わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【1月17日が、「い・い・なの日」になるように】 ~阪神大震災の被災児童ももう32歳~

2018年01月17日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
1月17日
23年前の今日、阪神淡路地域に未曾有の大地震が発生した。
その当時、テレビ、新聞が悲惨な状況や死者数などを競って発表する中、私たちは「私たちに何ができるのか?」と南信州の地で考えた。
SNSなどない時代。
現地の情報なんか全く手に入らず、考えても考えてもよくわからなかった。
だから、まずは被災地に行ってみたのだ。





数回、現地神戸市に足も運び、街の状況を肌で感じた。
平衡感覚を失うほど街がゆがんでいる。
全国から集うボランティアの活発な姿や、ガレキと化した家の前にいけられた花が目に映る中、私たちは考える。
「被災児童の疎開受け入れができるのでは。もしニーズがあるのであれば、私たちの今までの経験と教育の場が役立つことになるのではないか」と。
そんな折り、伊丹市の市民団体と私たちの地元泰阜村当局の両方から「被災児童の長期受け入れができないか」という要請があった。

そして、次ような役割分担ができた。

市民団体が現地状況の調査と募集。
泰阜村行政が財政支援。
私たちNPOグリーンウッドが児童の受け入れ。
今思えばパートナーシップ事業のモデルとも言えるような協力体制ができあがった。


1995年4月から1年間、西宮市の小学4年生女子2人が、暮らしの学校「だいだらぼっち」に元気に参加した。
その夏休みには、2人が通っていた学校のクラスメイト17人を泰阜村行政が夏キャンプに招待し、企画運営を私たちが担った。
続いて1996年4月から2年間、神戸市灘区の小学5年生1人が暮らしの学校「だいだらぼっち」に参加し、1998年3月に泰阜南小学校を卒業した。




暮らしの学校「だいだらぼっち」で、彼らはたくましく育った。
現地で復興に向けて親子が力を合わせるのと同じ位、離れた地でがんばることは大事なことだった。
そう自分に言い聞かせて暮らす姿はいじらしいほどであった。
そしてそんな彼らを受け入れた仲間たち、村の人々がいる。
様々な立場のこどもたちが共同生活する「だいだらぼっち」は、まさに「違いは豊かさ・多様性の共存」をこころに刻む学びの場となったのだ。
そして厳しい自然環境のなかで助け合いながら生きるひとびとの住む泰阜村での生活は、まさに「支えあい・お互い様」を身体に刻む学びの場となった。




その3人ももう32歳。みな社会人である。
彼女たちからさきほど届いたメールである。
長くなるがおつきあいいただきたい。


思うことは、もう23年経ったんやーということかな。記憶も風化してしてきて、また、日々忙しく、今日のネット情報とかで「今日は震災の日か」と、思い出す感じやね。
けど、震災への備えは昔よりもしっかりするようになってるかな、それは家族、子供ができて、何かあった時の責任感に起因してるかもしれないけど、大震災に実際経験した怖さ、大変さをどこかで覚えてるんやろうね
震災のことは今日みたいな日に一年に一回思い出すかしないかぐらいになってるけど、今後大震災が起こった時の避難、連絡、備えの大事さについては日頃のから家族も含めて話したり考えとかなあかんね





『重い地元負担…復興借金、いまだ4386億円 東日本被災地は地元負担ゼロ「不公平」の声も』っていう記事があって、いろいろ考えた1日だった。
財政について若干他人事みたいに思ってしまう自分もいて、年月が経って個人的には傷も癒えて良しとするか、もっと関心を持つべきか、と思ったり。
東日本の人が一生懸命復興しようと頑張ってる最中、阪神地域の人で「不公平」って思う人がいるって知ったら「同じ経験をしたのにな」って寂しくならないかな、とか心配してみたり。
神戸の街は元気で、見た目では完全復興のように見えても、まだまだ問題があるんだなとか。
23年間で地震以外も被災してる地域がたくさんあって、過去の被災を教訓としてどんどん改善されていくことを期待するのが当然だと思うけど、「自分の時は家が全壊して何もかも失って、あとからの人は自分の時よりいろいろサポートを受けている」ってなったとしたら、「ずるい、羨ましい。」って思うのも自然な感情なんだろうなとも思ったり。
じゃあ阪神淡路大震災の更に前に被災した人からしたらどうなんだろうとか。
支援すること、されることについては、「世の中を変えていこう」とする人と、「世の中が変わればいいな」と思ってる人でもまた捉え方が違うんだろうなとか。
平等って難しい。
こういうことを考えるのも、この日か、どこかまた被災地が出てしまった時かだけだから、1/17は大切にしていきたいと思う。




阪神地域はすっかり復興したと聞く。
しかし、復興とは元に戻ることだけではないだろう。
建物や道路はもちろんだが、価値観も再構築されてさらに磨きがかかる。
大震災が私たちに伝えるものは、この価値観の再構築だ。
私たちは「違いは豊かさ・多様性の共存」という価値観を、「支えあい・お互い様」という価値観を、こどもたちと共にもう一度築き上げていこうと強く想う。
そうしてはじめて、復興と言えるのだ。
多くの災害が日本を襲うたび、私たちNPOが担う人づくりの役割もまた磨きがかかる。
阪神・淡路で被災して心も身体も傷ついたこどもが、小学生時代に泰阜村の風土に包まれて育った。


今後、彼らが果たす社会的役割に期待である。
1月17日が「いいなの日」になるように。

代表 辻だいち


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