わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

あいつ元気にやってるかな~

2013年05月21日 | 震災支援:山村留学へ長期受け入れ
この週末は田植え。

一生懸命苗を植えるこどもたちの姿を見てふと想い出しました。

「あいつ元気にやってるかなあ」


暮らしの学校「だいだらぼっち」の田植え。

この日は、こどもたちが手掛ける1反(10a=1000㎡)の田んぼ。

1反といっても、3枚に分かれた棚田です。

この棚田、92歳になるおばあま(おばあ様の意味の方言)から「もう米作りをする体力はないが、手入れしないと田んぼが荒れていく。だいだらでやってくれないか」とお願いされて、手がけているものです。

このおばあまは、何十年この美しい棚田を守ってきたのだろう。

私たちがその棚田を借りて米作りをするということは、このおばあまと彼女を支えた地域の人々の歴史を受け継ぐということなのだと、身が引き締まります。

こどもたちは4月から、畔を作り、手作業で田起こしをして、水路をひっぱり、苗代を作って、代かきもして、今を迎えています。

田植えまでがたいへんなのです。

そして、手で植えることを選択したこどもたち。

「自分たちでやっている」

「俺たちがうけついでいる」

実感が違いますね。

▼まずは水イトを張ります。



▼イトにそって植えます



▼昔から「お田植え」は一家総出の大仕事





2年前、この田植え作業中に、一人の女の子が東北からやってきました。

東日本大震災で傷ついた福島の女の子です。

年度途中から、暮らしの学校「だいだらぼっち」への参加(被災児童受け入れ枠)を検討しているとのことで、お母さんと二人で見学しに来たのです。

覚えています。

二人が車から降りてきたのを。

華奢な体の女の子を見て「やっていけるかな~」と思いました。

一緒に田植え作業をして、先に暮らすこどもたちと溶け込み、1か月後の6月に、私たちの仲間になりました。

そして、今、福島に戻っています。

この田んぼには、福島のこどもの歴史も流れています。

そして彼女にも、泰阜の歴史が流れています。

たくさんの想いを載せて、コメを作ろう。

「福島でがんばれよ! 俺たちも泰阜でがんばるぞ!」


代表 辻だいち


鮫川のこどもの未来

2013年05月20日 | 泰阜村のソコヂカラ
福島県鮫川村。

この村にも連休の合間に行ってきました。

この村には、私たちとの物語がたくさんあります。


鮫川村には盟友の進士徹さんがいます。

この10数年、へき地に住む同じ同志として、常に支え合ってきました。

今回も彼の家に泊めていただきました。

彼もまた苦しんでいる。

(詳しくは、彼のブログを御覧ください。こちらへ

でも、前を向くために、いろんな作戦会議をしました。


鮫川村の教育委員会に行き、教育長と課長さんたちと打ち合わせ。

進士さんのご紹介で、鮫川村のこどもたちを、NPOグリーンウッドの主催する信州山賊キャンプに招待すること2年。

今年も招待することになり、3年目の打ち合わせでした。

昨年、泰阜村の副村長が鮫川村まで来たこともあり、スムーズです。

何人か来てくれるといいな~。


このキャンプ招待の縁で、実は鮫川村と泰阜村の間には、少年野球の交流試合が実現しました。

昨年、私は泰阜村少年野球クラブの保護者会長。

キャンプ招待のため、何度か鮫川村に通ううちに、鮫川村の少年野球チームと交流祖してはどうかと思うようになりました。

以来、泰阜村の保護者会をまとめ、泰阜村行政からの支援もいただけるよう奔走しました。

そして鮫川村の保護者会や監督・コーチの皆さんとも打ち合わせを重ねました。

昨年8月、鮫川村のこどもたちが遠く福島から泰阜村に来てくれて、交流試合。

こどもたちも仲良くなりましたが、何がよかったかって、保護者同士、コーチ同志も仲良くなったこと。

福島のおかれている状況や、そこに住む人々の声は、信州の山奥ではなかなか触れることができません。

そして、常に「わしらに何ができるんだろうか」と支援をしたくてもできない状況に陥るのが、泰阜村の人々。

でも、「野球をやることが支援になるならば」と思えたことはよかった。

きっと難しく考えることはない。

シンプルなことなんだと想います。


鮫川村と泰阜村にはまだまだ物語があります。

そして、創っていきます。

小さな泰阜村の人々が、これまた小さな鮫川村のこどもの未来を一緒に考えます。

そんなに難しくない。

きっとそれはシンプルです

応援ください。


代表 辻だいち


“想い”と共に

2013年05月19日 | 震災支援:山賊キャンプ招待
こんにちは、短期事業部 部長 ばん(池田龍介)です。

13日から16日の間、関東方面の大学を回ってきました。

千葉県の明海大学と、埼玉県の大東文化大学。

両大学の講義にゲストスピーカーとして招いていただき、わたしたちグリーンウッドや泰阜村の事例紹介と併せて、夏の山賊キャンプのボランティアを紹介してきました。

2大学で5コマの講義。合計で250人以上の学生に対して話をしてきました。


さて、ここからがこの震災支援ブログの本題です。


講義の最後、各学生のみなさんに震災支援基金への協力をお願いしたところ、多数の学生のみなさんが、力を、気持ちを寄せてくれました。





中には、「頑張ってください!!」「すいません、これ(小銭)だけしかなくて。」と声をかけてくれる方もいました。



おそらく、学生自身や友人・知人に被災した方もいることでしょう。

にもかかわらず寄付をしてくれた青年たち。その一人ひとりの想いに喜びを感じました。



3日間、旅を共にした募金箱。

他の用件も含め、東京、千葉、神奈川、埼玉を回ったのですが、日に日に腕が重くなりました。

腕は重たくなりますが、それがとても心地良い。

おかげで私自身の気合いも充電されました。笑


東日本大震災以降3年目の夏です。

キャンプに来るこどもと保護者の方々、そして私たちスタッフだけで迎える夏ではありません。


明海大学の中山先生、大東文化大学の松崎先生、そして両大学の学生のみなさん、本当にありがとうございました!!

多くの方からの支援に感謝し、夏に向けて引き続き準備を進めていきます。

短期事業部 部長 ばん(池田龍介)


いわきのお母さん

2013年05月01日 | 震災支援:山賊キャンプ招待
連休の合間に福島県いわき市まで行ってきました。

NPOグリーンウッドが身の丈にあった震災支援である「信州こども山賊キャンプ」へ福島のこどもを招待する打ち合わせです。

今回初めてお会いしたお母さんとは縁があります。

現在、NPOグリーンウッドが主宰する山村留学:暮らしの学校「だいだらぼっち」に参加している中1の女子が、いわきに住んでいたことがあるとのこと。

その時代の幼馴染のお母さんということです。

そんなかすかな縁を紡ぐのが、私たちができる身の丈にあった支援です。


お母さんと、喫茶店でいろいろと話をしました。

いろいろと苦しいことが思い浮かぶのでしょう、話してる途中で思わず涙を流すお母さん。

詳しいことはわかりません。

でも、この現実と折り合いをどうつけていくのかに激しく葛藤するお母さんたち。

その姿を目の前にして、私に何ができるというのでしょう。

肩肘張ってもしょうがありません。

私たちにできることは、こどもの未来を考えることです。

そして動くことです。

お母さんとの別れ際、思わず握手をしました。

これから始まる縁を、豊かにしていきたい。

のどかに見える駅のホームに立ち、福島の空を見上げて、そんなことを想いました。

また、いわきに、福島に、縁ができました。

▼常磐線泉駅




代表 辻だいち