わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

思い切り

2015年11月30日 | ひとねる=自律のひとづくり
スーパー猟師夫妻の珍道中は続く。

今日は長崎。

NPOグリーンウッドの元スタッフ夫妻(けんちき&かおるこ)の家におじゃました。

こどもの「たまりば」を一所懸命に創る若夫婦。

子どもたちと一緒に改装したという素敵な家に、彼らの仲間が集まってきた。

長崎の海の幸、信州や大分の海の幸、それらをつつきながら楽しい夜が更けていく。


▼終着駅の風情









若夫婦は、NPOグリーンウッドで出会った。

いつしかお互い惹かれあい、目指す方向も重なったのだろう。

故郷に戻った彼らは、一昨年冬に結婚式をあげた。

私もスタッフ仲間と式に駆けつけ、素晴らしい夜景を見ながらお祝いの言葉を述べた。

当時は二人ともバリバリのスタッフ。

せっかく育てたのに、という想いがないわけではなかった。

しかし、育てた人材が必ずしもNPOグリーンウッドで活躍するとは限らない。

むしろ、全国に通用する確かな人材を思い切り輩出して、思い切り送り出したと想うべきだろう。

泰阜村で葛藤し、悩み、それでも生き抜いたあの「学び多き時間と熱量」。

その強さを載せて、彼らを思い切り送り出したのだ。

彼らは長崎に着地し、悩みながらも彼ららしく活躍しているではないか。

スーパー猟師を囲む宴を楽しみながら、若夫婦の顔を見ていると、心地よい酔いが身体をかけめぐる。





吹けば飛びそうなわたしたちの小さな縁。

でもその小さな縁を「紡ごう」と想えばきっと強い縁になる。

学びの縁を紡ぐことのできる人材が、長崎に降り立った。

君たちが次の社会を創る。

出番だよ。

信州の山奥で、心から応援している。


▼路面電車も風情がある



▼長崎大学にも立ち寄ってちょいと仕事




代表 辻だいち


おそるべし

2015年11月29日 | 泰阜村のひとびと
泰阜村のスーパー猟師「ケサトさん」、今度は大分県の山村で講演。

ここは大分県日田市中津江村。

2002年のサッカーワールドカップでカメルーン代表の合宿地になった所だ。

縁があり、ここ1年ほど、中津江・上津江の教育プロジェクトに関わっている。


▼中津江の民宿のおばちゃんが作ってくれた創作寿司






中津江・上津江もご他聞にもれず、へき地山村の課題をばっちり抱えている。

自治体合併後、その衰退の度合いは激しいという。

泰阜村もそうだが、どこも同じだ。

中津江・上津江あわせて人口が1700人。

泰阜村の人口とほぼ同じ、地形まで似ている。

私が津江地区を訪れるのはこれで3回目。

その間に、津江地区の人々が泰阜村に2回来ている。

その流れで、スーパー猟師の出番ということだ。


▼信州の風景と変わららない大分の山村





スーパー猟師「ケサトさん」の講演には、村の子どもたちや猟友会の皆さんが聞きにきてくれた。

最初は「信州なんかから来た猟師が何を・・・」というような雰囲気だったが、話が進むにつれ雰囲気が変わる。

最後は、こどもも猟友会のみなさんも、みな食いつきまくりだった(笑)。















今回はケサトさんの奥さん「ヨシコさん」も同行された。

ヨシコさんは津江地区のおばちゃんたちにシシ鍋教室の講師だ。

こちらも、これまた食いつきまくり(笑)

