2024年度<日本歴史>の出題分析と2025年度対策
(2025年度受験対策<日本歴史>の傾向と対策から抜粋)
●出題分析(1):時代区分の特徴について
2024年度の日本歴史における出題は、例年通り、古代から近代に至る広範な時代を網羅する形で行われました。
なかでも、飛鳥時代、奈良時代、平安時代に属する問題が全体の四割近くを占め、菅原道真、仁和寺、弘仁・貞観文化、国風文化、近江田紫香楽宮、平清盛、日宋貿易、万葉集、浅間造、修験道、橋牟礼川遺跡に関する設問が見られました。
続いて、中世の鎌倉時代、室町時代、戦国時代からも、足利義満、細川勝元、松永久秀、刀狩令、源頼家、伊豆金山、伴天連追放之文に関連する出題がなされました。
さらに、江戸時代に関しては、堺、オランダ貿易、近松門左衛門、菱川師宣、天保の改革、歌舞伎、ラクスマン、大黒屋光太夫、大浦天主堂など、政治、文化、外交に関わる多彩な問題が出題されました。
近代に関しても、官営八幡製鉄所、筑豊炭田、東京駅、門司港駅といった日本の産業近代化に関わる重要事項が取り上げられております。
このように、古代、中世、近世、近代の各時代に均等な比重が与えられており、特定の時代に偏らず、日本史全体を体系的に把握することが不可欠であることが改めて示されたかたちとなりました。
●出題分析(2):過去問出題実績とその重要性について
今回の出題傾向を精査すると、過去に出題されたテーマが極めて高い頻度で再登場していることが明らかとなりました。
(1) 足利義満 (2015)(2016)(2018)(2020)(2023)(2024)
2023年度に引き続いて、2年連続の出題である!
(2) 菅原道真 (2015)(2017)(2024)
(3) 仁和寺 (2016)(2017)(2018)(2020)(2022)(2024)
(4) 国風文化(2015)(2024)
(5) 平清盛 (2015)(2017)(2024)
(6) 万葉集(2019)(2023)(2024)
(7) 源頼家(2018)(2019)(2024)
(8) 近松門左衛門 (2008)(2011)(2012)(2013)(2018)(2024)
(9) 菱川師宣 (2008)(2010)(2024)
(10)歌舞伎(2005)(2024)
(11)ラクスマン (2010)(2013)(2015)(2024)
この傾向は、過去問の重要性を改めて浮き彫りにしています。
したがって、単に問題を解くだけでなく、各テーマに関連する背景事情や周辺知識まで広げて学び、体系的に整理しておくことが極めて重要であると言えましょう。
特に、直近十年間に頻繁に取り上げられた事象については、関連する歴史的背景を含め、確実に理解しておくべきです。
●出題分析(3):ジャンル別の傾向と対策について
2024年度の出題は、大きく四つの分野に分類することができます。
まず、政治・外交の領域では、足利義満、細川勝元、源頼家、刀狩令、天保の改革、ラクスマン、大黒屋光太夫といった人物や政策が取り上げられました。これらの問題は、単なる年号や事件名の暗記にとどまらず、当時の社会背景や政治情勢を深く理解することが求められます。
次に、文化・宗教に関する出題としては、仁和寺、弘仁・貞観文化、国風文化、修験道、浅間造、歌舞伎、近松門左衛門、菱川師宣、大浦天主堂が挙げられます。これらについては、それぞれの時代背景とともに文化的特色を深く理解し、建築様式や文学作品、宗教運動の意義を体系的に把握することが必要です。
また、経済・産業分野では、日宋貿易、伊豆金山、堺、オランダ貿易、筑豊炭田、官営八幡製鉄所に関する問題が出題されました。これらのテーマについては、中世から近代に至る経済活動の発展過程や貿易の変遷を、歴史の流れの中で整理することが望まれます。
