この二日間、中国の株式は下げ続けた。
中国政府が何をしたのか?といえば、7月以降、ずっと株式の買い支えをしたのである。
私は、経済を龍に例え、そののたうつさまを表現することが好きだ。
そして、おごり高ぶった人間が、かつて、何度もその龍を手なずけようとしては、こっぴどくやられたことも、知っている。
おごり高ぶった人間について、少し書く。
国によって、あるいは、文化によって、得意分野は異なる。
ユダヤ人は金融に長けている。
私の友人には、ユダヤ人が多い。
彼らは、面白おかしく冗談を言いながら、しかし、真髄をついた話をする。
例えば、昨日、友人は72 という数字について話してくれた。
72 というのはマジックナンバーなのだという。
とても面白かった。
まあ、その話は置いておく。
今日のテーマとは関わり合いがないからだ。
イギリス人は、アメリカの先祖であり、アングロサクソン人は産業革命を起こし、植民地や奴隷 それにドラッグ貿易で富を為した民族である。
断定的に書くが、間違っていないはずだ。
そして、彼らの現在の富は、世界第三位だ。
富という概念を持っている日本人は少ないが、じつに、日本はアメリカに次いで、世界第二位の富を持つのである。
日本の得意技はモノづくりだ。
金融はユダヤ人にはかなわない。
戦争は米国にはかなわない。
だが、モノ作りは世界のどの国にも負けない自負があるはずだ。
コツコツと物を作ることで、今まで、多くの富を集めた。
もともと、自然豊かな風土の日本は、広い領海を持つ。
だから、隠れた資源大国なのでもある。
さて、中国はどういう国だろうか?
まず、中国を見るとき、我々の持つ、国 という概念は恐らくは当てはまらない。
彼らは人民の集まりであり、商売と長い歴史の中で培われた地縁のつながりで、成り立っているのだ。
だから、中国の史書を読むとき、必ず、「私はどこそこの生まれの、何某の血を引く・・・・」と自己紹介をする。
すると、相手は、その何某に思い当たることがあれば、信用をし、手助けをすることもあれば、見放すこともあるという世界だ。
日本で、どこから来たの?
程度のことは聞くことがあったとしても、両親の出自や、誰某の血を引くなどとくことは、あまり聞かない。
もっとも、今の中国にこの史書の話が当てはまるとも思えないが、それでも、私の出会った中国人の友人たちは、例え華僑であっても、何世代も外国で住んでいるにもかかわらず、自分の出自を言う。
オーストラリア人の白人が、イギリスからきたのか、アイルランドからきたのかも、自分では知らないという人がほとんどなのと比較しても、面白いと思う。
そういう中国は、商人の国であり、必ず海外に出ると、まず食文化から地元へ入り込み、そこで、根付く。
中国人はほとんど、白人と結婚しない。
大抵は中国人同士で結ばれる。
それは、漢民族のプライドだと言う人もいるかもしれないが、それだけではないように思う。
そこには、古い文化がありその文化を共有できる人とのみ、長い人生と歩けると信じているからではないだろうか?
例えば、今の中国は上海と北京が揉めている。
北京は北京語があり上海には上海語がある。
この言語の訛りは、北京の人間からさげすまされる原因になるらしい。
実際に、北京の人間と上海の人間が結婚することさえ珍しい。
中国の北側の人間は背が高く、色が白い。
反対に、上海の人間は小さく、色も黒い。
こういうふうに分かれている見た目と言葉の違いは、同じ中国人だとしても、まったく別人種だと言っても過言ではないほどだろう。
上海は長い間白人から、統治されてきた歴史もあるために、どこか、自分たちはヨーロッパに近いと考えている節がある。
香港に至っては、彼らは、自分たちを中国人だと認めていない。
自分たちは、あくまでも 香港人だと言うのである。
どうだろう?
国と言う概念が、日本とは全く違うことが理解できただろうか?
