わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

乾杯

2014年01月17日 | 阪神大震災、福井重油事故、中越地震の支援
今日、1月17日。

19年前に起こった大地震。

私たちは、被災児童を1年間、暮らしの学校「だいだらぼっち」に受け入れました。

3年間で3人。

費用は全額、泰阜村行政が負担です。

その被災児童も、今は28歳。

そのこどもたち(もう大人ですね)からメールが来ました。


「神戸の今は、震災の面影を残すことなく復興してるし、実際日常生活であの時の事を思い出すことはないけど、毎年1月17日になるとあの時の起こったことを鮮明に思い出すね。街は復興してるけど、俺自身は日頃小さい地震でビクッとなるときあるし、心の奥ではやはり何らかのトラウマが残ってるんかなぁって思う。
東日本大震災はまだまだ街の復興は進んでないけど、神戸と同じように今後10年20年経つと街自体は戻るかも知れない。
けど、ホントに大切なのは人の心のケアやと思うね。今後もダイダラとして東日本の子とふれあう機会があると思うけど、ホントにケアしていかなければいけないところを考えて活動していってほしいと思うところです」


「今日は震災の日だねぇ。
私もまだまだ、節目で思い出すわけではなく、ふとした時に「あーあの時はこうだったな」とか「地震がなかったら」とか考えることあるよ。
神戸はホントに復興してる。
東北だってまだまだ津波で流されたままの状態だったり、福島の原発の問題があったりするけど、神戸も大きい都市で街がめちゃくちゃになったとこからこんなに綺麗になっていってるから、人の力はすごいから大丈夫だと信じたいと思ってる。
中越も復興していってるのかな。」







阪神大震災で被災したこどもたち。

支え合いのなかで強く生き抜いてきたこどもたち。

そのこどもたちが今、東日本に、メッセージを送ります。

今夜は、宮城石巻の日本酒を飲みます。

28歳になった神戸のこどもたちと、遠く離れているけれど、乾杯です。


代表 辻だいち


心を震わす

2013年10月29日 | 阪神大震災、福井重油事故、中越地震の支援
うれしいお米が届きました。

新潟県長岡市から届いたお米です。

冬の信州こども山賊キャンプに招待する福島のこどもたちに、という支援米です。




中越地震発生時に、長岡市から暮らしの学校「だいだらぼっち」に参加していた子どもがいました。

そのこどもの家が被災しました。

お父さんや、長岡の地域の人々に、泰阜村のこどもの雪かきボランティアや、長岡市のこどもたちの招待キャンプ(泰阜村で)などの実現に、骨を折っていただきました。

そのお父さんから送られてきたお米です。


10月23日。

中越地震から9年の日、私はそのお父さんにメールを送りました。

その答えが、このお米でした。

北陸の豪雪地帯の人は、かくも心を震わす反応です。


今週末、この親子と会います。

また、心を震わす時間になりそうです。


代表 辻だいち


記憶の彼方に

2013年10月23日 | 阪神大震災、福井重油事故、中越地震の支援
9年前の今日、2004年10月23日、新潟県を中越地震が襲った日です。

皆さん、覚えているでしょうか?

 上越新幹線が脱線したことを。

 トンネルが崩れて一人の少年が奇跡的に助け出されたことを。

 山古志という村が、全村避難を余儀なくされたことを。

 一昨年紀伊半島に出現した「せきとめ湖」が、あちこちに出現したことを。

 阪神淡路大震災以来の震度7を記録したことを。


私たちNPOグリーンウッドは、中越地震の後、長岡市の子どもたちを支援しました。詳しくはこちらへ

地震発生時に、長岡市から暮らしの学校「だいだらぼっち」に参加していた子どもがいました。

そのこどもの家が被災しました。

お父さんや、長岡の地域の人々に、泰阜村のこどもの雪かきボランティアや、長岡市のこどもたちの招待キャンプ(泰阜村で)などの実現に、骨を折っていただきました。

たった9年。されど9年。

あの日、凄惨なできごとだったことが、もはや記憶の彼方に追いやられた事も多いのではないでしょうか。


東日本大震災も記憶の彼方に追いやられていくのでしょうか。

まだ、2年半です。

されど、もう2年半。


関心を寄せしょう、もう一度、被災地に

想いを巡らせましょう、もう一度、あの日に

そして、しっかり理解しようとしましょう、今の被災地を

私たちには、できることがある。

被災地に想いを送ること。

被災地の今を、知ろうとすること。

あの日が、記憶の彼方に追いやられてしまう前に。


代表 辻だいち


 

阪神大震災の被災児童からのメッセージ1

2012年01月18日 | 阪神大震災、福井重油事故、中越地震の支援
阪神・淡路大震災のときに、私たちNPOグリーンウッドと泰阜村は、西宮市、芦屋市、神戸市の被災児童3人を、3年間受け入れました。

