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わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【ヘビに睨まれたカエル】 ~福岡で大学体育会の先輩方と再会~

2017年03月05日 | グリーンウッド震災支援方針・メッセージ
福岡で大学時代の先輩と、20年ぶりくらいの再会。



私は、札幌にある大学で学生時代を過ごした。

学生4年間は、やめとけばいいのに体育会ハンドボール部に明け暮れた日々。

そんな日々を過ごした仲間たちと、なぜか福岡でプチ同窓会。

福岡出身の人もいれば、今の会社の転勤で福岡に赴任した人もいる。

私が1年の時の主将(4年)も駆けつけてくれて感激。

すこぶる穏やかな主将だったけれど、1年生だった私にとっては一番怖い先輩でもある。

でも、その主将のさらに1年上の先輩(当時、歯学部の5年目)も来てくれて、主将が敬語を使っていることに、当たり前だが新鮮な驚きもあった。

そして、私が卒業してから入部した4学年下の後輩も。

もうあまり覚えていないが、私が泰阜村に来てすぐに、全国大会に出場した彼らを激励に行った時に、顔を合わせたらしい。



主将は、私の結婚式に来てくれた。

「あのバラック小屋みたいな、“図書館”っていうの? あそこでみんなで雑魚寝で寝たな」と懐かしそうに語った。

5年目の先輩なんかは、私がどんなところで働いているのかわからなかったらしく、主将が「いや、こいつのやってること、なかなか面白いんですわ」と5年目の先輩に説明してくれる姿を見ると、恐縮しきりだ。







懐かしき学生時代:体育会の強烈な想い出が、ともすればなまぬるくなる今の自分の心を「それでいいのか」と激しく叩く。

ああ、久しぶりに、緊張感あふれる飲み会だった。

泰阜村のおじいま(おじい様の意味の方言)の飲み会とはまた違う。

まるでヘビに睨まれたカエル(笑)。

でも、めちゃくちゃ楽しかった。

たまには先輩たちと飲むのもいいな。

また福岡に来たら飲みたい。


代表 辻だいち


【これがまた美味いのなんのって】 ~集落の忘年会はホントに愉快なのだ~

2016年12月18日 | グリーンウッド震災支援方針・メッセージ
今日は忘年会。

私の住む泰阜村田本集落第1班の、日帰り忘年会だ。

1班を構成する20戸の人々がみな集まる。

班によっては大人だけの忘年会とするところもあるそうだ。

でも、1班の人々はみなおおらかで、乳幼児から長老までまさに老若男女の忘年会となる。

こういう山村地域に住む人々は、忘年会をとにかく楽しみにしていて、毎年ちょっと遠くまでおでかけする。

おばあま(おばあさまの意味)なんかはお化粧までしてきて。

素敵だよね、そういうのって。



今年は、近隣の温泉旅館に繰り出した。

こんな田舎にあって、ワインが美味しい洒落た宿である。

前菜には、蜂の子入りのチーズが出てきた。

これがまた美味いのなんのって。

食虫文化の南信州にあっては、蜂の子など序の口も序の口、スーパー初心者向けの虫なのだ。

上級者向けの虫は奥が深すぎるので、ぜひ南信州まで足を運んでいただければご案内します(笑)







さて、ちょっと油断をした隙に、目の前では、長老たちのすさまじい注ぎ合いが繰り広げられている。

右の「泰阜村のプーチン大統領」は、左の「ちょっと年をくった泰阜村のレーガン大統領」に押され気味。

その飛び火(とばっちり?)がわれわれ「若造」に来たのは言うまでもない。






今年もまた忘れられない年になった。

やぱり忘年会よりは「望念会」。

ご近所のみなさんと、新しい希望を心の底から念じる素敵な時間となった。



代表 辻だいち



私のこどもたちへ ~熊本と福島のこどもたちに贈る唄~

2016年08月11日 | グリーンウッド震災支援方針・メッセージ
私は23年前、泰阜村に来た。当時まだ22歳。右も左もわからない若造だ。

それまで札幌にある大学生だった。出身は福井県。高校から大学のときに、北陸から北海道へ。

何が自分を北に向かわせたのだろうか。


北陸と北海道で、私は、あふれるほどの自然の恵みと、すばらしいひとびとに出会った。

体育会の運動部に所属して「あきらめない気持ち」を鍛えられた。

人と向き合うことを学問とする学部で「人間らしさとは何か」を学んだ(授業は全く出ていなかったが!)

