わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

あんじゃね震災「支縁」学校?

2012年02月23日 | 泰阜村の「あんじゃね(震災)支援学校」
先週、「あんじゃね支援学校」の会議がありました。

「あんじゃね支援学校」とは、村のこどもたちの体験活動(あんじゃね自然学校)を、村の大人があ~でもない、こ~でもない、と考えることを通して、大人が学びあう場です。

会議に先んじて、村のひとびと対象の研修会も実施しました。

講師は、くりこま高原自然学校(宮城県栗原市)代表の佐々木豊志さん。

佐々木さんは、泰阜村のひとびとも救援物資を送ったRQ市民災害救援センターの東北本部長でもあります。

3年半前の岩手・宮城内陸地震と昨年の東日本大震災の2度の被災を乗り越えて、東北の小さな地域がどのように立ち上がろうとしているのか、そして知られざる被災地の現状と葛藤、それらを熱く語ってもらっていました。

「他人事じゃない。自分事に」と震災支援を地道に取り組む村の人びとも固唾をのんで聞きました。


▼熱く語る佐々木さん







そして夕方からは、「あんじゃね支援学校」の本会議です。

支援学校が開催されて、かれこれ5年になります。

村の猟師から、学校教員、Iターン者、陶芸家、保育園職員、村議会議長、教育長、青年団、そして副村長まで、老若男女がこどもの未来についてゲラゲラ笑いつつ真剣に議論する場は、ほんとに素敵です。

 「あんじゃね」とは、「案ずることはない、大丈夫だ」という意味の南信州の方言です。

こどもたちが「あんじゃねぇ」と過ごせる社会にするために、私たち大人が動くのです。

今年度の成果は、一言でいうなら、手を横だけでなく縦にもつないだことです。

村のこどもたちのために、村の人びとがまずは横に手をつないだ5年間でした。

そして今、村の保育園のこどもたちを野や川や森に連れ出す活動が始まりました。

村の小学校と連携して、学校の授業のなかに地域やNPOスタッフが入って自然体験活動をする動きが生まれました。

村の中学校の生徒を、村を流れる天竜川に連れ出し、川のごみ拾いボランティア活動を通して沖縄に繰り出すことも始まりました。

地域の高校生や短大生が、こどもちをサポートするボランティア活動に来てくれるようになりました。

村の青年団が、こどもたちの活動を企画してくれました。

「あんじゃね自然学校」を通して、さまざまな年齢層のひとびとが縦に手をつなぎつつあります。

村のこどもたちの体験活動を支えるために、村のひとびとが縦にも横にも手をつなぎはじめました。

それは、まさに泰阜村の暮らしの文化が持つ教育力を、取り戻す作業にほかなりません。


その教育力を、震災支援にいかそうと奔走してきたこの1年。

人口1900人足らずの泰阜村の人びとが、小さな力と知恵を持ち寄って、横にも縦にもナナメにも手をつなぎ、東北の小さな地域を支援してきました。

そして産まれつつある、東北の地域と泰阜村との縁。

この縁を豊かに紡がなければなりません。

「支援」は「支縁」

小さな地域同士が支え合いつつ、生産的に縁を紡げたならば、震災支援のみならず、これからの日本のあり方に、一石を投じるモデルとなると信じています。

まだまだやることがあるぞ~!