さらに、史跡や建築物に関連する出題もなされており、紫香楽宮、橋牟礼川遺跡、東京駅、門司港駅などの文化財について、それぞれの歴史的意義や建築的特徴を正確に理解しておく必要があります。
●出題分析(4):その他の留意点
本年度の出題において特筆すべきは、世界遺産および文化遺産に関連する問題が多く見られた点にあります。仁和寺、橋牟礼川遺跡、大浦天主堂などが取り上げられ、日本文化の国際的評価に関する知識が問われました。
また、対外交流に関する出題も目立ちました。日宋貿易、オランダ貿易、ラクスマン、官営八幡製鉄所に関する設問から、日本がいかにして外来文化や技術を受容し、自国の発展に生かしてきたかを歴史の文脈で理解しておくことが求められます。
加えて、伊豆金山、堺、門司港駅に代表されるように、地方都市の経済史や産業発展にも焦点が当てられており、中央集権的な歴史観にとどまらず、地方史への理解を深める必要があることが示唆されています。
●2025年度受験者へのアドバイス
全国通訳案内士試験においては、過去問の勉強が合格への最も確実な道であることは疑いありません。
しかしながら、単に問題の正解を覚えるだけでなく、出題された事項に関連する背景事情や関連事項までを広く深く学び、体系的に理解することが求められます。
また、時代別の整理にとどまらず、政治、文化、経済、史跡というテーマ別の視点から横断的に学び、歴史を立体的に捉える習慣を身につけることが肝要です。
特に、飛鳥時代から平安時代にかけての古代史、江戸時代における文化と外交、明治以降の産業近代化については、重点的な対策を講じるべきであります。
加えて、世界遺産や対外交流、地方史に関する知識を万遍なく押さえ、広い視野をもって試験に臨むことが、合格への着実な一歩となるでしょう。
━━━━━━━━━
2024年度問題
━━━━━━━━━
━━━━━━━━━
【1】足利義満【中世:室町時代】(2015)(2016)(2018)(2020)(2023)(2024)
室町幕府3代将軍。京都室町に将軍邸宅「花の御所」を造営。1392年には南北朝の合一を実現した。北山に金閣を建て、北山文化を現出。15世紀初頭明と国交を開き、日明貿易[勘合貿易]を行った。
【2】菅原道真【古代:平安時代】(2015)(2017)(2024)
平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。遣唐使の廃止を建議した。のち、讒言により大宰府に左遷。
「東風(こち)吹かば匂ひをこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」(2017)
【3】細川勝元【中世:室町時代】
細川勝元(1430~1473)は、室町時代中期の武将で、管領を務めた有力守護大名である。将軍足利義政を補佐し、政権を支えたが、将軍家の後継問題をめぐって山名宗全と対立し、応仁の乱を引き起こした。勝元は東軍を率いて戦ったが、乱は長期化し、全国に戦乱が広がった。勝元は乱の途中で病没し、混乱はさらに続いた。
【4】仁和寺【古代:平安時代】(2016)(2017)(2018)(2020)(2022)(2024)
仁和寺(にんなじ)は、京都市右京区にある真言宗御室派の総本山で、888年、宇多天皇により創建された。平安時代から代々皇族が住職を務めた「門跡寺院」として知られる。境内には国宝の金堂や五重塔があり、御室桜と呼ばれる背の低い桜も有名である。世界文化遺産「古都京都の文化財」の一つとして登録されている。
【5】
(a)弘仁・貞観文化【古代:平安時代】(810~877)
弘仁・貞観文化は、9世紀前半、平安時代初期に花開いた文化で、嵯峨天皇・淳和天皇・仁明天皇の時代を中心とする。唐文化の影響を受けつつも、日本独自の洗練と安定を特徴とした。空海や最澄による密教文化の発展、また『日本霊異記』などの文学、彫刻では一木造による仏像制作が盛んに行われた。政治・宗教・芸術が調和した時代である。