北海道の山々や田舎を訪ね歩きながら「自然と人間の共生」の重要さを心に刻みこんできた。

いつしか、自分が学び取ったことを、未来を生きるこどもたちに、自分のすべてを懸けて伝えようと思うようになり、体育の教員となることを目指すことになった。


しかし、教室の中だけが教育の場だろうか、と疑問に思うようになる。

まずは教室の外の学びの場を経験したいと強く思い、出会ったのが泰阜村だった。

23年前に、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちと生活し始めたが、その当時からよくギター片手にこどもたちと歌っていた。

それまでどちらかというとニューミュージック系の曲ばかり弾いていたけれど、泰阜に来て衝撃的な唄との出逢いがあった。

私の先輩であり当時代表の村上忠明さん(キャンプネームはむさし)がよくこどもたちに弾いたり、何気なく1人で弾いたりしていた曲に惹きつけられ、以来「これだ!」と自分でも弾くようになった。

当時の信州こども山賊キャンプに来ていたこどもたちに向かって、キャンプ最終日に必ずこの唄を歌い、その想いを伝えてきた。

当時、暮らしていた「だいだらぼっち」のこどもたちも耳にタコができるほど聞いたことだろう。

そして、薪ストーブを囲んでいつもこどもたちといっしょに歌っていた。

私は自分の息子の子守唄としても歌ってきた。

その唄を紹介する。


 ♪ 生きている鳥たちが 生きて飛びまわる空を

   あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは

   目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう

   近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう


   生きている魚たちが 生きて泳ぎまわる川を

   あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは

   目を閉じてごらんなさい 野原が見えるでしょう

   近づいてごらんなさい りんどうの花があるでしょう


   生きている君たちが 生きて走りまわる土を

   あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは

   目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう

   近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう ♪


曲名は「私のこどもたちへ」(故笠木透 作詞作曲)という。

泰阜村の自然を次の世代まで残せるのだろうか。

いや、残すのがわれわれ大人の責任で、その気持ちや自然の大事さをこどもたちに伝えたいと一所懸命歌ってきた。

明日、8月12日で、信州こども山賊キャンプに招待した熊本市のこどもたちが岐路につく。


▼第4弾で受け入れた、熊本市のこども
たち







7月下旬から順番に、18名のこどもたちが熊本県・大分県の被災地からやってきた。

泰阜村の自然の中で、青い空と満点の星空をみあげ、透き通る清流で心ゆくまで遊び、顔にべったりと泥がつくほど転げまわった熊本のこどもたち。

私は、その泰阜村に住む大人として、この唄をどうしても「きみたち」に贈りたい。
 
泰阜村に来て、地震と豪雨であれだけ猛威をふるった自然が、本当はとてもすばらしものだということを、その小さな身体に刻み込んでいってもらえただろうか。

泰阜村に来て、仲間と力を合わせることが、かけがえのないことを教えてくれるものなのだということを、その小さな心に刻み込んでいってもらえただろうか。

泰阜村に来て、これからどんなに過酷なことに直面しても、生き抜くための「支え合いの気持ち」を、その小さな手に握ってもらえただろうか。

たった4~5日間のキャンプでは、何も変わらないかもしれない。

でも、「きみたち」が過ごした泰阜村の土には、このきびしい山岳環境のなかで支えあいながら生き抜いてきた泰阜村のひとびとの、自然と共存する壮絶な歴史と日々の暮らしの営みが流れているのだ。

