いわきの親子と再会した翌日。
福島の海岸線を北上した。
いわき市豊間地区。
東日本大震災で、多くの津波犠牲者を出したところだ。
震災1か月後の2011年4月に、ここに来た。
目を覆うような凄惨な現場だった。
以後、毎年この場を訪れている。
5年たった今、この場を訪れて、のけぞった。
壊滅的だった集落は、区画整理どころか跡形もなく整地され、そしてこれでもかという防潮堤建設現場となっている。
あの自然の猛威を、またぞろとてつもないお金をかけた人工物で防ごうとしている。
すぐそこに、まだ収束もしていない福島原発があるというのに。
この場で命を失った人々の遺族もいるので、軽々しくは言えない。
でも、それでも、どうにもやるせない現場だった。
この現状が、福島から岩手まで、ありとあらゆる海岸線で起こっている。
▼海が見えない防潮堤
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/5c/350e2f9b1dae96c1ed73ef498c6f1de4.jpg)
▼その防潮堤に上る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/2b/722066050b28d485f30a98cbf3fbfd61.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/55/7e772c269b0b605dba5ae48518c9a4d6.jpg)
▼何もなくなった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/f6/feaa8e664cf974889dd0817e2ed4613f.jpg)
私は想う。
海の近くに住んでいるのに、海が見えない状況はどうなのか。
海に近づけない状況はどうなのか。
海で遊べない状況はどうなのか。
海を危険と言うのなら、その危険なものから遠ざければ遠ざけるほど、やっぱり危険になる。
刃物や火、われわれはそれを歴史的に感じてきたのではないか。
危険と言われる刃物も火も、いよいよ暮らしの現場から消えつつある。
その状況自体が、どのような危険をまねているか。
海や川や、そして山、つまりは自然が、遠ざけられてしまうのか。
様変わりしてしまった福島の海岸線に立ち、途方に暮れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/ae/527fb057733aa4dd59a55b3a408158f4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/48/bac955c01ba7054091a30b974832d7e8.jpg)
震災後に立ち入ることができなかった地に、今は足を踏み入れることができる。
しかし、放射線量は依然、高いままだ。
住民の姿はほとんどなく、作業着を着た復興関係者が被災地を行き交う。
富岡町の駅前は、震災後から2~3年は、そのままの状況だった。
原発爆発後に、その地に暮らす人々が全て避難したからだ。
暮らしがなくなった街は、悲しいまでに生命感がなかった。
今、富岡駅前は、何もなくなった。
おそらく剥がされるであろう線路が佇むだけだった。
車だけが通って良い国道6号線は、停車してもいけないし、脇道にそれてもいけない。
福島第一原発付近を通る時は、恐ろしいほどまでの放射線量だった。
富岡町の中心街も、浪江町の中心街も、あの時のままだ。
これが原発災害か、と改めて想う。
▼富岡町
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/82/92be6ce457e0f1555851e12657da4fa7.jpg)
▼富岡駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/c6/9cefa1e1ec0d95d31ba7d3e9c461a533.jpg)
▼駅の近くの家が残っていた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/4f/0e766368113dc4f7bf051a40be77402e.jpg)
▼津波の被害がそのまま
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/0b/38d484662d85a61cfcaf575ec094183a.jpg)
▼富岡町中心街。人気がない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/9d/e60bcea1546f656c23aa924152b0b6dd.jpg)
▼国道6号線から、福島第一原発。クレーンが動く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/3d/3003e1094199389e9ffdd96544e24029.jpg)
▼脇道には入れない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/34/6f9b069a760d09b8a77c98e508a925eb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/c6/e072bd49484086b6e5d56a15a6996aed.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/6a/7d02b357320cda5be71dff2a4aaff6eb.jpg)
▼浪江駅前
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/83/24ec10748f2eb8abd0465554066cf280.jpg)
▼南相馬市小高地区の海岸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/cc/4cced2beea28745e82f43e360d89f110.jpg)
▼途方に暮れる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/ae/bbd7f058e40b62218792e2c844f208b0.jpg)
この土地に生きた人々の暮らしは、どこに行ってしまったのだろう。
福島の自然に育くまれた人々の価値観は、どこに行ってしまうのだろうか。
故郷を失った人が「失って初めてわかる」と言う。
震災後5年たっても、まだ10万人近い人が避難生活を続けている。
でも、避難先の生活は、もう避難ではなく日常になってしまうのかもしれない。
日本政府は、福島の避難地域に、次々と避難指示を解除している。
解除されるということは、補償の対象外となるということでもある。
いったい、どうなっていくのか。
福島の海が見えるはずなのに、見えない場所に立ち、途方に暮れる。