代表 辻だいち


関心への無関心

2011年09月16日 | 泰阜村の「あんじゃね(震災)支援学校」
地元の南信州新聞に、紹介されました。

本文を紹介します。


9月16日付け南信州新聞

泰阜村の米を福島県へ

山村留学生が袋詰め作業

村住民が提供


 泰阜村田本の山村留学「暮らしの学校だいだらぼっち」の子どもたちは14日、サマーキャンプに参加した福島県の児童約50人へ贈る泰阜村産米の袋詰め作業を行った。米は、サマーキャンプの際に村住民有志が提供したもの。同山村留学を運営するNPO法人グリーンウッド自然体験教育センターは、今後も末永く福島県などの被災児童支援活動を続けていくという。
 ことし7-8月に開催したサマーキャンプで福島県児童を招待。体験を支援する住民グループ「あんじゃね支援学校」(木下藤恒代表)の呼び掛けで、福島県の児童の参加したキャンプで利用する農産物を村内から募ったところ、米は30人ほどから計約350キロの提供があった。また、キャンプ会場近隣の住民が毎日野菜を届けるなど、参加者へお土産を持たせた特産野菜は万場の宮入良夫さんが無償で提供するなど村住民が手厚く支援した。
 米はキャンプで利用しきれないほど大量に集まったため、残った約250キロを1人5キロずつ福島県からの参加児童にプレゼントしようと計画。発送の費用は、村内外から集まったキャンプ支援の寄付金の残りを利用した。寄付金も各地の大学生などの支援などにより目標額300万円を上回る約350万円が集まったという。
 発送作業にはグリーンウッドのスタッフだけでなく山村留学の小中学生も参加。村の善意で集まった米を1粒でも無駄にしないように丁寧に袋に入れ、軽量していった。
 山村留学生の渡辺海君(泰阜小6年)は、昨年のキャンプで福島県いわき市の須田貴大君と友達になり、今回須田君に手紙を書いてキャンプに招待した。
 「泰阜村でとれたお米はおいしいのでたくさん食べてもらいたい。また会えたらいいな」と話していた。
 グリーンウッドの辻英之代表理事は、翌16日から福島県を訪問しボランティア活動の支援やキャンプ参加家庭の訪問などを予定。「当初から支援は長期を予定していた。今後も教育活動を通じて身の丈にあった支援を続けていきたい」と話していた。



 記者さんはあわてていたのでしょうか。

 私は26日から福島に行くと言ったのですが。

 今日から福島に行くことになっていました(笑)。

 でも、小さな村の小さな支援活動を、しっかりと取材していただくその姿勢に感謝です。

 日々薄れゆく震災への関心。

 日々薄れゆく震災の報道。

 私たちは、被災した地域や被災した人びとに「関心を寄せる」ことに対して「無関心」になってはいけませんね。

 常に被災地に対して「心」から「関わって」いきたいと想います。


 最後になりましたが、南信州新聞社のみなさん、本当にありがとうございました。

 代表 辻だいち

お米に想いを載せて

2011年09月14日 | 泰阜村の「あんじゃね(震災)支援学校」
 「はい、5kg!」

 今日の夕方、元気なこどもたちの声が響き渡りました。

 信州子ども山賊キャンプに招待したフクシマのこどもたちのために、泰阜村の人びとから集まったお米、数百kg。

 フクシマのこどもが参加したコースだけではそのお米を全て食べることはできませんでした。

 その余ったお米をどうするか。

 そのお米には、泰阜村の人びとの想いが詰まっているのです。

 NPOグリーンウッドのスタッフが「キャンプに参加してくれたフクシマの子どもに送ってはどうか」という案を持ち寄りました。

 泰阜村の人びとに支援を要請した「あんじゃね支援学校」校長の木下藤恒さんにも「そうしてやってくれ。それが一番だ。泰阜全村民の想いだから」と、強く賛同していただきました。

 今日、フクシマのこどもたち47人に、お米を宅急便で送るための作業を行いました。

 お米を5kgずつ軽量し、米袋に詰める作業は、暮らしの学校「だいだらぼっち」(山村留学)のこどもたちです。


▼山村留学のこどもたちがお米を軽量する



▼お米を仕分けるこどもたち


 ご存知のとおり、暮らしの学校「だいだらぼっち」にも、被災したこどもを3人(福島県と千葉県)、長期(1年間)で受け入れています。

 この被災したこどもたちも、作業を手伝いました。

▼福島から来た被災児童ももちろん手伝った


▼千葉から来た被災児童もはりきった



 泰阜村に長期(1年間)にわたって避難(山村留学)してきた被災児童が、キャンプ(夏休み)で泰阜村に来た被災児童へお米と想いを送ります。

 南信州の忘れ去られたような小さな山村:泰阜村から、地震・津波・放射能におののく被災地フクシマへお米と想いが送られます。

 まさに小さく弱く傷ついたもの同士の「困ったときはお互い様」。

 被災地と小さな山村に生まれた縁が、どうしてこんなに豊かな縁に連なっていくのでしょうか。

 支援は「支縁」といい続けてきました。

 やっぱり、支えあい、お互い様の支援は、めぐりめぐって豊かな縁を紡いでいくのでしょう。
 
 
 おじいま(おじい様の意味)とおばあまのしわくちゃの手で手塩に育てられた一粒一粒のお米。

 このお米の一粒一粒には、村のひとびとの想いが埋め込まれています。

 このお米の一粒一粒には、きびしい自然と共存して生き抜いてきたひとびとの営みと歴史が流れています。

 その想いをしっかりと受けたのか、「だいだらぼっち」(山村留学)のこどもたちは、それはそれは一生懸命作業をしました。

 もちろん、私たちスタッフも。

▼スタッフはまずは宅急便の宛名書き



 この、泰阜村の人びとの想い、きっとフクシマに届く。

 この、「だいだらぼっち」(山村留学)のこどもたちの想い、きっとフクシマのこどもたちに届く。


 信州こども山賊キャンプに来たフクシマのこどもたち。

 「あいつらきっと喜ぶだろうな~」(だいち)