(b)国風文化【古代:平安時代】(2015)(2024)
国風文化は、平安時代中期(10世紀~11世紀)に発展した、日本独自の貴族文化である。唐の影響から脱し、和様の書道、仮名文学、寝殿造の建築様式などが生まれた。『源氏物語』や『枕草子』などの文学が栄え、絵巻物や大和絵も発展した。貴族たちは四季や恋愛を題材にした美意識を重んじ、優雅で洗練された文化を築いた。
【6】近江田紫香楽宮(しがらきのみや)【古代:奈良時代】
紫香楽宮は、奈良時代の天平14年(742年)に聖武天皇が近江国甲賀郡(現在の滋賀県甲賀市信楽町)に造営した離宮です。翌年には「大仏造立の詔」がこの地で発せられ、甲賀寺の建立と大仏鋳造が始まりました。しかし、天平17年(745年)に相次ぐ火災や地震により、都は平城京に戻され、紫香楽宮は短期間で廃都となりました。近年の調査で、宮町地区が宮殿跡、黄瀬・牧地区が寺院跡(甲賀寺)とされ、国の史跡に指定されています。
【7】平清盛【古代:平安時代】(2015)(2017)(2024)
平清盛(1118~1181)は、平安時代末期の武将であり、平氏政権を築いた中心人物である。保元・平治の乱を経て権力を掌握し、太政大臣にまで昇進した。日宋貿易を推進し、経済力を背景に平氏一門の繁栄を図ったが、急速な権力集中が反発を招き、後の源平合戦へとつながった。清盛の死後、平氏は次第に衰退していった。
【8】日宋貿易【古代:平安時代】(磁器)
日宋貿易は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて日本と中国の宋との間で行われた交易である。平清盛が積極的に推進し、主に博多港を拠点に輸出入が行われた。日本からは金や硫黄、刀剣などが輸出され、宋からは銅銭、陶磁器、書籍、絹織物などが輸入された。これにより日本の経済や文化は大きな影響を受け、貨幣経済も進展した。
【9】松永久秀【中世:安土・桃山時代】
松永久秀(まつなが ひさひで、1510頃~1577)は、戦国時代の武将であり、三好氏に仕えて頭角を現した後、独自に勢力を拡大した。巧みな策略と裏切りで知られ、将軍や大名の争いに深く関与した。後に織田信長に従ったが、二度にわたり反逆し、最終的に信長に攻められて自害した。
【10】刀狩令【中世:安土・桃山時代】(豊臣秀吉)
刀狩令は、1588年に豊臣秀吉が発布した政策で、農民から武器を没収することを目的とした。これにより仏殿の鋳造に使うとされた。刀狩令は、戦国時代の混乱を収め、安定した統治体制を築く上で重要な役割 を果たした。
【11】万葉集【古代:奈良時代】(2019)(2023)(2024)(山部赤人)
『万葉集』は、奈良時代後期に成立した日本最古の歌集であり、約4500首の和歌を収めている。天皇から庶民まで幅広い階層の人々の歌が集められ、多様な感情や自然への賛美が表現されている。代表的な編者には大伴家持がいる。素朴で力強い表現が特徴であり、日本文学の原点とされ、後世の和歌や国文学に大きな影響を与えた。
【12】源頼家【中世:鎌倉時代】(2018)(2019)(2024)
源頼家(1182~1204)は、鎌倉幕府の第2代将軍で、源頼朝の長男である。頼朝の死後、若くして将軍となったが、独断的な政治姿勢が御家人たちの反発を招いた。北条氏ら有力御家人により権力を奪われ、伊豆修善寺に幽閉された後、暗殺された。頼家の失脚により、鎌倉幕府における北条氏の権力がさらに強まった。
【13】浅間造【古代:平安時代】(富士山本宮浅間大社)
