148 疎開先で見たもの 母屋(おもや)は大きな農家だった。 鶏、兎、綿羊、蚕、山羊、牛など色々な動物が飼われていた。 母屋とわたし達が住んだ離れとの間は広い前庭になっていた。鶏が何羽か、ときどき鳥小屋から出されて、その庭で遊んでいた。庭に筵を広げ、穀物などが広げて干されるときは、鶏たちはとうまる籠の中に集めて入れられていた。鶏は卵を産むので羨ましかった。 綿羊も家から少し離れた小屋で1頭買われていた。メンヨウと言う言葉を知ったのもそのときだ。綿羊の毛が刈取られるのも見た。横倒しにされ押さえつけられて、鋏が入れられ、服を脱がすように刈り取られていった。 恰幅の良かった綿羊が毛を刈取られてしまうと、ピンクの肌が見えて、ひょこひょこと、すっかり威厳を失っていた。 母屋の6年生の女の子が着ていたセーターもその綿羊の毛で編んだ物だということだった。 | |
母屋の二階では蚕が飼われていた。何度か母について薄暗い屋根裏部屋に見学に上ったことがある。 沢山のもろぶたぐらいの大きさの、金網を張った木枠が棚に並べられており、金網の上には、桑の葉が広げられて、芋虫のような蚕がさかんに桑の葉を食べていた。 後に、母は「ばりばり、ばりばり、蚕が桑の葉を食べる音が凄かったね」と言った。 その記憶はわたしにはあまり定かではないが、しんと静まった部屋の中に、全体にそういう音だけが不気味に響いていたように思う。 | |
桑の葉を集めるのを母や上の子供達は加勢していたように思う。農家の6年生くらいの娘さんが先生だ。背中に籠を背負い、桑畑で葉っぱを摘み取るのだ。朝露にぬれたままだと蚕に毒だということで、一枚一枚朝露を拭き取っていた。 桑の実も初めて食べた。黒紫色のぶつぶつした粒の塊は、甘く美味しかった。食べた人は口の周りが真っ黒になっていた。 蚕が繭を作ったのも見た。おばあさんが繭から糸を紡ぐのも見た。 お湯の中に20~30個の繭を浮かべて、一つ一つの繭から糸の端を探して引き出し、一つにして糸車で糸に撚り合わせていた。糸車が廻ると、お湯の中に浮かんだ繭がくるくる回転していた。 蚕の中で蛹が蛾になると、繭を破って出て来るので、糸が切れて駄目になる。また黄色くなった繭はションベン繭と言って選り分けられて捨てられていた。 |
最新の画像[もっと見る]
- 令和二年、あけましておめでとうございます 5年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 946 ETに出会う 10年前
- 945 四つ葉のクローバー 11年前
- 945 四つ葉のクローバー 11年前
- 944 節分草 11年前
夏休みの 自由研究で 蚕を飼った事有ります.
桑の 紫の実食べました...
ハィハィ お味は 忘れました.
又 遊びに 来ます.
何事も先手先手で、計画的に進められるお気楽さん、感心します。
それだから気楽に過ごせるのですね。
若い人は良いお手本です、見習うと良いですね。
蚕を今でも自由研究で飼っている子供達も居るようですね。関心です。蚕はチャンと蛾になるまで生き長らえましたか?
桑の木をこの辺りではあまり見かけないように思うのですが、どこかご存知ですか?
散歩コースにありませんか?
先日デパートで繭から絹糸を散り出す実演を見せてもらいました。
意外と綺麗に出来るのに驚きました。
でも昔は大変だったのでしょうね~。
昔は自給自足の生活でしたね。
我が家も祖父が鶏・ウサギ・山羊を飼っていた事を記憶しています。
今又見直されているようですね。
こうして直木賞候補の作品を読ましていただくと、縄文人の少年時代を彷彿とさせます。
お蚕をたくさん飼いました。めん羊も、牛も、鶏も皆いました。朝から早く起きて牛の草刈もしました。
蚕は春、夏、秋、晩秋蚕と年4回飼育しそれはそれは桑採り、給桑、上族、繭掻きと大変でしたが農家にとっては、唯一の現金収入でやらざるをえませんでした。
お湯の中に繭を入れての糸繰り、絹糸から機(ハタ)を織るそんな旧式の作業を見て育ちました。我が家は、母子家庭(縄文人が生まれた翌年、父ハ戦病死しました)
解雇は、中国の安い糸の生産、化学繊維(ナイロン、ビニロン、ベンベルぐ)などが次々と開発世に出回り、日本の国策として全盛を風靡した生糸は虫の息と衰退しました。
今こうして読ませていただきましたが、文章の行間、行間には艱難辛苦の悲しい物語がぎっしりと包有されているのであろうと思うと、guuchanさんのお母さんの顔が浮かんでくるような気がします。
思い出と創作有難う。
★少年の草を刈る手や露の朝 (縄)
子どもまでしっかりお手伝いすることができたのです。
工業化が進んで大量正餐で、安くて良いものが大量に供給されるようになりました。
そうでなければ、われわれが家を持ち自家用車を乗りまわすなど、あり得ないことですね。
今や動物を飼うのは贅沢な趣味となりました。
自給自足も贅沢です。
完全自給自足は辛いことでしょうが、お気楽さんのような、気楽な自給自足は都会人の羨むところでしょうね。
縄文人さんは、こういう豊かな農家だったのですね。
しかし、毎日毎日、牛の餌の草刈、綿羊の餌、鶏の餌、そしてそれぞれの小屋の掃除、動物を飼うということはどれほど大変なことだったでしょう。飼ったことのないわたしたちには想像の及ばない子となのでしょうね。
もう少し続けましょう。しかし、書き下ろしでだんだん止まらなくなりそうです。
北海道も途中だし、友田川もしばらくですし。
今日は大きなアゲハの写真も撮ったのですが、いつか紹介できるでしょうか?
桑の葉を蚕が食べて蚕が繭になりその繭を湯につけて糸にして布を織ると絹織物になる。
自分のうちでもこの仕事をしていたようですがまだ小さい私は記憶にありません。
でもこの機会に調べてみるのもよいので頑張ります。
それほど遠い昔でもありません。
しかし、あの細い絹糸で機織するのはどんなに大変だったことでしょうね。
頑張ってください。