わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【「やりにくい」というのは言い訳にすぎない】 ~500人の学生にアクティブラーニングを~

2017年04月25日 | 泰阜村が大学になる
今年の立教大学。

1年生の授業を受け持つ。









この授業受け持つのは2年目だ。

立教大学が力を入れるサービスラーニングの導入期教育に位置づく。

200人の新入生に、「学び方」を教えることになる。

この人数で体験型・参加型(いまどきはアクティブラーニングという)で進めるにはやりにくい大規模授業だ。

しかし「やりにくい」というのは言い訳に過ぎない。

その規模でも学生に学びがあるように工夫するのが教員の務めだ。










泰阜村から大学まで、往復10時間。

東日本大震災の年から7年続くもうひとつの授業は、なんと履修学生300人。

あわせて500人の学生に参加型・体験型の授業をするのは、心身共に疲れる。

それでも、体験教育のプロとして、渾身の力を込めて、可能性広がる学び方を伝えたい。

これもまた挑戦である。



代表 辻だいち


【泰阜村の森のようちえん「まめぼっち」】 ~この森が、こどもたちの育ちと学びを支える~

2017年04月23日 | 自然のソコヂカラ

泰阜村の森のようちえん。

「まめぼっち」と呼ばれる活動だ。



ここは、泰阜村の元学校林。

2010年3月に廃校となった泰阜北小学校の旧学校林である。

1940年代、まだ薪ストーブが主流だったころは、燃料を調達する薪炭林として利用されていたという。

時代が変わり学校から薪ストーブが消えるとともに、子どもたちの声が森林から消えた。やがて手入れのされない木が増え、暗い森になって放置されていたのだ。

それが今では、森のようちえん「まめぼっち」や、村のこどもたちの体験活動「あんじゃね自然学校」の活動場所として再生されている。





もう10年ほど昔の話。

森林に子どもたちの声を取り戻そうという願いから、私たちはツリーハウスづくりを計画した。

村の製材所や林業士、プロのツリーハウスビルダー、グリーンウッドのスタッフ、そして村の子どもたちが4回にわたってワークショップを行なった。

もちろん子どもたちのアイディアをもとに設計する。

高さ5m、床面積6畳、窓やドア、ロフトまでついた立派な小屋だ。



この学校林の思い出を村の古老に聞いたことがある。 

「いやだったのはな、薪を背負板にたねる(束ねる)ことが上手くできんかったことだな」

どうやら学校林に薪集めに行くのは楽しいことばかりではなかったようだ。

なんせ学校まで、ズルズルと変な格好で薪を背負わなければならなかったからだ。

「そうしたらな、上級生が見かねて背負板にたねる(束ねる)のをやってくれたもんだ」

当時の子ども同士で助け合っている。



ツリーハウスを建てるときも同じだ。

小6の子が小1の子に手を添えて作業を行なった。

昔と今では旧学校林の使い方、活動内容は違う。

しかし、大事なことは受け継がれている。

それは、この林に埋め込まれている教育力だ。



「2人で行動すること。1人っきりにはならないこと」

かつて山師だったおじいま(おじい様の意味の方言)は、夕暮れ迫るころ、何頭も熊をしとめたこと、熊と出会ったら逃げるのは容易ではないことを、子どもたちに伝えた。学校林の周りの木には熊の爪跡がある。

