は気温が下がります お出かけは控えましょう」と

拙者は・・・「お出かけではなく、西国一の難所の峠越えなんですが・・・・・」と

テレビのお姉さんに話した。

 

予想通り気温は下がってきた

 

二日前、拙者は熊野古道センターに確認の電話をした

(尻毛) 「最近、八鬼山での犠牲者は何人ですかな」

(担当者) 「犠牲者?・・・ここ何年もありませんよ」

(尻毛)  「この週末は気温も下がり、危険ではありませんか?」

(担当者) 「少し寒くなりますが、お越しをお待ちしています」

 

「お越しをお待ちしてます」なんて言わないでください!

拙者はこの言葉を聞いて「・・・待たせる訳にはいかない」

 

何が何でも越えてみせると決意し、熊野へ急いだ

(次回へ続く)