その歴史と営みを受け取った「きみたち」は、きっと強くなれる。そう強く信じている。

その「信じる想い」を載せた唄である。


▼第1弾の大分県日田市中津江のこどもたち




▼それをサポートした福島の高校生:タカ




▼第2弾の熊本県南阿蘇村のこどもたち




▼それをサポートした福島の高校生:アリサ




▼第3弾の熊本県御船町のこどもたち





▼そして、第4弾の熊本市のこどもたちをサポートした、福島の高校生:レイ





今日は8月11日。

奇しくも東日本大震災から5年と5カ月目である。

熊本地震で傷ついたこどもたちと、それをサポートした福島県の高校生に、この唄を贈る。


代表 辻だいち


【平成28年熊本地震支援についての方針】 ~信州こども山賊キャンプに被災児童を招待~

2016年05月23日 | グリーンウッド震災支援方針・メッセージ
平成28年熊本地震支援についての方針

NPO法人グリーンウッド自然体験教育センター



 このたびの「平成28年熊本地震」にて被災されました皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。また、震災により尊い命を無くされました皆様のご冥福を謹んでお祈りし、ご遺族の皆様に深くお悔やみを申し上げます。

 さて、すでにご存知の通り、熊本地震では、小規模自治体や小さな集落が山の猛威に晒されました。人口1,700人の小さな山村:泰阜村で教育活動を行う私たちにとって、それを他人事にはできません。
 泰阜村は、国道も信号もコンビニもないような厳しい立地条件ですが、それが故に村内の資源を総動員して、村民が支え合いながら村を維持してきました。
 その泰阜村で30年間育てられた私どもグリーンウッドは、度重なる災害に際して泰阜村が大事にし続けてきた「支え合い」や「お互い様」を土台にした「教育活動を通した支援」を、身の丈の支援活動として地道に行い続けております(※注1)。

 今回の過去に例を見ない被災状況に際してグリーンウッドがすべき支援は、これまでと同様に私たちの本分である教育活動を通して、長期的に被災者・被災地を支えることです。それは、泰阜村行政や地域住民他との総合的な連携による支援を意味するものです。
支援内容の概要は次の通りです。


1.「信州こども山賊キャンプ」等の教育活動への被災児童受け入れ。
2.教育を通した支援のための「あんじゃね震災支援基金」の運用(使途は被災児童支援)(※注2)
3.泰阜村民の叡智の結集による「ひと」にテーマを絞った支援
4.過去の被災者と今回の被災者、全国の地域同志が支え合う仕組みの促進

5. その他


 私たちは、全力を挙げて「信州こども山賊キャンプ」や暮らしの学校「だいだらぼっち」等の教育活動を実施します。自然の猛威におびえきった熊本のこどもたちに、もう一度自然の素晴らしさを伝えたいと強く思います。失われた小さなコミュニティーの底力を、もう一度こどもたちに伝えたいと強く思います。
 そして全国のこどもたちに、過酷な状況に陥ってもなお、周囲の人たちと協調しつつ生き抜くための「支え合いの気持ち」や「サバイバルスキル」、「的確な情報収集と判断能力」などを育成することに全力を注ぎます。


▼東日本大震災では、信州子ども山賊キャンプに、5年間で250名の福島のこどもを招待した。




 願わくは泰阜村のような小さな地域が知恵を出し合い、それが束となって、息切れしそうな小さな地域を支える。そうした小さな地域同志が学びによって支え合う構造を、今まさに創出すべきであると考えます。過去の災害で傷ついた被災者や被災地域と、今回の地震の被災者や被災地域が支え合うことを、学びを通して促進してくべきであるとも考えます。
30年間で培ってきた、全国のネットワークとも有機的に協働し、今回の震災支援方針を形にしていきます。
 どうか私どもの「支え合い」や「お互い様」を土台にした方針についてご理解をいただき、今後の支援活動にご協力をいただけますよう心よりお願い申し上げます。
 
