149-1 サルスベリ わたしの頭の中では百日紅でなく猿滑りの字が生きている。猿も滑ると言う白い木の肌のあの日の百日紅。 探してもなかなかそういう木には巡り合えない。 その木は坂の下の農家の庭にあった。いつも少し高いところから見下ろしていたので、今、他の木を見ても感じが違うのかも知れない。 もっと老木だったかもしれない。白っぽいすべすべした木の幹が妙に目蓋に焼き付いて懐かしい。 もう一度そういう木を見ると、これぞ百日紅と納得できるかもしれない。 あの日は激しく蝉が鳴いており、赤い百日紅の花が咲いていた。 | |
終戦の日 夏休み中で、その頃はよく山にイタドリ探しに行っていたように思う。 子供心に何か少しでも食べられるものをもって帰って母の喜ぶ顔が見たかったのだ。 食べられるものと言えばイタドリ位しか知らなかった。 お昼頃帰ってくると家に母は居なかった。暫くすると、母屋の方から大人が何人も出てきた。母と姉も母屋から出てきて帰ってきた。 母屋は区長さんでもあった。みなラジオのあるこの家に集まって、終戦の玉音放送を聞いていたのだ。 戦争が終わった、戦争に負けたということは、わたしも分かったが、誰もそれ以上の話しをしてくれなかった。 母たちにも日本が降伏し、負けたということだけは分かったが、そのあと、どうなるのかということは誰も何も分からなかったに違いない。 数日間平穏な日が続いたが、進駐軍(しんちゅうぐん)が来ると言う噂が流れた。母は兄とわたしを呼んで言った。「お母さんが、『逃げなさい。』と言ったら山に逃げなさい。もう良いと言うまで遠くに隠れて、決して出てきてはいけない。男の子は去勢されるかもしれない。去勢と言うのは睾丸を取られること。男でなくなること。」と言った。家の裏手はすぐ山だった。 これは母だけの用心だったのか、そういう噂も流れていたのか分からない。 それから間もなく実際に幹線道路を沢山の進駐軍の軍用車輛が通って行った。みな緊張して遠くから見守っていたに違いない。一度も停止することなく、一定のスピードで早くもなく遅くもなく村の中を通り過ぎて行った。 わたしたちは家の近くの物陰からそれを見ていた。わたしは心の中で、山に逃げる準備をしていた。何事も起こらなかった。 そのときもその後も、誰もそのことについてはウソの様に何も言わなかった。 新学期が始まると中学校に通っていた姉は、毎日のように進駐軍に関する情報を聞きこんできた。とは言っても大したことではない。ジープ、中型、10輪(ジューリン)、24輪(24リン)などの車の呼び名だったり、MP(エムピー、進駐軍の憲兵体のこと)などだった。それを話すときの姉は目を輝かせていたし、新しい言葉はわたしたちには何かカッコよく聞こえた。 その後も進駐軍は度々見掛けたが、川に沿った幹線道路を車で通過するだけだった。 懸念していたようなことは何も起こらなかったので、次第に村人も安心して暮らすようになった。 |
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しかし、終戦の日を過ぎてまで長くは続けられないので、あと1~2回です。
それ以後は、また機会があれば書くことにします。
何もguuchanが特別ではないと思います。
しかし、その思い出が、同世代には通じても、戦争を知らない世代の人達の心には何も訴えられないとしたら、何を語っても、何を書いても余り意味のないことになってしまいます。
だから、書くときは願いを込めて渾身の力をこめてやってみるしかありません。
そして、大作が続いていますが戦争への思いがあるようですね。
guuchanの小学校のすぐ裏山に、米軍機が墜落しました。終戦の翌年くらいのことでした。
お気楽の村に 米軍機か不時着炎上しましたょ...
パラシュトで 脱出し松に宙吊りのところ救出
さりました....
その間 色々な情報が飛び 大騒ぎになりました.
昔の事 思い出しました.
又 遊びに 行きます.
何もない時代ですから、何でも工夫して間に合わせねばならなかったのです。またそれがビジネスチャンに結びついていったのです。
森を焼けば種が元気に芽吹いて若木がすくすく育ちますが、鬱蒼とした森ではなかなか若木は育ちません。
何か法則があるような気がします。
読まねばならないと思いつつ、いつの間にか忘れてしまった本です。
子供達や孫達の為に少し書き残しておこうという意味もあって続けております。
ご愛読感謝致します。
読みました。映画もみました。
確かに重なりますね~~。
終戦の事は両親からは何も聞かなかった気がします。
田舎でしたので 進駐軍も通らなかった様ですし。
guuchanさんは小さくてもしっかり覚えていらっしゃるのですね~~。
同じ年頃の事は母が身体を壊し実家(同じ町内)に帰っていたので淋しい思いをした記憶のみです。
自分の置かれた状況だけがインプットされるのでしょうね~。
戦争に関わる本も少しは読みましたが
悲惨な物が多く辛い思いをしました。
それでもよく日本は立ち直りましたね~~。
そう思います。
第一印象というのは、人に遇ったときその気質がイヤと言うほど焼きついてはなれない。
もう良いんだ、縄文人は、古代人として強烈なインパクトを与えたようだから、自分の思いつくままに書けば、しかし・・・・順序立てていかないとストーリーが組み立たない。
8月15日。
刻々と時は刻むが、歴史の1プージに刻み込まれた事実はけして変更することが出来ない。
終戦=母親の頭の中には強烈に残ったことだろう。
縄文人は、終戦=サルスベリ=庭の片隅=心に焼きついた・・・と書いてきた。
サルスベリ、それは菩提寺の山門前に、見事な30年以上経った白い幹にすべるような木肌で見事にピンクの花を咲かしていた。
母親も夫を亡くし7年ヤット末っ子(縄文人)小学校に入り、・・・と言うこの時期。終戦という重大な事実を突きつけられた・・・・。職業軍人の父であったから他人以上に受け止め方も複雑であったであろう。
長々と書いたが、サルスベリのピンクの花は寺の門前にあった。この事実を・・・書きたかっただけ・・・。
サテ、本題に入ります。
『終戦の日前後』 guucyan 著
目下、直木賞候補にノミネート
発表するや、たちまち売り切れ続出・・・。
只今脱稿に向け直線距離に入り強烈なムチが 入り予断を許さない状況です。
『終戦日前後』
『疎開先での通学』
『疎開先で見たもの』
『終戦の日』
を息も飲み込まずにアッと読んでしまいましたが
『少年H』妹尾河童 著
を思い出した。
講談社版、上、下の2冊を書架から下ろしあらためてページをめくった。
皆さんおそらくお読みでしょうが、guucyanさんのノミネート作と同じように髣髴とされるでしょう。
『この戦争はなんや」
「少年Hは正直活貪欲に問い続けた」
だが教師も、大人も誰一人理解できる答えは返ってこなかった。
少年 H はguucyanさんと同じような『時代の証言者』である。鋭いマナコで迫ってきた。