そういう国の、経済が、北京と上海の二つの都市のあいだ・・・エクィティー という世界で揺れている。
北京の人間は、官僚の考え方を持ち、そのうえ、権威主義が行き届いているので、とても上品だ。
上品な人間に、株式市場などという下品な世界が理解できるはずはない。
私は少なくともそう思っている。
金融の世界は、とても下品な世界だ。
なぜ、下品なのかというと、お金というものは、いわば、うんこ だからだ。
沢山貯めれば、それは便秘になる。
流出させれば、下痢と呼ばれる。
うんこ だ。
その 金融を理解しないまま、北京の人間たちは、愚かにも、100兆円をこの二か月の間、上海市場に入れて、あろうことか、市場を安定させようとしたのである。
できるわけがないのであって、そんな答えは、初めから私にはわかっていた。
わかっていたが 面白いと思って、ここに書いていたわけだ。
現実になった。
つまり制御不能なうんこの世界が、流出を始めたのである。
それこそ、水洗便所を流す勢いだ。
まったく、下品な世界だ。
中国政府が何をしたのか?といえば、7月以降、ずっと株式の買い支えをしたのである。
私は、経済を龍に例え、そののたうつさまを表現することが好きだ。
そして、おごり高ぶった人間が、かつて、何度もその龍を手なずけようとしては、こっぴどくやられたことも、知っている。
おごり高ぶった人間について、少し書く。
国によって、あるいは、文化によって、得意分野は異なる。
ユダヤ人は金融に長けている。
私の友人には、ユダヤ人が多い。
彼らは、面白おかしく冗談を言いながら、しかし、真髄をついた話をする。
例えば、昨日、友人は72 という数字について話してくれた。
72 というのはマジックナンバーなのだという。
とても面白かった。
まあ、その話は置いておく。
今日のテーマとは関わり合いがないからだ。
イギリス人は、アメリカの先祖であり、アングロサクソン人は産業革命を起こし、植民地や奴隷 それにドラッグ貿易で富を為した民族である。
断定的に書くが、間違っていないはずだ。
そして、彼らの現在の富は、世界第三位だ。
富という概念を持っている日本人は少ないが、じつに、日本はアメリカに次いで、世界第二位の富を持つのである。
日本の得意技はモノづくりだ。
金融はユダヤ人にはかなわない。
戦争は米国にはかなわない。
だが、モノ作りは世界のどの国にも負けない自負があるはずだ。
コツコツと物を作ることで、今まで、多くの富を集めた。
もともと、自然豊かな風土の日本は、広い領海を持つ。
だから、隠れた資源大国なのでもある。
さて、中国はどういう国だろうか?
まず、中国を見るとき、我々の持つ、国 という概念は恐らくは当てはまらない。
彼らは人民の集まりであり、商売と長い歴史の中で培われた地縁のつながりで、成り立っているのだ。
だから、中国の史書を読むとき、必ず、「私はどこそこの生まれの、何某の血を引く・・・・」と自己紹介をする。
すると、相手は、その何某に思い当たることがあれば、信用をし、手助けをすることもあれば、見放すこともあるという世界だ。
日本で、どこから来たの?
程度のことは聞くことがあったとしても、両親の出自や、誰某の血を引くなどとくことは、あまり聞かない。
もっとも、今の中国にこの史書の話が当てはまるとも思えないが、それでも、私の出会った中国人の友人たちは、例え華僑であっても、何世代も外国で住んでいるにもかかわらず、自分の出自を言う。
オーストラリア人の白人が、イギリスからきたのか、アイルランドからきたのかも、自分では知らないという人がほとんどなのと比較しても、面白いと思う。
そういう中国は、商人の国であり、必ず海外に出ると、まず食文化から地元へ入り込み、そこで、根付く。
中国人はほとんど、白人と結婚しない。
大抵は中国人同士で結ばれる。
それは、漢民族のプライドだと言う人もいるかもしれないが、それだけではないように思う。
そこには、古い文化がありその文化を共有できる人とのみ、長い人生と歩けると信じているからではないだろうか?
例えば、今の中国は上海と北京が揉めている。
北京は北京語があり上海には上海語がある。
この言語の訛りは、北京の人間からさげすまされる原因になるらしい。
実際に、北京の人間と上海の人間が結婚することさえ珍しい。
中国の北側の人間は背が高く、色が白い。
反対に、上海の人間は小さく、色も黒い。
こういうふうに分かれている見た目と言葉の違いは、同じ中国人だとしても、まったく別人種だと言っても過言ではないほどだろう。
上海は長い間白人から、統治されてきた歴史もあるために、どこか、自分たちはヨーロッパに近いと考えている節がある。
香港に至っては、彼らは、自分たちを中国人だと認めていない。
自分たちは、あくまでも 香港人だと言うのである。
どうだろう?
国と言う概念が、日本とは全く違うことが理解できただろうか?
そういう国の、経済が、北京と上海の二つの都市のあいだ・・・エクィティー という世界で揺れている。
北京の人間は、官僚の考え方を持ち、そのうえ、権威主義が行き届いているので、とても上品だ。
上品な人間に、株式市場などという下品な世界が理解できるはずはない。
私は少なくともそう思っている。
金融の世界は、とても下品な世界だ。
なぜ、下品なのかというと、お金というものは、いわば、うんこ だからだ。
沢山貯めれば、それは便秘になる。
流出させれば、下痢と呼ばれる。
うんこ だ。
その 金融を理解しないまま、北京の人間たちは、愚かにも、100兆円をこの二か月の間、上海市場に入れて、あろうことか、市場を安定させようとしたのである。
できるわけがないのであって、そんな答えは、初めから私にはわかっていた。
わかっていたが 面白いと思って、ここに書いていたわけだ。
現実になった。
つまり制御不能なうんこの世界が、流出を始めたのである。
それこそ、水洗便所を流す勢いだ。
まったく、下品な世界だ。