平成30年7月24日 火曜日
きらり 北方町 生涯学習センター
古文書講座出席。
北方戦記を読む。
北方町教育委員会発行の
「北方町の文化財」によると
北方城跡の説明がある。
「北方城は、伊賀太郎左衛門光就(みつなり)が築城し居城とした。
光就の曽孫の安藤(藤)伊賀守(いがのかみ)
守就(もりなり)は斎藤氏滅亡後
織田信長に仕え、元亀元年(1570)6月の姉川の合戦
翌年の長嶋一向一揆討伐に大功を立てた。
しかし 天正8年(1580)嫡子合渡城主
尚就が甲斐武田と内通したという嫌疑で
信長の勘気を受けたので
尚守は北方城を出て武儀郡谷口村(現関市)に蟄居した。
信長は守就の故領を収めて稲葉一鉄に預けた。
天正10年6月2日織田信長が京都本能寺で明智光秀に討たれると
守就は一族旧臣を集め北方に入るが
稲葉一鉄・貞道父子に攻められ
千代母ヶ淵に追いつめられて戦死した。
これを北方合戦と言う。・・・」
岩井三四二という岐阜県出身の小説家が
北方合戦を小説にしていることを知る。
株式会社PHP研究所 発行の
「とまどい本能寺の変」の中の一篇
「北方城の悲惨な戦い」である。
36ページの小編であるから 一気に読んだ。
北方合戦が頭の中で甦る。
(続く)