「日本一美味しいシシ鍋」のコツを知って、みなさん大満足。

予想以上に大好評で、ケサトさんとヨシコさんのまわりには、帰る間際まで人が集まり質問攻めにあっていた。

スーパー猟師夫妻、おそるべしなのだ。













私は私で、地域の教育力について基調講演とパネルディスカッション。

聴衆としてのケサトさんにもコメントいただき、良い会になった。

これで大分県日田市中津江村での今回のミッションは完了。

津江地区と泰阜村の、教育を通した交流。

ここまで形になってきた。

次はおそらく、津江の住民のみなさんが泰阜村に研修旅行に来るのではないかと思う。様々な階層同士の交流が進むと、その向こうにこどもたちの交流も始まるだろう。

信州と九州の小さな村がつながっていく。

代表 辻だいち


九州上陸

2015年11月27日 | 泰阜村のひとびと
泰阜村のスーパー猟師「ケサトさん」、九州初上陸。

なんと、九州大学で講義してもらった。

午前中は「生涯学習概論(80名ほど)」、午後は「社会教育方法論演習」という10名ほどのゼミ。

九州大学教育学部の岡先生との縁でこのようなことに。










岡先生とは、もう8年ほど前に社会教育関係のドイツ視察で、一緒になった。

それとは関係なく、岡先生の教え子がNPOグリーンウッドで1年間、大学生の山村留学をしたり。

一昨年、岡先生が泰阜村を視察された際、ケサトさんの家にも連れて行き、シシ鍋をごちそうになったのだ。



年が明けて2月、私は九州大学で集中講義を受け持つ。

その準備講義の意味も込めて、ケサトさんと一緒に講義した。

授業の前にキャンパスを歩きながら「国立大学なんて初めて来た」とケサトさんはつぶやいていたけど、全く動じていない(笑)。

 出発前に村の人々から「ホントに九大で講義するの!?」と驚かれたらしい。

「ケサトさん、村に帰ったら有名人になってますよきっと」と私が言ったら、ニヤッと笑って煙草をふかした。

いやほんと、どこでも絵になる人だ。






九州大学の学生は極めて学習態度と意欲が高く、ケサトさんも驚きだった。

それ以上に、学生にとっては、地に足をつけたというよりも大地と共に生きるケサトさんそのものが刺激になったに違いない。

南信州の暮らしの営みが、海を渡って九州の若者の心に響く。

私にとっても学びになる時間だった。






夜は大荒れの天気の中、天神のうまい寿司居酒屋で、岡先生と共に一献傾けた。

小さな縁を丁寧に紡いで今日、今がある。

紡ぐことを諦めなければ、心震わす出逢いが待っている。

そう信じることのできる1日だった。

2月にまた博多に来る。

ケサトさんの想いを纏って、泰阜村の風土を纏って、今度は私が学生に渾身の力を振り絞って講義をする番だ。

こうやって受け継がれていく。


代表 辻だいち


たまりば

2015年11月26日 | 全国のなかまたち
思わず笑顔で握手した。

抱き合いたかったくらいだ。

20数年ぶりの再会。

川崎のNPOフリースペースたまりば理事長の西野さん。

不登校や引きこもり、障がいや非行や貧困。周辺に置き去りにされたこどもたちにスポットを当て続けた日本の第一人者。

握手した彼のその手に、20年間の苦労が刻み込まれている。

実に21年前に、兵庫県高砂市で開催された全国交流会で初めて出会った。

全国のオルタナティブスクールやフリースペースの関係者が一堂に会する場だった。

それ以来である。

なのに、どうしてこんなにも同志の想いでお互いがいられるのか。


▼たまりばの西野さん




80年後半から90年代。

ちょうどNPOグリーンウッドも産声をあげていた。

86年に暮らしの学校「だいだらぼっち」が始まり、私も93年からその取り組みに参画。

日本中に、教育を学校の教室内だけに押し込めず、もう一つの教育の取り組みを興そうという力強い風が吹いていた時代だ。

そんな時に出会った「たまりば」の西野さん。

多摩川沿いで小さな活動していたから「たまリバー」。

うまいな、と当時思ったものだ。

私たちの「だいだらぼっち」も相当インパクトのある名前だったのだろう。

記憶に残る出会いだった。

そしてまた、若い我々の出会いは、新しい教育の可能性を、互いに確信に近い感情で得たのだと想う。








20年の時を超えて、今回、NPOグリーンウッドの若手スタッフが、西野さんのところに研修に行く。

その打ち合わせを兼ねてあいさつに訪れたのが今日。

ほんの2時間だったが、互いの想いや歩みを理解するには十分だった。

胸のすくようなミッションが彼の口から語られ、混沌からあふれ出るチカラみなぎる現場がそこにあった。

21年前の全国交流会の資料を、西野さんが持ってきてくれた。

「いや~、なかなか昔の資料を捨てられなくてね。積み重ねられた段ボールのいちばん上のやつを空けたら、たまたま一番上にこの資料があったよ。縁なんだよね、やっぱりお互い(笑)」

お互いの古い資料を見ながら大笑い(この古い資料は、いずれ紹介したい)。

懐かしい話と、この20年のこどもをめぐる環境の変遷や互いのミッションについて話し込んだ。

心躍る瞬間、魂が揺さぶられる時間だった。






来年は、暮らしの学校「だいだらぼっち」開設30周年。

こどもの可能性をもう一度、問い直したい。


代表 辻だいち


故郷

2015年11月25日 | ひとねる=自律のひとづくり
立教大学「自然と人間の共生」の授業。

今回もゲストスピーク。

NPOグリーンウッドの元スタッフ(バン)が登壇。

どこから来たかがシビレル。

与論島(鹿児島県)。

ご存じだろうか?

鹿児島県最南端に位置し、鹿児島までは570㎞あるらしいが、沖縄本島まではわずか23㎞。

沖縄が返還されるまでは、日本最南端の島だった。

このはるか南の離島からやってきてくれたのだ。



海岸ゴミ清掃、海洋を汚さない洗剤の普及、離島の文化を次世代につなげるためには、島の高校をどうするのか・・・

離島が抱く宿命的な課題を、前向きに解決しようと挑戦する素敵な話が聞けた。

学生にとっても刺激になったに違いない。


▼福井県民ココロの店








夜は、私の大学時代の友人も合流して、3人で夢を語った。

店は、いつもの焼き鳥屋。

私の故郷:北陸は福井の店で、ここしか案内できない(笑)

この店定番の「社長!」という客に呼びかける言葉に、思わず私も福井弁で応答してしまった。








故郷を想う想いは誰しもがいただくもの。

与論から来た彼は、信州泰阜村の6年で得たことを、今、故郷の還元しようとしている。

きっといい島になるに違いない。

離島に暮らす人々の壮絶な生き様に、きちんと敬意を払うことができる人は、ぜひ与論島に行ってほしい。

彼の家は民宿もやっている。

学び深い時間になることを私が保証したい。

次は東京で、与論島の店で飲みたい。

その日まで、お互いがんばろう。



代表 辻だいち