わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【より弱いものが犠牲にになっていく負の連鎖】 ~沖縄のハンセン病療養所に立ち寄る~

2017年06月28日 | あんじゃねぇ=平和で安心な社会へ
今年は沖縄慰霊の日(6/23)の前後には、さすがに沖縄にいれないかと想った。

でも、沖縄に来れた!







沖縄慰霊の日。

最悪の陸上戦となった沖縄での組織的戦争の終結の日だ。

沖縄戦を身体で知る人は、年々減っていく。

戦争の本質は、「より弱いものが犠牲になっていく負の連鎖」だろう。



犠牲になり虐げられてきた人々が、それでもなお基地は沖縄内にと言い続けてきた戦後。

しかし、日本復帰45年がたった今年、その人々の想いは「本土も痛みを分かち合ってくれ」に変質している。

弱い立場の人びとが、犠牲を払ってもなお、届けた想いは、日本には届かなかったのか。

そういう人々を守れずに、高度成長を果たしてきた日本は、いったい何なのか。



この国はどこを向いているのだろうか。

大きな力、強大な権力、膨大な利権・・・

小さな島国が、無理をしてもしょうがないような気もするのだが。



沖縄に来たら必ず立ち寄る「国立療養所 沖縄愛楽園」。

ほんの20年前までハンセン病患者の隔離施設だったところである。

90年代まで患者さんには人権がなかった。

恐ろしいけれど事実である。






愛楽園では、旧知の敦子おばあが待っていてくれた。

「平和祈念式典に来るヒマがあったら、首相は辺野古や高江に向き合ってほしい」と笑顔で言い切った。

その迫力に心が震える。







小さく弱いその力を侮ることなかれ。


いつの世も犠牲となる小さな小さなこどもたちと向き合って、心からそう想う。

効率的ではないと切り捨てられてきた小さな山村に住んでいて、心からそう想う。

災害多き北陸福井の片田舎に生まれ、原発がまさに再稼働され始めた故郷を遠くに思うにつけ、心からそう想う。



愛楽園の浜で下手くそなギターを弾いて、これまた下手くそな唄を唄う

人が人として尊重される世界を強く願って。


代表 辻だいち


【日本最後の世界自然遺産】 ~ヤンバルクイナと共生する集落~

2017年06月26日 | 全国のなかまたち
沖縄にいる。

島の一番北部に位置する「やんばる(山原)」。

そのままの沖縄が残っている国頭村「安田(あだ)」地区と付き合ってもうかれこれ15年。

この地区が創るNPO法人の役員もつとめているので、年に一度の総会。


▼美しい弧を描く安田の集落




▼安田集落の雰囲気




▼集落で運営する協同売店








▼Iターンの若夫婦が仕切っている






またこの地区の自律心がふるっている。

200人ほどしかいない集落だが、住民自治の意識が非常に高いのだ。

絶滅の危惧にあったヤンバルクイナを保護する施策を、村や、県や国にさきがけて、実際にやってしまう。

その正当性と成果を突き付けられて、国が重い腰をあげていく。

その積み重ねの歴史は、明確に「何を守るのか」「誰を守るのか」を議論して、動いていく自己決定の歴史でもある。

もう、ほんとに、今の政治家に見習わせたいとつくづく想う。


▼NPOの総会




▼懇親会は、まずはオリオン




▼おばあが朝に獲った島タコ








▼無人島のツアーをオブザーブ







絶滅危惧種の「ヤンバルクイナ」がこの集落では頻繁に見られる。

今回も、たった30分で4回も道端に姿を現した。

姿が見えなくとも、夕方~夜はクイナの大合唱が聴ける。


▼ついに写真にとらえた、野生のヤンバルクイナ




▼飛べないクイナは、道路で事故に遭う






▼溝に落ちた小動物が、上がれる階段が、数十mおきに設置してある。






昨年にこの地は国立公園化し、来年には世界遺産に登録されそうだという。

この集落の、自治能力の高さと自律意識の高さがなければ、それはなかったことだろう。

そして、どうやらここは、日本最後の世界「自然」遺産候補らしい。

日本では、もう自然遺産候補はなく、文化遺産候補になってしまうとのこと。

自然遺産なのか文化遺産なのか、その価値は私にはわからない。

でもね、みなさん、その判断には、米軍北部演習場の存歳やら、辺野古基地やら、高江ヘリパッドやらと、複雑に絡み合うらしい。

世界遺産登録に、日本のこの恥ずかしい政治状況が関係するってさ。

言ってはいけないんだろうけれど、もう、アホらしくなる。

お願いだから、当たり前の価値を、当たり前に裁断する社会になってほしい。







自己決定権が著しく低い沖縄。

その沖縄にあって、やんばるの地は、住民の自己決定権を発揮し続けてきた。

そのやんばるの地に立ち、心から願う。

当たり前の価値を、当たり前に裁断する社会になってほしい。



代表 辻だいち


【泰阜村長からの炎のメッセージ】 ~キレキレの首長が立教大学で講義~

2017年06月20日 | 泰阜村が大学になる
もうね、感動の話ですよ、皆さん、。


立教大学で泰阜村の村長が、2つの授業絵でゲストスピークしてくれた。

まずは「大学生の学び・社会の学び」の授業。

1年生200名に、地方自治の話をしてくれた。

心に突き刺さるフレーズを以下に。