 最後になりますが、被災地におかれましては、一日も早く普段の生活に戻れますよう、皆様のご無事を心よりお祈り申し上げます。


2016年5月1日

NPO法人グリーンウッド自然体験教育センター
代表理事 辻  英 之         



(※注1)
 1995年に発生した阪神大震災では、3人の被災児童(西宮、芦屋、神戸の小学生)を3年間、暮らしの学校「だいだらぼっち」に受け入れました。生活と教育はNPOグリーンウッド、学校は地元小学校、サポートは地域住民、経費は全額村が負担するという、村をあげての受け入れ態勢を作り、長期にわたる支援を続けました。
 1997年に福井県三国町沖で転覆した重油タンカー事故では、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもが中心となり、泰阜村民と共に数回にわたり猛吹雪の中で油を掬いました。その際、「神戸のお返しや」と、村で受け入れた阪神大震災被災児童も参加しました。
 2004年に発生した中越地震では、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもが新潟県長岡市やまどり地区に雪かきボランティアに行き、翌年の2005年夏にはやまどり地区の小学生と、同じく北陸集中豪雨で被災した福井県美山町の小学生を「信州こども山賊キャンプ」に招待し、泰阜村の小学生と合同自然体験教育キャンプを実施しました。
 2011年に発生した東日本大震災では、3人の被災児童(福島県、千葉県の小学生)を5年間、暮らしの学校「だいだらぼっち」に受け入れました。また、福島県の被災児童約250人を「信州こども山賊キャンプ」に招待しました。どちらも村を挙げての受け入れ態勢を作り、特に教育を通した支援を続けてきました。

(※注2)
「あんじゃねえ」とは、「安心しろ、大丈夫だ」というニュアンスで使われる泰阜村の方言です。こどもも老人も自然環境もそしてコミュニティも、「あんじゃねぇ」と安心して暮らしていきたいという願いからです。九州で絶望的な状況に陥っている小さな地域やその地域のこどもが、まさに「あんじゃねぇ」と安心して暮らせるための身の丈の支援を行います。

もーりーよりB3組の報告

2013年01月10日 | グリーンウッド震災支援方針・メッセージ
こんにちは、冬の信州こども山賊キャンプ、ベーシック3組、現場責任者の森(もーりぃ)です

今回ベーシック3組は、22人のこどもたちの参加があり、その内、福島から9人のこどもたちが参加してくれました。





昨年の夏や冬のキャンプにも参加してくれたこどもたちもおり、またこの泰阜村に帰って来てくれたことにとても嬉しく思いました。

ベーシック3組期間中は、快晴でとても寒い空気のぴりっとした日が続いていました。

さすがの福島のこどもたちも「寒い!」といって薪ストーブの周りに集まることもしばしば。

3泊4日というとても短い期間でしたが、近くの山に登山にいったり、



煉瓦で作ったパン窯でピザを焼いたり、餅つきをしたり、薪割りをして五右衛門風呂に入ったりとおもいっきり遊んだ4日間でした。

こどもたちの特に印象に残ったことを聞くとたくさん出てきたのが夜のナイトハイクでした。

特に雪など降ることはなかったコースでしたが、雲ひとつない空に新月も重なり、満天の星空をみることができました。

身を切るような寒さの中、仲間と道に寝転んで、眺めた星空は、最高の思い出になったことと思います。


冬のキャンプはシンプルになかまと一緒に暮らすことを大切にしています。

ご飯作りや掃除、一緒に寝て、遊んで、話して、笑って。

なかまと作り上げる何気ない暮らしの中におもしろさや、楽しさが、たくさん詰まっています。



福島も東京も名古屋も長野も大阪も関係なくおもいっきり笑い合っている姿に、自然と笑顔がこぼれていました。

この冬泰阜村で過ごしたことが、福島のこどもたちの暮らしの中で、ふとした瞬間、思い出して笑顔になれたり、優しい気持ちになれたり、何かプラスになればと思います。






福島のこどもたちは、帰るときに、「また、夏にくるから」と笑顔で約束してくれました。

今年の夏も福島のこどもたちとまた笑顔であえるように、泰阜村で、がんばっていきたいと思います。

ベーシック3組のみんな、ありがとう。

また夏に泰阜村へ帰ってきてね。

夏ももっともっと面白いことをしよう!

それまで元気で。
ベーシック3組 責任者 森(もーりぃ)



私からも一言です。

これにて冬の信州こども山賊キャンプが終わりました。

泰阜での出会い。

きっとこどもたちの心に残っていくものと信じています。

再会を楽しみにしています。

ちなみに、B3組のもーりーは、昨年結婚しました。

泰阜村での出会いがそのまま夫婦です。

そして、今、B3組を終えた後、新婚旅行に旅立っていきました。

泰阜村で、みんなが素敵な縁を紡いで、豊かな気持ちになっていく。

素敵です。

代表 辻だいち