6月25日、佐世保に行った帰りに西九州自動車道の佐賀の金立SAにある佐賀市徐福長寿館・薬用植物園に立ち寄りました。 佐賀には徐福伝説が多々あるようです。その一つが、徐福が有明海から来て、筑後川の河口に近い佐賀県諸富町寺井津に上陸し、背振(せぶり)山系の金立山(きんりゅうざん)に登り、不老長寿の霊薬フロフキを手に入れたというものです。 それにちなんで、この薬用植物園がつくられました。高速道のSAから直接は入れる施設というのも珍しいような気がします。 | |
388-1 徐福の里 この標識の左奥にある銀色の建物が徐福長寿館という博物館になっていました。 | |
388-2 徐福長寿館 この建物はハスの花の形をしていました。 五枚の銀色の花弁がありました。 | |
388-3 徐福像 佐賀市は徐福の出身地の連雲港市(れうんこうし)と姉妹都市になっており、この像は連雲港市から贈られたものだそうである。 大理石で出来ており、重さ3トンの雪のように白い像でした。 | |
388-4 不老不死薬 不老不死薬が有ったのにはびっくりしました。 フロフキまたはクロフキ、またはツクシアオイという植物でした。馬の鈴草(うまのすずくさ)科 カンアオイ属 | |
388-5 フタバアオイ ミツバアオイはないそうです。 対生のフタバアオイに一つ継ぎ足してミツバアオイにしているようです。 しかし、これが不老長寿の薬草とは知りませんでした。 徳川300年はミツバアオイの薬効でしょうか? | |
388-6 ヤエドクダミ 八重のドクダミは初めて見ました。 | |
388-6 ドクダミ茶 長寿の薬が無料でサービスされておりました。 | |
388-7 薬草園 薬草園もありました。 遠くに花崗岩の徐福の立像がありました。 この像も連雲港市から送られたものだそうです。 閉館時で見ることが出来ませんでした。 |
最新の画像[もっと見る]
- 令和二年、あけましておめでとうございます 5年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 角島・千畳敷・竜宮の潮吹 8年前
- 946 ETに出会う 10年前
- 945 四つ葉のクローバー 10年前
- 945 四つ葉のクローバー 10年前
- 944 節分草 11年前
徐福の里に徐福の長寿館・・
あって可笑しく無いですよね。
ハスのお花の形をした館・・・気に入りました。
不老長寿の薬はカンアオイとドクダミ
ドクダミは今でも利用されいますが カンアオイの方は・・・どうでしょう・・?
そのものを採集するのに難しいかもしれませんね。
薬草園もある一度訪れて見たいところです。
八重のドクダミは珍しいですね~。
我が家も自家製のドクダミ茶のみ始めました。
体の毒が出て行く気分です。(笑)
おば様は喜ばれて事でしょう・・・。
貸し切り状態で、徐福の話に水を向けると、付き切りで案内していただきました。
天皇皇后なみです。
薬草園は、5時閉館間際で写真だけ写しました。
佐賀大学が、植物のコレクションにタッチしているようでした。
また行こうと思います。
本当に上手です。
命がある気配を感じます。
と 早速 徐福の お話に お気楽も 画面観光
楽しみましたョ....
佐賀は 徐福伝説に 重要な ポイント御見事でした
又 遊びに 来ます.
徐福さんは日本に来る前にインドに修行に行ったことがあるとか、日本に来た時、60歳くらいだったとか、話を聞きました。
これからまた、調べることが増えました。
面白かったです。
ソウル、平城、京都。
超大国の中国周辺にはこのような首都が好んで作られたような気がします。邪馬台国がここなら同じ条件なんですがね。
朝鮮半島風の風水というわけではありませんが朝鮮半島に倭がいたことも考えれば影響は受けているでしょう。時代的な流れは少し微妙ですが。
卑弥呼(日の巫女・御子・皇女)の時代ですよ。
自由に住むところを撰べるとすれば、誰も好んで山の北側を選ぶ人は居ないでしょう。
植物の生育がぜんぜん違います。
冬の燃料費も大きな違いです。
中国の沿岸では海は東側です。川は東に向って流れます。
これをどう説明しますか?
風水とて、もともとは合理的なものが集まり習慣化し、願いや、恐れがしきたりになったのでしょうから。
秦は西から東に進みました。馬上で、しかしもともと大陸のタミですから海への興味は低かった。
そして、海は「毎」(くらい、限りなきもの、恐ろしきもの、毎にサンヅイ、毎に立心遍等・・)との思いがあるのか、斎の泰山から東へ向かい天下の安寧を願ったとの故事もあります。
東夷の環境や風習から風水がうまれたのだと思います。
朝鮮半島では現在も戦前日本が地理調査の基点に使った山上の杭を、風水の力を冒すものだと怒っています。
朝鮮半島にもいた倭がそれを学ばないわけはありません。江戸時代も鎌倉時代も関西が首都でしたし、大内氏の山口も同じような流れです。朝鮮半島関連の地域は多くそうなっているのではありませんか。
プサンも、大田も首都にはなりませんでした。
たぶん琉球はもちろんベトナムまで下がると朝鮮半島とは違う生活があるでしょう。海が暗く怖いものとの印象もないでしょうから。
以上は不十分な説明ですが、ここの話が面白くついつい口出ししてしまうのです。
陰陽思想には、自然の道理に合致したところもありますが、限度があります。
自然を理解しようとする時、色々な原理を探ることになるます。その時代の知識の限界で陰陽思想に限界があるのは仕方のないことです。
guuchanはくじ引きで決めるのは合理的だと思いますが、占いに頼ろうとは思いません。
占いは、優れた決定に導くのに、本来関係のない要因を導入することになり、たとえ一度は偶然に優れた決定が出来たとしても、必ず質が劣る決定になります。
占いで戦争をすれば必ず負けるでしょう。
占いで商売をすれば必ず失敗をするでしょう。
始皇帝のみならず、しばしば優れた皇帝は、占いを禁じる詔を出しています。
それは叡智だと思います。
中国人には海が暗く恐ろしいもので、朝鮮人や、倭人はそれほど恐ろしくない?
あるいは沖縄、ベトナム人には恐ろしくない?
それにも異論があります。
海を知らない内陸部の中国人は論外です。
海岸に住む民族で、海を恐れない民族は居ないと思います。
板子一枚下は地獄という考えは漁師や船員がもっとも痛切に感じているところだと思います。
ゆっきんさんが、コメントすると、いい刺激になります。どうぞ、これからも口出ししてください。