わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

ヨンマでしょ

2012年02月28日 | 日々雑感
1月、2月と、講演、講義、執筆が相次ぎ、ようやく一段落つきました。

ブログで紹介しようしようと思っていたものも、2か月分たまってしまいました。

さかのぼって紹介していきますので、懲りずにおつきあいください・・・


もう先月のことになりますが、滋賀県で講演をしてきました。

拙著「奇跡のむらの物語」本を読んでくれた滋賀県私立保育園連盟の人からお呼びがかかったのです。

題目は「震災後のこれからをいかに生きていくか? 自然とともに歩む泰阜村(やすおかむら)の実践より~」

この題目で話してほしいと依頼されました(笑)

今回は、保育園の職員や保育行政にかかわる人が対象ということ。

暮らしの学校「だいだらぼっち」をはじめとするNPOグリーンウッドの教育活動を紹介し、特にこどもとの向き合い方や、今後必要となる暮らし方について丁寧に。

特にみなさんが反応したのは、私の拙著でも紹介した「サンマよりヨンマ」の話でした。

最近のこどもには「サンマ(三間)」が足りないとはよく言われます。

「時間」「空間」「仲間」ですね。

忙しいこどもが増えて「時間」が足りなくなり、

キャッチボールができない公園が増えて「空間」が足りなくなり、

ネットを通じた友達が増えて、「仲間」が足りなくなりました。

私は、これに加えてもう一つの「間」が足りなくなったと実感しています。

それは「手間」です。

便利な世の中は、ものを産み出す手間、お互いが理解しようとする手間、人生を丁寧に紡いでいく手間を、決定的にこどもから奪いました。

もちろん大人からも。


被災地のこどもたちはどうでしょうか。

福島のこどもたちはどうでしょうか。

彼らからは、こどもがこどもとして成長する「時間」も「空間」も奪われました。

幼き頃に切磋琢磨した仲間もまた、不本意な転校や避難で、奪われていった。

彼らから、せめて「手間」を奪わないでほしい。

結論ありきの「手間」を重視しない未来づくりには、警笛を鳴らしましょう。


おまけ1

写真は、講演後、大阪に立ち寄った際のお土産です。
ニュースで話題になりましたね。
保育園関係者いわく「中途半端やからあかんのや~。最後までボケなあかん。“面白い恋人”じゃなくて“面白い変人”にせな!」。
座布団3枚あげて!(笑)




おまけ2

この写真は、大学時代の恩師と先輩を囲んで飲んだ大阪の夜の写真です。
みなさん、大阪にいて東北を支える活動を地道にされているということでした。
当然、飲まされました(笑)






代表 辻だいち


どっぷりと

2012年02月27日 | 日々雑感
山陰、鳥取に来ています。

旧鹿野町で、町並み保存や空き家活用などのまちづくりに取り組む「NPO法人いんしゅう鹿野まちづくり協議会」が主催する「まちづくり合宿」に呼ばれました。


▼美しき鹿野の町並み




全国各地で、多分野にまちづくり・地域づくりにかかわる人々10人が、呼ばれました。

その面々は以下のとおりです。

私たちは決して地域づくりを行う団体ではありませんが、拙著「奇跡のむらの物語」をお読みいただいた方はご理解いただけると思いますが、結果的に教育による地域づくりが行われているので、その点で、呼ばれたということでしょう。