そのうちの1人のメッセージを以下に紹介します。

これは、昨年の東日本大震災の後、7月ごろにいただいたメッセージです。




テレビのニュースを見ながら、母はこの頃ずっと阪神淡路大震災での思い出を私に話しています。

兄とともに遠いところまで徒歩で配給物資を受け取りにいったこと。

砂塵が酷くていつもしんどかったこと。

しんどい生活の中で兄にやつあたりをしてしまって、今でもそれを悔やんでいること。

そうしてあの頃の生活を思い返し、最後に必ず言うのです。

私を一年間だいだらぼっち(※)に行かせて良かった、と。


私はあの震災から一年間をだいだらぼっちで過ごし、実家に帰ったときには新しい家と元気な家族と落ち着いた生活がそこにありました。

だいだらぼっちにはテレビがなく、地震の報道を目にして不安を感じることもなかったし、夜間に近くを大きなトラックが何台も走り、家の揺れで目が覚めるということもありません。

砂塵で目や喉を痛めたり、偏る食生活で体調を崩すこともなく、家族に会えない寂しさや不安も、だいだらのみんなが家族みたいに温かかったおかげであまり感じることなく過ごせました。

地震を思い出す暇もないほど新しい出来事や経験が重なり、毎日がめまぐるしくて、当時の私はその日その日暮らしていくのでいっぱいいっぱいで、あまりそのことをきちんと考えていなかったけれど。


その一年、私は関わった全ての人の優しさによって、心を守られ、癒されていました。

後になって当時以上にそのことを実感しています。

あの時迷いなく送り出してくれた家族に。

泰阜村の皆さん。

そしてだいだらぼっちのみんなという、温かく迎え入れてくれた家族に。

時が経つほどに募る感謝の気持ちを込めて。


※NPOグリーンウッドが主催する山村留学事業:暮らしの学校「だいだらぼっち」




阪神・淡路で被災して、心も身体も傷ついた彼女。

小学4年生時代に、泰阜村の「支えあい・お互い様」の風土に包まれて育った彼女。

青年になった今、こんなにも自分の言葉で「感謝」を伝えられるようになりました。

そして、こんな青年が、今、感謝の想いを胸に秘めて、東日本大震災で傷ついた小さな声に寄り添おうとしています。

西日本で傷つき、悲しみ、絶望の縁に立たされたこどもが、時を超えて今、東日本で傷つき、悲しみ、絶望の縁に立たされつつあるこどもたちに、希望を語ろうとしています。

同じ苦しみを味わうからこそ産まれる縁を、豊かに紡いでいきたいと想います。


次回も、阪神・淡路大震災の被災児童のメッセージを紹介します。


代表 辻だいち

中越地震の時の支援 その4

2011年06月27日 | 阪神大震災、福井重油事故、中越地震の支援
 NPOグリーンウッドは、これまでも度重なる災害に対して、特に被災児童への支援を行ってきました。今回は、2004年に発生した中越地震のときの被災児童招待キャンプにについて、当時の新聞記事を紹介します。


2005年 (平成17年)7月31日(日曜日)  中日新聞社

新潟、福井 被災地から招待

幸せもつかんで 児童アマゴ捕り

泰阜



 新潟県中越地震や福井豪雨の被災地の子どもたちが30日、泰阜村の子どもたちと一緒に村内の栃中川でアマゴのつかみ捕りを体験し交流を楽しんだ。

 南信州の大自然の中で、被災した悲しみを癒してもらおうと、同村や村内のNPO法人グリーンウッド・自然体験教育センター、村民らが実行委をつくり、復興途上の両被災地の子どもたちを招待した。

 新潟県長岡市山通地区の小5、6年生22人と福井県美山町の小学5、6年生11人が29日夕方に来村、同村の泰阜北、泰阜南の両小学校の6年生11人とこの日朝、合流した。

 アマゴのつかみ捕りは山間地の村内でも奥深い栃城地区の渓流で挑戦した。実行委の木下藤恒委員長(66)が地区で営むアマゴ養魚場で育てた体長20センチ前後のアマゴ約180匹を一斉に放流。子どもたちは勢いよく泳ぎ回るアマゴを、元気いっぱいに水しぶきを上げながら次々に捕まえた。

 アマゴはその場で串にさして塩焼きにし、村の人たちが用意してくれた豚汁やおにぎりとともに味わった。長岡市の小学5年生宗村雄輝君(10)は「泰阜の子どもたちは優しく交流してくれた。応援してくれる人がたくさんいるのがあらためて分かった」と話していた。(終)


 2005年にも、村総動員で中越地震の被災児童を受け入れました。
 実行委員長の木下さんは、今回も先頭を切ってくれています。

 だから泰阜は素晴らしい!