浅間造(せんげんづくり)は、平安時代に成立した神社建築様式の一つで、静岡県の富士山本宮浅間大社の本殿に代表される。特徴は、二層構造の楼閣風本殿で、上層と下層に屋根を持つ点にある。優雅で荘厳な雰囲気を漂わせ、神聖な山である富士山を祀るにふさわしい形式とされた。浅間造は全国の浅間神社に広く影響を与えた。
【14】修験道【古代:飛鳥時代】(出羽富士関連問題)
修験道(しゅげんどう)は、飛鳥時代に成立した日本独自の宗教で、山岳修行を通じて霊的力を得ようとする修行体系である。仏教、神道、道教の要素を融合し、役小角(えんのおづぬ)(634~700)を開祖と伝える。修験者(山伏)は険しい山々で厳しい修行を行い、現世利益や救済を目指した。吉野・熊野・大峰山などが主要な修行の地として知られる。
【15】橋牟礼川遺跡【古代:平安時代】(薩摩富士関連問題)
橋牟礼川遺跡(はしむれがわいせき)は、鹿児島県指宿市に位置する縄文時代から平安時代にかけての複合遺跡である。1918年の発掘調査で、下層から縄文土器、上層から弥生土器が出土し、縄文時代が弥生時代より古いことが初めて学術的に証明された。また、874年の開聞岳噴火により火山灰に埋もれた平安時代の集落跡が発見され、「東洋のポンペイ」とも称される。この遺跡は、隼人文化の研究にも重要な史跡である。
【16】伊豆金山【中世:鎌倉時代~近世:江戸時代】
伊豆金山(いずきんざん)は、静岡県伊豆半島に位置する金鉱山群で、特に中世から江戸時代にかけて栄えた。鎌倉時代に採掘が始まり、戦国時代には武田氏や豊臣秀吉によって重視され、江戸幕府も直轄管理した。主な金山には土肥金山や仁科金山があり、金の産出は幕府財政を支える重要な役割を果たした。現在は一部が観光地として整備されている。
【17】堺【近世:江戸時代】(江戸幕府直轄地関連)
江戸時代、堺は幕府の直轄地(天領)として統治され、重要な貿易・経済拠点となった。戦国時代の自治都市的性格は抑えられたが、商業活動は依然盛んであり、特に刃物、織物、陶磁器などの生産と流通で知られた。幕府は堺を通じて経済を管理し、海外との限定的な交流や物資の流通を統制する役割も担わせた。
【18】オランダ【近世:江戸時代】(江戸中期以降開国前の貿易相手国)
江戸時代中期以降、オランダは日本にとって唯一の西洋貿易国として特別な地位を占めた。長崎・出島に商館を置き、幕府の厳しい管理下で貿易を続けた。輸入品は医学書、科学技術、絵画、ガラス製品など多岐にわたり、これにより蘭学が発展した。オランダは、キリスト教布教を行わないことを条件に、日本との交流を許された。
【19】近松門左衛門【近世:江戸時代】(2008)(2011)(2012)(2013)(2018)(2024)
近松門左衛門(1653~1725)は、江戸時代中期の浄瑠璃・歌舞伎の脚本家である。大阪を拠点に活躍し、世話物と呼ばれる庶民の日常を描く作品で人気を博した。代表作には『曽根崎心中』や『冥途の飛脚』があり、人間の情愛や苦悩を生き生きと表現した。彼の作品は、後の日本演劇や文学に大きな影響を与えた。
【20】菱川師宣【近世:江戸時代】(2008)(2010)(2024)
菱川師宣(ひしかわ もろのぶ)(618~1694)は、江戸時代前期の浮世絵師であり、浮世絵の確立者とされる。木版画による浮世絵を大衆に広め、絵入りの小説や美人画で人気を集めた。代表作に『見返り美人図』があり、優雅で洗練された描写が特徴である。師宣の活動により、浮世絵は庶民文化として定着し、後の浮世絵発展の礎となった。
【21】天保の改革【近世:江戸時代】
天保の改革は、江戸幕府老中・水野忠邦が主導し、1841年から行われた政治改革である。財政再建と社会秩序の立て直しを目的に、物価統制、贅沢禁止、農村復興策、株仲間の解散などを実施した。しかし、改革は庶民や商人の反発を招き、十分な成果を上げられず、忠邦の失脚とともに終息した。幕府の衰退を象徴する改革でもある。
【22】歌舞伎【近世:江戸時代】(2005)(2024)
