わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

負げねど飯舘!!

2012年03月16日 | 日々雑感
先週、福島に行ってきました。

震災1年目を迎える前日です。

原発事故の影響で、全村避難を余儀なくされた飯舘村。

飯舘村のある地区の皆さんが避難している集合住宅に行ってきました。

1年の区切りを迎えるにあたり、取材がひっきりなしだという区長さんは、取材中のカメラに向かって睨みつけて言いました。

「はっきり言ってありがたいが迷惑だ。あれから1年というが、私はもう40年。これから30年。もっとこちらの気持ちに立たないといけない」

痛めつけられた人々が1年たってなお絞り出す慟哭に、私もまたこの場にいることの意味、立場を考えさせられます。

同じ地区の若手リーダーの人とも意見交換ができました。

私と同じ年齢くらいのお父さんです。

私たちがなぜ震災支援を続けてきているのか、短い時間ではありましたが、その想いを伝えました。

飯舘村のこどもたちが置かれている過酷な状況、若手の人びとが抱くもはや日常的な葛藤、そして地区を守ってきた年配者の壮絶な苦しみ。

どれひとつとっても、お互い様と支え合いの精神で営まれてきた分厚いコミュニティが、飛散してきた見えない物質によって、ひとつずつ切り離されバラバラの個の存在になっていくという、取り返しのつかない危うさを感じます。

区長の慟哭には、まさにこの危うさが込められていのだと想いました。


▼いただいた飯舘のコミュニティ誌




帰り際、辛口な区長さんが「おい、これであきらめちゃいげねど。俺に言われたくらいで来なくなるならそれまで。困難なことに立ちむかうことが大事。また来いや」と笑顔。

もちろんまた来ます。

若いリーダーの人にもご理解いただけたようで、何度か足を運ぶことになりそうです。

教育キャンプを通して生まれた南信州泰阜村と福島の縁。

村を捨てる教育から村を捨てない教育への転換を模索する泰阜村が、村を捨てざるを得ない状況に直面する飯舘村の人びとに、何ができるのでしょうか。

「支援」という「縁」が紡がれ始めます。

私たちは、今年も夏の信州こども山賊キャンプに東北のこどもたちを招待します。

ぜひ応援ください。

間をとりもってくれた、福島大学の友人に感謝です。


代表 辻だいち


自然エネルギーを入り口に

2012年03月14日 | 日々雑感
先週福島に行ってきました。

全国の自然学校関係者が、震災1年目を迎えるにあたり、自然エネルギーを推進するネットワークを立ち上げようということになりました。

その設立会を、福島市で開催したのです。

日本全国の熱い人々が、熱い議論を展開しました。


▼広瀬敏通さん(左)と進士徹さん




私たちNPOグリーンウッドのある南信州泰阜村は、再生可能エネルギー(木質バイオマス、太陽光、太陽熱、小水力、地熱など)の自給率が151.8%で、市町村別で全国32位です。