役場職員には「法律を守ることが仕事」と説いている。

村長自らは「村民を守ることが仕事」を貫いている。

現実問題として、この法律では村民を守れない場合、首長はどうするか。

私(村長)は迷わず、村民を守るために、法律を変えために闘う。

これが毎日なのだ。







首長として、行政運営を安定化させるためには、住民とのある程度の信頼関係の構築が必要。

そのために、私の場合は、「情報公開」がもっとも大切なことだった。

役場は、もう隠してはいない、という安心感を持ってもらう。

村長のいうことは、まあ本当だろう、という気持ちを持ってもらうのだ。




相模原(津久井)の事件から想うことは、社会全体が、手のかかるもの、役に立たないと想うようなもの、邪魔なのものを排除するような方向になっていないか。

非効率なもの、例えば、働けなくなった老人、自治体でいえば過疎の山村、手間のかかる自然環境など、このようなものを排除した方がいい、というような市場経済を認めることはできない。

この閉塞感への反発が、人間尊重の社会構築につながってほしい。





素敵な首長の話が聴けて、学生は本当にシアワセだと想う。

素敵な首長がいる村に暮らせて、私は本当にシアワセだと想う。






学生のリアクションペーパーを以下に。


村長へ
 「話が聞けてよかった 今すぐになにか行動したいという気持ちにかられた 本当にこのままの人生でいいのか?」

先生へ
 「先日、彼女にふられました」



この差はなんなんでしょ(笑)


代表 辻だいち



【飯舘村の帰還困難区域:長泥地区の区長さんと創ってきた信頼関係】 ~今のうちに、聴きに行きましょう、生の声を~

2017年06月19日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
福島県飯舘村にいる。

飯舘村で、唯一の帰還困難地域の長泥地区。

その区長さんと、私は、5年にわたって信頼関係を創ってきた。


▼長泥地区に入るバリケード




信州こども山賊キャンプに、飯舘村のこどもたちを招待しようと、避難宿舎を訪れた。

5年前のことである。

初めて出会った私に、区長さんは辛口だった。

それでも「おい、これであきらめちゃいげねど。俺に言われたくらいで来なくなるならそれまで。困難なことに立ちむかうことが大事。また来いや」と帰り際に笑顔で言ってくれたことを思い出す。



以来、40回ほど足を運んでいる。

もちろん、飯舘村のこどもたちを山賊キャンプに招待した。

今では、福島に立ち寄れば、酒を酌み交わす関係だ。

仙台で仕事があった時、帰りに福島で2時間だけ途中下車して、飲んだこともある。



今後は、私はもちろん通うけれど、若者をもっと連れて行こうと想う。

若者だけではなく、様々な人を。

そして区長さんの話を聞いてほしい。


▼28万個ものフレコンバック(放射能汚染物質の袋)が村内に置かれている。







飯舘村は、事故後1日、2日で避難した富岡、浪江、大熊などと事情が違う。

30キロ圏外ということで安全と言われていたがゆえに、1ヶ月以上もそこにとどまってしまった。

国や県はその危険な情報を握っていたにも関わらず。

情報を隠され続けたひとびと(こどもや妊婦を含む)が浴びた、1か月間の線量は、どれほどのものなのか。

その検証も、そして隠し続けた反省もないままに、今、再稼働に突き進む日本に、飯舘村の住民はどう想うのか。

この4月に、長泥地区以外の飯舘村は、帰村となった。

それがもたらす住民への影響はどうなのか。

その声を、今、聞かなければならないと、強く想う。


▼驚くべきことに、フレコンバックを焼却する大規模実証実験炉が稼働していた。目を疑う。





もし、聴きたいという人がいたら、行きましょう。

一緒に。

歴史の証人が失われないうちに。



今回も、しこたま飲んだ。

昨日の山形と同じく、方言がきつくて何を話しているかわからなくなった(笑)

5年前のこどもたちはもう高校生。

夏、熊本の被災児童を招待する山賊キャンプに、ボランティアでおいでと呼びかけた。

こうして豊かな縁が紡がれていく。



代表 辻だいち


【有機栽培を貫いた山形県高畠町の人々と再会】 ~渾身のシードルは、これをうまいと言わずして、何をうまいというのかという味~

2017年06月18日 | 全国のなかまたち
山形県高畠町にいた。



もう50年ほど前に、「気が触れたか」と言われた有機農業を始めた高畠の人々。

その中心的存在の「たかはた共生プロジェクト」代表:中川信行さんと再会。

「シードルを作った。飲め」と言われて飲んだ。

「うまいだろう?」と自信たっぷりの顔でこちらを見ている。

「まずもって原料のリンゴが有機で栽培されている。そもそもが違う」と。

不屈の歴史の積み重ねを土台とした重厚な味。

これをうまいと言わずして何をうまいと言うのか。







「辻君、40年、信念を貫けば、異端も正道になる」と諭された。

その言葉の強さにクラクラする。

泰阜村に来て24年。まだまだ半人前の私には、言葉に本当の迫力がない。






だけど、途中から山形弁がきつくなって何をしゃべってるかわからなくなった(笑)

それでも「うんうん」とお互いうなづきあって、もう、とにかく飲むだけだった。

楽しい。


代表 辻だいち