 宅急便が届いたときの、驚きと歓喜の顔が、目に浮かびます。

 それでいいのです。

 ヤスオカとフクシマの豊かな縁が紡がれ始めました。

代表 辻だいち



支援とは感謝の気持ちを抱くこと

2011年08月29日 | 泰阜村の「あんじゃね(震災)支援学校」
フクシマのこどものキャンプを、泰阜村の人びとが支えました。

伊那谷あんじゃね支援学校の座長、木下藤恒さんが村の人びとに、支援を呼びかけてくれたのです。

そして集まった多くのお米とお金。

村の人びとの想いに対して、村の全戸に、次のようなお礼状が配布されました。


2011年8月19日

泰阜村民の皆様

伊那谷あんじゃね支援学校
校長(座長) 木下 藤恒

NPO法人グリーンウッド自然体験教育センター
代表理事   辻 英之



福島のこどもの招待キャンプにおける協力のお礼


 このたび、東日本大震災で被災した福島県のこどもたち約50名を「信州こども山賊キャンプ」(NPOグリーンウッド主催)に招待するにあたり、村民の皆様からお米や野菜、お菓子やお弁当、そして募金など、多くのご支援をいただきました。この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

 福島県のこどもたちは皆、泰阜村の自然の中で、青い空と満点の星空をみあげて深呼吸をし、透き通る清流で心ゆくまで魚を追い、顔にべったりと泥がつくほど転げまわり、泰阜村のお米と野菜をおなかいっぱいに食べました。

 8月12日を持ちまして、福島県のこどもたちは泰阜を離れ、福島県(いわき市、福島市、郡山市、二本松市、田村市、鮫川村)に帰っていきました。こどもたちの中には津波で家を失ったこどもなどもいましたし、際限のない放射線の影響と恐れおののく毎日が再び始まります。福島県のこどもたちが「あんじゃねぇ」と安心して暮らせるための支援につきまして、ささやかながらも今後も継続してまいりたいと思いますので、その際には何卒ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。

ご支援いただいた募金額   107,044円

ご支援いただいたお米など  お米350キログラム、野菜、お菓子、他


●福島県いわき市のこども(中1)のお礼の言葉
 このたびは山賊キャンプに僕達を招待してくれてありがとうございます。今回の招待は泰阜村の皆さん、長野県の皆さん、学生の皆さん、その他たくさんの方々の支援があって実現したことを聞きました。本当にありがとうございます。

 僕は去年の夏と冬に山賊キャンプに参加してとても楽しかったので、今年の夏も山賊キャンプに参加しようと思っていました。でもあの地震があってから参加はあきらめていました。でもキャンプのスタッフがわざわざ僕の家までお見舞いに来てくれて、今年もキャンプに参加できると聞いたときにはとても嬉しく信じられませんでした。

 今、福島県と聞くと、福島原発、放射能が思い浮かぶかと思います。3月11日の大地震から、僕たちの生活は大きく変わりました。地震のとき、僕は小学校で先生方との謝恩会を開いていました。学校の屋上から、津波が近づいてくるのを見ました。そして同級生の家が流されました。その日の夜は近くの学校の体育館に避難しました。それからしばらく水や電気が止まり、毎日何時間も並んで水汲みに行きました。スーパーが閉まって物が入らなくなり、食べ物がなくなりとても困りました。原発が爆発してたくさんの人が県外に避難していきました。僕もしばらく東京のいとこの家に避難していました。

 しばらくすれば落ち着くと思っていましたが、5ヶ月たっても福島の状況はよくなりません。いわきでは水辺ではもう遊べませんしプールの授業もありません。外での部活も時間が制限されています。食べ物もできるだけ離れたところで作ったものを買います。
 でも僕たちは福島で生活していくしかないので、学校ではあまり放射能のこととか話したりはしません。これからどうなるのか不安はありますが、みんなでがんばっているので福島を応援してください。

 僕たちは山賊キャンプで、いわきではできない水遊びや自然の中での遊びを思いっきり楽しみたいと思います。そして泰阜村の皆さんが作ってくださった野菜やお米をたくさん味わいたいと思います。