ちなみに食糧自給率は52%。

この数字は、千葉大学倉阪研究室 + NPO法人環境エネルギー政策研究所の報告書によります。


NPOグリーンウッドの施設群には、多くの自然エネルギーが採用されています。

1年間の山村留学事業:暮らしの学校「だいだらぼっち」の母屋の屋根には、太陽光パネルが設置され、日中の電力をまかなっています。

母屋はもちろん薪ストーブ。

そしてお風呂は五右衛門風呂。

こどもたちの日課は薪割りとお風呂焚き。

その薪は、もちろん、泰阜村の里山を間伐して得たものです。

世の中にさきがけて、25年前からいちはやくこどもたちの教育活動や施設に自然エネルギーを導入してきた私たちNPOグリーンウッド。

そして、おひざもとの泰阜村は、全国屈指の再生可能エネルギー100%の村。

震災以後注目を集め続ける自然エネルギー。

私たちはもともと、その推進には興味があります。


しかし、私の想いはそれだけではありません。

私は、原発集中立地の福井県(県内に14基が稼働)に生まれ育ちました。


▼小浜の海。あの半島に原発がある。




私の父の実家は若狭湾に面した小さな港町小浜市にあります。

そこは大飯原発10キロ圏内です。

そして、今、非効率・不合理の名のもとに国策に翻弄されてきた小さな山村泰阜村で教育活動を展開しています。



▼南信州泰阜村も春の兆しが




そんな私にとっては強い想いがあります。

より弱いものが犠牲になって成り立ってきた日本社会。

そのより弱いものが犠牲になってきた歴史にピリオドを打ち、新たな価値観によって社会を成り立たせていきたいという想いです。

自然エネルギーを入り口に、今後の社会のあり方について問うていきたいという強い想いです。

全国のこのままではいけないと強く想う人々が、弱いながらも支え合っていく姿。

それをこそ、子どもたちに伝え、残すべきだ、と想います。

震災から1年。

私ができることは、これまでも、これからも教育です。


▼何度福島に足を運んだろうか




代表 辻だいち

北陸の小さな町からの3.11

2012年03月11日 | 日々雑感
3月11日

震災から1年目です。

日本全国が、今日、特別な想いを寄せる日になりました。

長くなりますがおつきあいください。


一ヶ月目の4月11日、宮城県南三陸町の歌津中学校にいました。詳しくはこちらへ

▼南三陸町志津川の4月11日




 ニヶ月目の5月11日、東京の出版社との打合せの場でした。詳しくはこちらへ


 三ヶ月目の6月11日、琉球大学に呼ばれて沖縄にいました。詳しくはこちらへ

▼梅雨明けした沖縄の6月11日



 四ヶ月目の7月11日、再び被災地宮城県にいました。息子、娘とともに。詳しくはこちらへ

▼RQ市民災害救援センター東北本部長佐々木豊志さんにお話しを伺った7月11日



 五ヶ月目の8月11日、初めて区切りの日を泰阜村で迎えました。 詳しくはこちらへ

▼福島のこどもたちをキャンプに招待した8月11日



 六ヶ月目の9月11日、秋の気配漂う南信州泰阜村で迎えました。詳しくはこちらへ

▼9月11日の泰阜村



 七ヶ月目の10月11日、再び沖縄のハンセン病療養施設「愛楽園」で迎えました。詳しくはこちら

▼愛楽園で迎えた10月11日



 八ヶ月目の11月11日、冬の訪れ迫る南信州泰阜村で迎えました。詳しくはこちら

▼南信州の晩秋の味、干し柿つくり


 九ヶ月目の12月11日、みぞれ降りしきる北陸福井で迎えました。詳しくはこちら

▼私の通った福井の中学校



 10ケ月目の1月11日、北海道の北端に近い町、中頓別町で迎えました。詳しくはこちら

▼中頓別町の風景



 11ヶ月目の2月11日、厳寒の南信州泰阜村で迎えました。

▼これがNPOグリーンウッド施設内に設置してある登り窯「南山窯」




 そして1年目の3月11日。福井県集中豪雨の中心被災地、福井県旧美山町(現福井市)で区切りの日を迎えました。

旧美山町は、2004年夏に発生した福井県集中豪雨の中心被災地。

普段はおとなしい足羽川がうなりをあげ、町の名の通り美しい山と人々の住居を、あっという間に流れの中にもっていきました。


▼今日の足羽川。豪雨のおもかげは今はない





私の故郷福井。

この旧美山町から通う高校の同級生もいました。

2005年には、私たちNPOグリーンウッドと泰阜村民有志で創る実行委員会が、傷ついた美山のこどもを泰阜村のキャンプに招待しました。

2004年秋に発生した、中越地震で被災した新潟県長岡市のこどもたちも。

このキャンプの打ち合わせのために、旧美山町には打ち合わせで何回通ったことでしょうか。

キャンプで美山のこどもたちは、泰阜村のクワガタをつかまえて大喜び。

「クワガタなんて美山にもいるやろ?」という私の問いに、答えた美山のこどもたちの言葉に絶句。

「クワガタ? いくらでもいたよ。でも、クワガタがいた山ごと川に流された」



集中豪雨から7年がたち、美しい山に戻りつつある被災地。

その山に佇む廃校を活用してこどもたちの体験活動を進めるNPO法人自然体験共学センターに呼ばれました。