江戸時代、歌舞伎は幕府の公認を受けた江戸三座(中村座、市村座、森田座)を中心に上演された。三座は江戸市中での歌舞伎興行を独占し、芝居町に拠点を置いた。庶民の娯楽として人気を博し、華やかな舞台演出や豪華な衣装、個性的な役者たちが特徴となった。江戸三座の存在は、歌舞伎の発展と都市文化の形成に大きな役割を果たした。
【23】ラクスマン【近世:江戸時代】(2010)(2013)(2015)(2024)
ラクスマンは、18世紀末にロシア帝国の使節として日本に派遣された人物である。1792年、漂流民大黒屋光太夫を送り届ける名目で根室に来航し、通商を求めた。幕府は直接の交渉を避けたが、長崎来航を許可する信牌を与えた。ラクスマンの来航は、鎖国下の日本にとって西洋との接触を考える契機となった。
【24】大黒屋光太夫【近世:江戸時代】
大黒屋光太夫(1751~1828)は、伊勢国(現在の三重県)出身の船頭である。1782年、航海中に遭難してロシアに漂着し、約10年にわたり滞在した後、女帝エカチェリーナ2世の支援を受けて帰国を果たした。1792年、ロシア使節ラクスマンとともに根室に到着し、日本とロシアの接触のきっかけをつくったことで知られる。
【25】大浦天主堂【近世:江戸時代】
大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)は、長崎市にある日本最古の現存するキリスト教教会堂で、1864年にフランス人宣教師によって建立された。正式名称は「日本二十六聖人殉教者聖堂」である。国宝に指定されており、ゴシック様式の美しい建築が特徴。建立直後に「潜伏キリシタン」の信徒たちが訪れたことでも知られ、信仰復活の象徴とされている。
【26】伴天連追放之文(ばてれんついほうのぶみ)【中世:安土・桃山時代】
伴天連追放之文は、1587年に豊臣秀吉が発した法令で、キリスト教の宣教師(伴天連)を国外追放し、日本国内での布教活動を禁止したものである。九州平定後、キリスト教勢力の拡大を警戒して出されたが、当初は取締りが緩やかだった。この法令は、後の本格的なキリスト教禁制政策の先駆けとなった。
【27】ドイツ(の技術)(官営八幡製鉄所)【近代:明治時代】
官営八幡製鉄所は、1901年に福岡県で操業を開始した日本初の本格的な製鉄所であり、明治政府の近代化政策の一環として建設された。設計・技術面では主にドイツの最新技術が導入され、高品質な鉄鋼を大量生産する体制が整えられた。八幡製鉄所は日本の産業発展と軍事力強化に大きく貢献し、後の重工業発展の基盤となった。
【28】筑豊炭田(ちくほうたんでん)【近代:明治~昭和時代】
筑豊炭田は、福岡県中央部に広がる日本最大級の炭田で、明治から昭和初期にかけて日本の近代化と工業発展を支えた。官営八幡製鉄所への石炭供給地として重要な役割を果たし、多くの炭鉱が操業した。労働環境は厳しかったが、地域経済の中心となった。エネルギー需要の変化により、昭和後期には衰退した。
【29】東京駅【近代:大正時代】
東京駅は、1914年に開業した日本を代表する鉄道駅で、建築家辰野金吾によって設計された。赤レンガ造りの壮麗な外観とドーム型屋根が特徴で、欧風のネオ・バロック様式を取り入れている。戦災で一部損壊したが、平成に入り創建当時の姿に復元された。重要文化財にも指定され、日本の近代建築史において重要な位置を占める。
【30】門司港駅(もじこうえき)【近代:大正時代】(重要文化財)
門司港駅は、福岡県北九州市にある鉄道駅で、1914年に開業した。ネオ・ルネサンス様式を基調とした木造二階建ての洋風建築が特徴で、駅舎は国の重要文化財に指定されている。大正時代の趣を色濃く残し、レトロな街並みとともに観光地としても人気が高い。平成期に保存修理が行われ、往時の姿がよみがえった。
以上