 このたびはありがとうございました。



 今日、8月29日、信州こども山賊キャンプの全日程が終了しました。

 全国から集った約1,100人のこどもたち、約350人の青年ボランティが、泰阜村の自然を思いっきり堪能して帰っていきました。

 このなかに、47人のフクシマのこどもたちがいました。

 47人のこどもたちもまた、泰阜村の鳥が飛ぶ空をみあげ、魚が泳ぐ川を潜り、そして皆が立つその土を駆け回りました。

 フクシマのこどもたちからは、続々とお礼の手紙が届いています。

 泰阜村のみなさんへ、学生のみなさんへ、もちろんわたしたちスタッフへ、そしてこの支援活動を支えたすべて人たちへ、感謝の想いが綴られています。

 そして、この支援活動を支えたすべての人びともまた、感謝の想いを強くしていることでしょう。

 それはなぜなら、支援活動を通して、私たちが失いつつある大事なものを気づかせてくれたからに他なりません。

 困ったときはお互いさま。持ち寄ってみんなで支える。

 文字にすればたったこれだけのこと。

 でも、その気持ちを持つことが今の世の中は難しいのです。

 支えるとは、感謝の気持ちを自らの胸に抱き続けることでもあるのかもしれません。


 泰阜村の皆様、この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。

 私たちの支援活動を支えていただいたすべての皆様、この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。

代表 辻だいち



泰阜村のひとびとからいただいたお米と募金を集計しました

2011年08月20日 | 泰阜村の「あんじゃね(震災)支援学校」
 泰阜村の「伊那谷あんじゃね支援学校」(座長 木下藤恒)が呼びかけた、村内の募金とお米の寄付。

 さあ~、どうなったかといいますと・・・


 募金額は 107,044円!

 集まったお米は 約三百数十キログラム!

 他、野菜やお菓子が集まったことは、すでにブログで紹介したとおりです。


 この場をお借りして、まずは泰阜村1900人の皆様に、心より御礼申し上げます。

稲伏戸の「ぎんちゃ」



 泰阜村。

 何度も紹介していますが、南信州の山岳地帯にある村です。

 いまなお国道が走らず、信号もなければコンビニもありません。

 山岳地帯ゆえに、田畑など耕作可能な土地が、とっても少ないのです。

 だから、江戸時代に、米を年貢でおさめられなかった。


平島田の「ながちゃ」



 年貢とは税金。免税地にはならないので、なんとかして米に替わる何かをおさめなければ幕府が黙ってはいません。

 そこで、泰阜村は、「木(サワラの木)」を年貢におさめたのです。

 眼のくらむような急傾斜地で木を伐採し、数百メートル底を流れる天竜川まで木を降ろし、いかだを組んで天竜川をくだり、太平洋を経由して江戸になんとか運んでいたようです。

 そんな貧しい村があったんですね。

 でも、江戸時代も、今も変わりません。

温田の「田鶴さん」



 泰阜村にはいまだに「隣組」や「仲間」、「結い」といった制度が息づいています。

 小さな村の人びとが、少ないながらもそれぞれの財(時間、労働、食料、情報、お金など)を持ち寄って、力を合わせて豊かな地域コミュニティを創り上げてきたのです。

 その創り上げてきた歴史のど真ん中に、フクシマのこどもたちのキャンプも位置づきました。

「困ったときはお互い様。みんなで持ち寄ってなんとかする」

 この村の風土が生み出す教育力が、今また発揮されようとしています。


田本の松下さん



 村の人びとから集まったお金やお米の「支援の量」もさることながら、むしろ集まったお金やお米にどのような想い込められているのかという「支援の質」が問われています。

 村のおばあま(おばあ様の意味)が、そのしわくちゃの手で1枚1枚数えて募金箱に入れてくれた1円玉。

 村のおじいまが、腰をかがめながら汗水流し、手塩にかけて栽培した1粒1粒のお米。

 そのお金やお米に込められた「想い」は、「重量」で計れば軽いのかもしれませんが、「質」を計ることができるのであればきっと「重い」はずなのです。

 そして、それを「重い」と思えるようなこどもを育てたい。

 きっと山賊キャンプに参加したフクシマのこどもには伝わったことでしょう。

 そしてヤスオカのこども、ゼンコクのこどもにも。

 そう信じています。


田本の中山さん



 きびしい自然環境の泰阜村に住む人びとの想い、しっかりと受け取りました。

 改めて、泰阜村1900人の皆様に、心より御礼申し上げます。

 村の皆さんへのお礼状が、月末に全戸配布されます。それについてはまた別途紹介します。


代表 辻だいち

左京の「しょうちゃ」