森林はどんどん暗くなっていく。

子どもたちは、ゴクリとのど鳴らしながらおじいまの話を聞いている。

その後、あれだけ言うことを聞かなかった子どもが、勝手に1人では行動しなくなった。

子どもたちは学んだ。

この森林で過ごすには、助け合うことが必要なこと、人の言うことを聞くことが必要なことを。

ツリーハウスが完成し、戻ってきたのは子どもの声だけではない。

この林に内在していた教育力も戻ってきた。



今ではこの森は、子どもたちの一番人気の場所になりつつある。

それは、この森林が村の歴史や村人の存在と切り離されないための大切なことを学べる場であることを、子どもたち自身が自覚しているからなのだ。



今日も、幼児たちが縦横無尽に森を駆け抜ける。

とても気持ちよさそうだ。

この森が、こどもたちの育ちと学びを支えている。

だから、この森に来ると、私まで心地よくなる。


代表 辻だいち


【やっぱり私は体育教師である】 ~お互い様は身体で学ぶ~

2017年04月22日 | 泰阜村のソコヂカラ
今日は、道路愛護作業。

私たちのおひざもと「田本集落」住民総出である。

集落には6つの班がある。

集落の道路を6つにわけてみんなで溝さらいなどをする。

私たちが属する田本第1班は、山道を降りたどん詰まりにある老夫婦の家を抱えているため、その山道も担当する。

これがなかなかたいへんなのだ。

冬を越して、落ち葉が水分を含んでどっしりと重い。

そのうえ、がけが崩れて岩や土砂がたっぷりと溝を覆っている。

この作業には、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちも皆、参加する。

だって、彼らも住民票を泰阜村に置く、れっきとした泰阜村民なのだから。

そう、当たり前なのだ。

こどもたちの小さな手とはいえ、18人の助っ人は、村の皆さんからそれはそれは感謝された。

身体中がきしむほどの重労働をやり終えて、老夫婦がお茶とお漬物で迎えてくれた。

その時間は、「もうこのまんまここで花見するか!」と皆が口に出すほど心地よいものだった。

こうやってお互い様で支え合っていくことを、身体で学ぶのだ。











実は私は大学時代、体育の勉強をしていた。

北海道の自然豊かな片田舎の学校で、体育の教員をやろうと想っていたが、今、信州の山奥にいる。

スポーツを教える機会はほとんどない。

でも、私は、泰阜村の教育活動はまさに体育だと想っている。

身体を通した学びこそ、体育。

「困った時はお互い様」のセンスは、道徳の時間や教室の中だけでは育たない。

地域社会のために身体を動かしてこそ、育つものだと確信している。

そう想えば、やっぱり私は体育教師である。


代表 辻だいち


【こどもたちから明日を奪うな】 ~あなたが夜明けを告げるこどもたち~

2017年04月19日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ





熊本地震から1年。

その日に熊本の地に立つと、心がえぐられる想いがした。








そして今日、福島県飯舘村に立っている。

6年が経過した今、一部を除いて避難解除となった地。

その地に立つと、この6年の足跡がよみがえる。









東日本大震災後、そして熊本地震の後、毎日毎日、泰阜村から空と山を見上げてきた。

春霞にゆれる山々、梅雨に煙る山々、積乱雲が天を突く空、大きな虹がかかる空、そしてまさに星が降ってきそうな満天の夜空・・・

この空と山を見上げて、毎日毎日唄い続けてきた歌がいくつかある。

私はちょっぴりギターの弾き語りをやる。

歌もギターも上手くはないが(苦笑)。

いつも歌い続けている唄のひとつは「私のこどもたち」

以前に、このFBやブログでも紹介した。

ほんとうにいい唄である。

今日は、いつも歌っている唄のなかから、もうひとつ唄を紹介したい。



みあげてごらんあの山を
山に続く深い空を
あなたの命より偉大なものは
何もないんだこの地上には
あなたが夜明けを告げるこどもたち
素足で大地を駆け抜けるこどもたち

みあげてごらんあの山を
山に続く深い空を
あなたが未来に生きるこどもなら
みんなで一緒に歩いていきなさい
あなたが夜明けを告げるこどもたち
素足で大地を駆け抜けるこどもたち

みあげてごらんあの山を
山に続く深い空を
たとえ悲しい今日があっても
生きるってすばらしい明日があるかぎり
あなたが夜明けを告げるこどもたち
素足で大地を駆け抜けるこどもたち ♪




曲名は「あなたが夜明けを告げるこどもたち」。

作詞者は、以前3月11日のブログ記事で紹介した「私のこどもたちへ」を書いた人と同じく「笠木透」という人。

世界中で起こる大災害や戦争・内紛・テロ、あるいは子どもを取り巻く悲惨な犯罪事件が、毎日のようにテレビをにぎわしている。

逃げ惑い、絶望的な表情をみせる人びと。

その現地の情報を、映像として見続けてきたこどもたち。

こどもたちは、命とは尊いものであり一度断ってしまっては二度と戻らないのだという意識を失ってしまうのでないかと危惧している。



こどもたちに伝えたい。

命というのはほんとうに偉大なのだということを。

小さくて不完全で自分勝手なこどもたち。

そんな弱いこどもたちであっても、手をとりあい支えあうことができれば、きっと前に向かって進んでいけると信じ続けてきた。



こどもたちに伝えたい。

必ず明日は来る。

こどもたちよ、その明日に向かって、希望を失わずに歩いていこう。

夜明けを告げるのはきみたちなんだ、と。




私は歌うこともギターを弾くことも上手くはない。

でも、私が伝えたいことは唄ではないのだ。

ましてやギターのテクニックでもない。

私が伝えたいことは、唄に載せた「想い」である。

家族を奪われ、友達を奪われ、故郷を奪われた被災地のこどもたち。

そのこどもたちから、明日だけは奪ってはならない。

全国のこどもたちから、明日を奪ってはならない。

そんな強く重い「想い」を載せて、そして空をみあげて、私は今日も歌う。

「あなたが夜明けを告げるこどもたち」

この唄、どうしても熊本のこどもたち、東北のこどもたち、そして全国のこどもたちに贈りたい。



代表 辻だいち




【女の園】 ~なかなか手ごわい女子大生と半年~

2017年04月13日 | 泰阜村が大学になる
今日は女の園。

その名の通り桜が咲く(満開を過ぎたけれど)「桜花学園・名古屋短期大学」。





この大学とはもう15年の付き合いか。

教壇に立つのは今年で6年目になる。

今年も、高校を出たばかりの1年生対象に、「自然と生活」、就職活動を控えた2年生を対象に「生活と医療」という授業を受け持つ。

「自然と生活」の授業は、自然と向きあう暮らしを営む泰阜村の実情を紹介しつつ、あるべき自然と人間の暮らしの関係性を考える授業だ。

「生活と医療」は、医療の知識を学ぶのではなく、医療機関や防災機関にたどりつく一歩手前、つまり日常に潜むリスクについて体験的に学ぶ授業である。










今日はオリエンテーションだったが多くの学生が来てくれた。

この大学の学生は、なかなか手ごわい。

一筋縄では授業がうまくいかない経験を積み重ねてきている。

初回の授業は、すこぶる好反応だったぞ。

このうちの何人が履修してくれるのだろうか。

来週をお楽しみに(苦笑)。

まあでも、自分の子どもと同じ年代の女学生と一緒に、まずは半年がんばってみよう。これで今年もまた毎週名古屋である。


代表 辻だいち