こどもの緊急事態の対処(小児救命法)を教えるインストラクターの指導助言です。

私は救命救急法の国際トレーナー。

手を差し伸べれば救えた小さな命。

その命を救おうという「想い」を育てるのが私の使命です。


東日本大震災から1年の今日。

忘れ去られていく北陸の被災地で、こどもの緊急事態や防災を志向する青年たちへの指導。

これもまた「縁」です。

持てる者から持たざる者への一方的な意味合いを含む「支援」から、双方向的なお互い様・支え合いの意味合いを含む「支縁」へ。

距離を超え、時を超え、しがらみを超え、既存の価値観を超える「縁」を豊かに紡いでいきたい。

「支え合い」が土台にある「縁」を豊かに紡ぎ、こどもたちの命の尊厳をこれ以上失う社会になりませんように。

小さな命に手をさしのべる「想い」を持つ青年が増えますように。

そんな祈りを込めて、14時46分に黙祷しました。

災害多き街、北陸福井より


代表 辻だいち








幾重にも

2012年03月09日 | 日々雑感
昨日大阪で鼎談に呼ばれました。

公益財団法人トヨタ財団が発行する機関誌の特集「未来を拓く地域づくり」の鼎談。先進的なコミュニティづくりを産み出している3つのプロジェクトの代表が集まりました。

プロジェクト保津川(京都)の原田禎夫さん。「リアルタイム環境マップを用いた里川復活からのまちづくり」というプロジェクトで、住民主導のまちづくりを行っています。

佐竹台スマイルプロジェクト(大阪)の水木千代美さん。「千里ニュータウンの地域コミュニティを再構築するプロジェクト -多世代が交流できる場所と場面ときっかけを作る」というプロジェクトで、自己肯定感あふれる居場所づくりを行っています。

そして「伊那谷あんじゃね支援学校」の私。
「『共助』と『教育の自己決定権』を取り戻す第1次プロジェクト -へき地住民による教育コミュニティファンド創設に向けて」というプロジェクトです。

このプロジェクトの詳細は、拙著「奇跡のむらの物語」をお読みください(ちゃっかりPR~ 笑)

まあ、3つとも、トヨタ財団の助成金を受けたプロジェクトなのですけれども。


西日本という地勢、しかも大阪の文化、そして千里ニュータウン。

へき地山村に身を置く私にとっては完全にアウェイです笑)。

それでも、会場となった南千里のコミュニティカフェ「さたけん家」の心地よい雰囲気と、主催者のトヨタ財団スタッフの溌剌さ、そして他団体の刺激的な話に、私もついつい言いたい放題でした。

いつものことかもしれませんが(笑)。

私たちNPOグリーンウッドは、けっして地域づくりの団体ではありません。

しかし、拙著「奇跡のむらの物語」をお読みいただいた方はご理解いただけると思いますが、結果的に教育による地域づくりが行われていることは事実です。

集まった3つのプロジェクトは、分野も視点も違います。

しかし、拠って立つコミュニティを再生しつつ、再生するだけではない新たな価値観を伴う再構築に挑んでいる点では、多くの共通する視座がありました。

コミュニティ内部で、良質の「お互い様・支え合い」の構造を幾層にも構築する。

それだけではなく、コミュニティ同志が良質の「お互い様・支え合い」の構造を幾層にも構築する。

それはけっして隣り合うコミュニティだけではなく、遠く離れたコミュニティ同志にもあてはめる。

人びとのしらがみや思惑を超え、遠く離れた距離を超え、そして時を超えても、幾重にも連なり重なる重層的な「お互い様・支え合い」。

そんな共通感覚を持ち得る鼎談でした。

この心地よい共通感覚を、次の動きにつなげられないものでしょうか。

分野を超えて、距離を超えてつながる生産的なネットワーク、課題解決型のネットワークの必要性を感じます。


そして同じ共通感覚は震災支援にも。

人びとのしらがみや思惑を超え、遠く離れた距離を超え、そして1年という時を超えても、幾重にも連なり重なる重層的な「お互い様・支え合い」。

それを、小さな地域同志が、傷つき痛みをわかちあえる者同志が、このままではいけないと想う志を持つもの同志が、幾重にも重なりあって動いていきたい。

震災支援は、けっして被災地への支援だけではありません。

従来、日本社会が持っていた「お互い様・支え合い」の構造を、もう一度紡ぎ直し、再び安心な暮らしをつくる、日本再生の取り組みです。

いや、新しい日本を創る取り組みです。

そんなことを、南信州の小さな山村から発信していきます。


▼東北新幹線に乗るたび、このロゴの前でたたずむ。あさってで1年。





今日、再び福島に入ります。

この1年で産み出された泰阜村と東北との縁。

その縁を丁寧に紡いでいくために。

そして、未来を生きるこどもたちにこの重層的な「お互い様・支え合い」を感じてもらうために。


代表 辻だいち

福島・いわきからの手紙

2012年03月06日 | 震災支援:山賊キャンプ招待
信州子ども山賊キャンプに招待した福島のこどもと保護者から手紙が届きました。

遅くなりましたが、その手紙を紹介します。

私のくどい(熱い?)記事よりよっぽどいい!という意見も寄せられました(苦笑)