NPO法人愛岐トンネル群保存再生委員会(愛知県)事務局長 村上 真善氏

栗原の食復活プロジェクト 事務局・広報担当(宮城県) 菊地聡氏

農事組合法人伊賀の里モクモク手づくりファーム(三重県) 代表社長理事木村修氏 

魚と山の空間生態研究所(高知県) 代表 山下慎吾氏

NPO法人地域福祉ネット(鳥取県) 吉野 立氏

中之条ビエンナーレ 実行委員長(群馬県) 桑原かよ氏

AIR Onomichi(広島県)  国近有佑子氏

NPO法人鳥の劇場(鳥取県)  中島 諒人氏

NPO法人グリーンウッド自然体験教育センター(長野県)代表理事 辻英之

NPO法人鞆まちづくり工房(広島県) 代表 松居秀子氏



この10人が、次から次へと怒涛の自己主張(事例発表)をして、鹿野町の人びとを含めた鳥取の人びとを巻き込んで、喧々諤々2泊3日の議論、議論、議論。

まさに2泊3日一本勝負。

各地、各人の、迸(ほとばし)る情熱が、鹿野の町に大きなうねりを起こしました。


▼会場となった「しかの心」 実に豊かな雰囲気の建物です




小さな地域のまちづくりには、正解も近道もありません。

地道で丁寧な足取りこそが、確かな土台を作っていくのです。

そこには実は「遠回りの近道」があります。

そして振り返って歩いてきた道こそが、正解なのです。


全国の多くの事例を聞き、多くの同志の内発的な情熱に触れ、また私も一歩を踏み出す勇気がわいてきました。

まさに、吹けば飛ぶような小さな取り組み同志、小さな人びとが支え合うからこそ、強くなっていくのです。

その実感を、私も手にしました。

全国の小さな取り組みから、元気をもらって、また泰阜村でがんばれそうです。


▼まちづくり合宿の様子。フラットな議論が心地よい





今回のしかけ人は、「NPO法人いんしゅう鹿野まちづくり協議会」の小林清さん。

見るからに柔和な顔つきのおじさんですが(笑)、その心の芯は強烈なものがあります。

その強烈さが、東日本大震災で震度7を記録した宮城県栗原市の菊池さんとの縁をさらに豊かに紡ぐ原動力になったに違いありません。

このまちづくり合宿は、来年度も鳥取鹿野町で開催されます。

そして同じパワーが、宮城栗原に伝搬し、栗原でも同様な取り組みをすることが決まりました。

私も駆けつけ、小さな地域同士が「支え合い」の論理で自律していくプロセスに、どっぷりとかかわらせていただきたいと想います。


鳥取は折しも雪。

雪景色の鳥取砂丘もまた、なかなか見れない風情あふれる、そして大地のパワーみなぎるスポットでした。


▼雪の鳥取砂丘








代表 辻だいち


あんじゃね震災「支縁」学校?

2012年02月23日 | 泰阜村の「あんじゃね(震災)支援学校」
先週、「あんじゃね支援学校」の会議がありました。

「あんじゃね支援学校」とは、村のこどもたちの体験活動(あんじゃね自然学校)を、村の大人があ~でもない、こ~でもない、と考えることを通して、大人が学びあう場です。

会議に先んじて、村のひとびと対象の研修会も実施しました。

講師は、くりこま高原自然学校(宮城県栗原市)代表の佐々木豊志さん。

佐々木さんは、泰阜村のひとびとも救援物資を送ったRQ市民災害救援センターの東北本部長でもあります。

3年半前の岩手・宮城内陸地震と昨年の東日本大震災の2度の被災を乗り越えて、東北の小さな地域がどのように立ち上がろうとしているのか、そして知られざる被災地の現状と葛藤、それらを熱く語ってもらっていました。

「他人事じゃない。自分事に」と震災支援を地道に取り組む村の人びとも固唾をのんで聞きました。


▼熱く語る佐々木さん







そして夕方からは、「あんじゃね支援学校」の本会議です。

支援学校が開催されて、かれこれ5年になります。

村の猟師から、学校教員、Iターン者、陶芸家、保育園職員、村議会議長、教育長、青年団、そして副村長まで、老若男女がこどもの未来についてゲラゲラ笑いつつ真剣に議論する場は、ほんとに素敵です。

