地銀(地方銀行)は残るのか? という表題に、興味を惹かれて解説を見た。都銀や第二地方銀行は統廃合を行って数が半減したが、第一地方銀行の数は変わってないのだそうだ。バブルの時代にも過剰な投資を避け、地方の頼るべき存在として地道にやって来たから、という評価。しかし、その一方では、かつての銀行のやり方をそのままにして、変化を避けたというよく分からない評価も。それでいて、「どう変化すべきだった」という意見は無かった。今になって「0金利の時代で、銀行が利ザヤを稼げないで苦しんでいる」から、統廃合などの手を打つべきだという。
そして「数だけ見ると、まるで何も変化の努力をして来なかったという感じですね」との相槌? さらに「他の銀行が半減してるのだから、地銀も変化しなければ・・・」というような、根拠の分からない意見に傾く。どこかの地銀が銀行自ら農業法人などを設立して「かつての銀行員がハウス栽培に携わっている」とか、他の企業への人員の出向が増えて居るとかと、銀行変革への努力例と称して評価。まあ、現実としてオンライン化で人員削減の必要は理解できるし、人員減らしに当たっても単なる解雇だけでなく、銀行の能力を活用して「地元産業づくり」を図るという意味では納得できる。
しかし挙げられた例は、「銀行そのもの」が今後目指すべき姿だとはとても考えられない。つまり、銀行業務で生き残れない銀行は他業種に進出して利益を上げろ?って、それはもう「銀行」じゃ無くなるってことではないか。言い換えれば、もう「銀行は要らない時代になった」と言うようなものだ。が、そうだろうか? 「ゼロ金利、マイナス金利」の時代に銀行が「銀行業務」で利益を上げられないのは、銀行が怠慢なのか? 世の中にとって「預かった資金を融資・投資して利息での利益を得、預金者に還元する」銀行の業務は、これからの時代に必要なくなったというのか? その議論を全く取り上げもしないで良いのか?
こちらは銀行に預金者として預けるだけの立場に過ぎないが、「そんな本質に触れない解説で地方経済の中心的銀行をどうせよというのか?」と。本質に触れないまま解説と称して誤魔化すだけの経済ジャーナリズムの方が、「もう要らない」と思えてしまうのだ。