私もそう想います(笑)。


キャンプのみんなへ
やすおかむらの、のうかの人へ

ふゆのキャンプにしょうたいしてくれてありがとう。
なつのキャンプのときは、じしんがしんぱいでないてしまったけど、ふゆのキャンプは、すごくたのしかったです。なおみちに、きつつきのあなをおしえてもらったときは、すごいとおもいました。ツリーハウスでみたけしきや、キャンプファイヤーでみたほし空がすごくきれいでビックリしました。ほしってあんなにたくさんあるんだなあとおもいました。いわきでは、ともだちとなかなかそとであそべないけど、やすおかむらで、ともだちとそとであそんだことがとてもうれしかったです。のうかの人たちがきふしてくれたおこめもおいしかったです。
ほんとうにありがとう。  みずと(いわき市小1男)



▼小1の子がその小さな胸に想ったことを、一生懸命書いてくれたんだろうな~





そのお母さんの手紙も同封されていました。


山賊キャンプのスタッフの皆様
泰阜村の皆様 へ

夏のキャンプに続き、冬のキャンプもご招待していただきまして、ありがとうございました。
今回も、前回同様、沢山の方々が寄付金を募って下さった事、農家の方々が、お米や野菜を寄付して下さった事、スタッフの方々が、いろいろ手配して下さった事、本当に感謝いたします。
1月3日~6日までの短い期間でしたが、息子にとって、とても充実したキャンプだった様です。
帰ってきた時のカサカサしたほっぺと赤切れした手を見て、子供の勲章の様に思えました。思いっきり外で遊び、自然を満喫いてきたのだなあと思いました。
・初めて見たキツツキの穴を見て感動した事
・初めて入った五右衛門風呂が熱くて、ビックリした事
・星がとってもきれいで驚いいた事。
・川を汚さない為に、みかんの皮で食器を拭いてから、流す事、等
泰阜村の自然の中で、多くの事を学び感じ取って来た様です。そして何より、森で友達と遊んだ事が、一番楽しかったと話していました。
 いわきでは、放射能の値がだいぶ下がった今でも、公園で子供の姿を見る事は、ほとんどありません。学校から帰っても、友達と遊ぶ事もなく、1人で宿題をしながら、親の帰りを待っている日も少なくはありません。息子にとって、泰阜村で過ごした、3日間は心の底から楽しめた3日間でした。
 まだまだ福島は、放射能のイメージが強く、昨年のお盆も今年のお正月も、他県のナンバーの車を見る事は、ほとんどありませんでした。
そんな福島をバスの引率をして下さった学生のボランティアの方が、「福島は初めて来ましたが、いい所ですね」と何気に言った一言が、とても嬉しく感じました。
本当に、いろいろとありがとうございました。  みずとの母



▼お母さんの手紙も、ぐっとくるものがあります。





こどもたちが福島に帰って、再び始まった彼らの被災地の生活。

その生活を営む中で、冬キャンプをふりかえって滲み出るように産まれた感謝の言葉。

それはきっと、泰阜村で発せられた感謝の言葉とは違う、福島の叫びが潜む言葉なのでしょう。

この感謝の言葉に潜む叫びに、自らの心を揺さぶられる人は、私だけではないはずです。

こどもたちから、明日だけは奪ってはならない。

こどもたちから、明日の希望だけは奪ってはならない。


▼キャンプで雪舞う中でのおもちつきを覚えていてくれた。福島でもまたこんなことが可能になりますように。






感謝の言葉が、今後も連なりを持ってこどもたちから発せられることを願って。

これからも、小さな山村から、息の長い支援を続けていきます。

今週末に、私はまた福島に足を運びます。

代表 辻だいち