 「あんじゃね」とは、「案ずることはない、大丈夫だ」という意味の南信州の方言です。

こどもたちが「あんじゃねぇ」と過ごせる社会にするために、私たち大人が動くのです。

今年度の成果は、一言でいうなら、手を横だけでなく縦にもつないだことです。

村のこどもたちのために、村の人びとがまずは横に手をつないだ5年間でした。

そして今、村の保育園のこどもたちを野や川や森に連れ出す活動が始まりました。

村の小学校と連携して、学校の授業のなかに地域やNPOスタッフが入って自然体験活動をする動きが生まれました。

村の中学校の生徒を、村を流れる天竜川に連れ出し、川のごみ拾いボランティア活動を通して沖縄に繰り出すことも始まりました。

地域の高校生や短大生が、こどもちをサポートするボランティア活動に来てくれるようになりました。

村の青年団が、こどもたちの活動を企画してくれました。

「あんじゃね自然学校」を通して、さまざまな年齢層のひとびとが縦に手をつなぎつつあります。

村のこどもたちの体験活動を支えるために、村のひとびとが縦にも横にも手をつなぎはじめました。

それは、まさに泰阜村の暮らしの文化が持つ教育力を、取り戻す作業にほかなりません。


その教育力を、震災支援にいかそうと奔走してきたこの1年。

人口1900人足らずの泰阜村の人びとが、小さな力と知恵を持ち寄って、横にも縦にもナナメにも手をつなぎ、東北の小さな地域を支援してきました。

そして産まれつつある、東北の地域と泰阜村との縁。

この縁を豊かに紡がなければなりません。

「支援」は「支縁」

小さな地域同士が支え合いつつ、生産的に縁を紡げたならば、震災支援のみならず、これからの日本のあり方に、一石を投じるモデルとなると信じています。

まだまだやることがあるぞ~!


代表 辻だいち


ともに生きる

2012年02月16日 | 日々雑感
登り窯があったり出張が続いたりで、またもや更新が滞っています。

言い訳ですが(笑)、申し訳ありません。


今日は、前にも紹介した博報教育フォーラム(2月25日、東京で開催)の発表データ締切日。

現在、信州のど真ん中、松本市にいるのですが、あいた時間を使ってデータ作成とチェックに追われています。

相変わらずの段取り下手です(笑)


さて、時を同じくして、フォーラムの基調講演をしていただく押谷由夫先生(昭和女子大学大学院)から講演のレジュメと、コーディネーターの嶋野道弘先生(文教大学大学院)からパネルディスカッションのポイントメモが届きました。

テーマは「共 ~ともに生きる~」です。

レジュメやメモの中身を見て、わくわくしています。

震災後の今、「共に生きる」「支え合う」本質を、改めてみなでわかちあう時だと想っていましたが、まさにそれを感じ合うフォーラムになると想います。


私の発表「支え合いの暮らしから学ぶ、共に生きる力」の一部をちょっとだけ紹介します。

①泰阜村の魂の言葉「貧すれど貪せず」

 最も苦しい時にこそ、最も大事なことに力とお金を注ぐ。泰阜村には、地域住民によって地域の教育をつくり上げる教育尊重の気風がある。

②「支え合い・共助の仕組み」と「教育の自己決定権」を取り戻す
村の人々が、横にも縦にも手をつなぎ、そして時を超えても手をつないで、子どもの教育について、知恵と力をあわせるようになりつつある。
それは「支え合い・共助の仕組み」を豊かにつくりなおし、「教育の自己決定権」を取り戻す作業に他ならない。

③「支えあい」から滲み出るように産まれる「自律の心」
 人は強いから支え合えるんじゃない。
人は支えあうから強くなれるんだ。
周囲と支えあいながら自発的に責任ある行動をとることのできる人づくり。

④「他者との関係を豊かにする学力」こそ培いたい
 所有した「学力「体力」を、自分のためだけではなく世のため人のために使って初めて、意味のある本質的な学力・体力となる。


そして、事例発表の後は、宮城県と新潟県のパネラーと共に、パネルディスカッションです。

私は、講演や発表より、打ち合わせなしのパネルディスカッションのほうが、得意というかやりやすいのです。

悪く言えば、いきあたりばったり(笑)

