今日は、道路愛護作業。
私たちのおひざもと「田本集落」住民総出である。
集落には6つの班がある。
集落の道路を6つにわけてみんなで溝さらいなどをする。
私たちが属する田本第1班は、山道を降りたどん詰まりにある老夫婦の家を抱えているため、その山道も担当する。
これがなかなかたいへんなのだ。
冬を越して、落ち葉が水分を含んでどっしりと重い。
そのうえ、がけが崩れて岩や土砂がたっぷりと溝を覆っている。
この作業には、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちも皆、参加する。
だって、彼らも住民票を泰阜村に置く、れっきとした泰阜村民なのだから。
そう、当たり前なのだ。
こどもたちの小さな手とはいえ、18人の助っ人は、村の皆さんからそれはそれは感謝された。
身体中がきしむほどの重労働をやり終えて、老夫婦がお茶とお漬物で迎えてくれた。
その時間は、「もうこのまんまここで花見するか!」と皆が口に出すほど心地よいものだった。
こうやってお互い様で支え合っていくことを、身体で学ぶのだ。
実は私は大学時代、体育の勉強をしていた。
北海道の自然豊かな片田舎の学校で、体育の教員をやろうと想っていたが、今、信州の山奥にいる。
スポーツを教える機会はほとんどない。
でも、私は、泰阜村の教育活動はまさに体育だと想っている。
身体を通した学びこそ、体育。
「困った時はお互い様」のセンスは、道徳の時間や教室の中だけでは育たない。
地域社会のために身体を動かしてこそ、育つものだと確信している。
そう想えば、やっぱり私は体育教師である。
私たちのおひざもと「田本集落」住民総出である。
集落には6つの班がある。
集落の道路を6つにわけてみんなで溝さらいなどをする。
私たちが属する田本第1班は、山道を降りたどん詰まりにある老夫婦の家を抱えているため、その山道も担当する。
これがなかなかたいへんなのだ。
冬を越して、落ち葉が水分を含んでどっしりと重い。
そのうえ、がけが崩れて岩や土砂がたっぷりと溝を覆っている。
この作業には、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちも皆、参加する。
だって、彼らも住民票を泰阜村に置く、れっきとした泰阜村民なのだから。
そう、当たり前なのだ。
こどもたちの小さな手とはいえ、18人の助っ人は、村の皆さんからそれはそれは感謝された。
身体中がきしむほどの重労働をやり終えて、老夫婦がお茶とお漬物で迎えてくれた。
その時間は、「もうこのまんまここで花見するか!」と皆が口に出すほど心地よいものだった。
こうやってお互い様で支え合っていくことを、身体で学ぶのだ。
実は私は大学時代、体育の勉強をしていた。
北海道の自然豊かな片田舎の学校で、体育の教員をやろうと想っていたが、今、信州の山奥にいる。
スポーツを教える機会はほとんどない。
でも、私は、泰阜村の教育活動はまさに体育だと想っている。
身体を通した学びこそ、体育。
「困った時はお互い様」のセンスは、道徳の時間や教室の中だけでは育たない。
地域社会のために身体を動かしてこそ、育つものだと確信している。
そう想えば、やっぱり私は体育教師である。
代表 辻だいち