福島の海岸線を北上した。
いわき市豊間地区。
東日本大震災で、多くの津波犠牲者を出したところだ。
震災1か月後の2011年4月に、ここに来た。
目を覆うような凄惨な現場だった。
以後、毎年この場を訪れている。
5年たった今、この場を訪れて、のけぞった。
壊滅的だった集落は、区画整理どころか跡形もなく整地され、そしてこれでもかという防潮堤建設現場となっている。
あの自然の猛威を、またぞろとてつもないお金をかけた人工物で防ごうとしている。
すぐそこに、まだ収束もしていない福島原発があるというのに。
この場で命を失った人々の遺族もいるので、軽々しくは言えない。
でも、それでも、どうにもやるせない現場だった。
この現状が、福島から岩手まで、ありとあらゆる海岸線で起こっている。
▼海が見えない防潮堤
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/5c/350e2f9b1dae96c1ed73ef498c6f1de4.jpg)
▼その防潮堤に上る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/2b/722066050b28d485f30a98cbf3fbfd61.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/55/7e772c269b0b605dba5ae48518c9a4d6.jpg)
▼何もなくなった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/f6/feaa8e664cf974889dd0817e2ed4613f.jpg)
私は想う。
海の近くに住んでいるのに、海が見えない状況はどうなのか。
海に近づけない状況はどうなのか。
海で遊べない状況はどうなのか。
海を危険と言うのなら、その危険なものから遠ざければ遠ざけるほど、やっぱり危険になる。
刃物や火、われわれはそれを歴史的に感じてきたのではないか。
危険と言われる刃物も火も、いよいよ暮らしの現場から消えつつある。
その状況自体が、どのような危険をまねているか。
海や川や、そして山、つまりは自然が、遠ざけられてしまうのか。
様変わりしてしまった福島の海岸線に立ち、途方に暮れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/ae/527fb057733aa4dd59a55b3a408158f4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/48/bac955c01ba7054091a30b974832d7e8.jpg)
震災後に立ち入ることができなかった地に、今は足を踏み入れることができる。
しかし、放射線量は依然、高いままだ。
住民の姿はほとんどなく、作業着を着た復興関係者が被災地を行き交う。
富岡町の駅前は、震災後から2~3年は、そのままの状況だった。
原発爆発後に、その地に暮らす人々が全て避難したからだ。
暮らしがなくなった街は、悲しいまでに生命感がなかった。
今、富岡駅前は、何もなくなった。
おそらく剥がされるであろう線路が佇むだけだった。
車だけが通って良い国道6号線は、停車してもいけないし、脇道にそれてもいけない。
福島第一原発付近を通る時は、恐ろしいほどまでの放射線量だった。
富岡町の中心街も、浪江町の中心街も、あの時のままだ。
これが原発災害か、と改めて想う。
▼富岡町
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/82/92be6ce457e0f1555851e12657da4fa7.jpg)
▼富岡駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/c6/9cefa1e1ec0d95d31ba7d3e9c461a533.jpg)
▼駅の近くの家が残っていた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/4f/0e766368113dc4f7bf051a40be77402e.jpg)
▼津波の被害がそのまま
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/0b/38d484662d85a61cfcaf575ec094183a.jpg)
▼富岡町中心街。人気がない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/9d/e60bcea1546f656c23aa924152b0b6dd.jpg)
▼国道6号線から、福島第一原発。クレーンが動く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/3d/3003e1094199389e9ffdd96544e24029.jpg)
▼脇道には入れない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/34/6f9b069a760d09b8a77c98e508a925eb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/c6/e072bd49484086b6e5d56a15a6996aed.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/6a/7d02b357320cda5be71dff2a4aaff6eb.jpg)
▼浪江駅前
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/83/24ec10748f2eb8abd0465554066cf280.jpg)
▼南相馬市小高地区の海岸
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/cc/4cced2beea28745e82f43e360d89f110.jpg)
▼途方に暮れる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/ae/bbd7f058e40b62218792e2c844f208b0.jpg)
この土地に生きた人々の暮らしは、どこに行ってしまったのだろう。
福島の自然に育くまれた人々の価値観は、どこに行ってしまうのだろうか。
故郷を失った人が「失って初めてわかる」と言う。
震災後5年たっても、まだ10万人近い人が避難生活を続けている。
でも、避難先の生活は、もう避難ではなく日常になってしまうのかもしれない。
日本政府は、福島の避難地域に、次々と避難指示を解除している。
解除されるということは、補償の対象外となるということでもある。
いったい、どうなっていくのか。
福島の海が見えるはずなのに、見えない場所に立ち、途方に暮れる。
代表 辻だいち