よく言えば、臨機応変。


さあ、どんなフォーラムになるでしょうか。

泰阜村の「支え合い・共助」の文化を身に纏(まと)い、「共に生きる」本質を強く訴えようと想います。

この想い、風に乗せて、被災地に飛んでゆけ~


代表 辻だいち


真骨頂が試される ~震災11か月目を迎えて~

2012年02月11日 | 支えあいの指導者育成
 2月11日、震災11ヶ月目です。

 長くなりますがおつきあいください。


一ヶ月目の4月11日、宮城県南三陸町の歌津中学校にいました。詳しくはこちらへ

▼南三陸町志津川の4月11日




 ニヶ月目の5月11日、東京の出版社との打合せの場でした。詳しくはこちらへ


 三ヶ月目の6月11日、琉球大学に呼ばれて沖縄にいました。詳しくはこちらへ

▼梅雨明けした沖縄の6月11日



 四ヶ月目の7月11日、再び被災地宮城県にいました。息子、娘とともに。詳しくはこちらへ

▼RQ市民災害救援センター東北本部長佐々木豊志さんにお話しを伺った7月11日



 五ヶ月目の8月11日、初めて区切りの日を泰阜村で迎えました。 詳しくはこちらへ

▼福島のこどもたちをキャンプに招待した8月11日



 六ヶ月目の9月11日、秋の気配漂う南信州泰阜村で迎えました。詳しくはこちらへ

▼9月11日の泰阜村



 七ヶ月目の10月11日、再び沖縄のハンセン病療養施設「愛楽園」で迎えました。詳しくはこちら

▼愛楽園で迎えた10月11日



 八ヶ月目の11月11日、冬の訪れ迫る南信州泰阜村で迎えました。詳しくはこちら

▼南信州の晩秋の味、干し柿つくり


 九ヶ月目の12月11日、みぞれ降りしきる北陸福井で迎えました。詳しくはこちら

▼私の通った福井の中学校



 10ケ月目の1月11日、北海道の北端に近い町、中頓別町で迎えました。詳しくはこちら

▼中頓別町の風景



 そして11ヶ月目の2月11日、厳寒の南信州泰阜村で区切りの日を迎えています。
 
NPOグリーンウッド主催の山村留学事業「暮らしの学校:だいだらぼっち」では、こどもたちが陶芸の器を焼く窯「登り窯」を焚いています。

薪だけで1300度まで焚きあげる窯は、店で売られてる器とは一味もふた味も違う器を産み出してくれます。


▼これがNPOグリーンウッド施設内に設置してある登り窯「南山窯」





この窯の特徴は、窯焚きにこども(山村留学のこども)が参画することです。

それは薪をくべることだけを意味しません。

燃料である薪を間伐して、引きずり出して運んで、薪割をして、乾燥して、ということを意味します。

器をろくろでひたすら作ることを意味します。

こどもたちが手塩にかけて作ったお米のワラを燃やして作った灰や、薪ストーブで焚いた灰から釉(うわぐすり)を作ることを意味します。

まさに1年かけてきた、自然と共に生き、仲間と支え合ってきた「暮らし」の集大成。

この登り窯を4泊5日オールナイトで焚きあげます。

こどもたち同志が、仲間を信じ、仲間を支え、想いと知恵と力を持ち寄り、焚きあげるのです。


▼窯の中はこんな感じ。これで800~900度くらいかな~




▼小3の女の子が、小5の女の子に薪を渡す。そして投入する。熱さより痛さを感じる温度です





この山村留学のこどもたち(16名)のなかに、福島と千葉の被災児童がいます。

彼女たちは、しっかりと薪を窯にくべていました。

仲間と意見を交わし、しっかりと自分で判断をしていました。

仲間を信じ、困難を乗り越えようとしていました。

千葉からのこどもは4月から、福島からのこどもは6月から、どんなに苦しいときがあっても、確かに仲間に支えられて暮らしてきました。

どんなにつらいときがあっても、泰阜村の人々に支えられて暮らしてきました。

どんなに悲しいときがあっても、南信州の豊かな自然につつまれて暮らしてきました。

そして、今、最高の笑顔で、炎と、仲間と、自分と向き合っています。


▼見にくいのですが、こどもたち同志で困難を解決して窯を焚いていきます。





NPOグリーンウッドは、泰阜村が脈々と営んできた「お互い様・支え合い」を土台にした震災支援を方針としてきました。

自然の猛威におびえ切った東日本のこどもたちに、自然との接触を断たれてしまった福島のこどもたちに、もう一度、自然の素晴らしさを伝えたい。

失われた集落の底力、共に生きる仲間の素晴らしさを、もう一度こどもたちに伝えたい。

そして、全国のこどもたちに、過酷な状況に陥ってもなお、周囲の人びとと協調しつつ生き抜くための「支え合いの気持ち」を育成したい。

そう強く想って、われわれの本文である「教育活動」を通した「震災支援」を地道に行ってきました。

1年間の泰阜村の暮らしで、彼女たちに伝わっているでしょうか。

彼女たちを支える仲間のこどもたちに伝わっているでしょうか。

炎、水、空気、土、熱、風など、あらゆる自然現象に対応しつつ、仲間を認め合い、支え合い、信じ合って、窯を焚きあげる。

私たちの震災支援の真骨頂が、この窯焚きで試されています。


▼夜の窯場。大量の薪と、大量の熱気が信州の寒空の下に集まります。




▼私はひたすら薪割りでこどもたちを支えました。疲れました(笑)




▼2月11日現在、1の間の温度計の数字です。さあ、1300度への挑戦が始まります




代表 辻だいち