Sydney Yajima


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悲観的になるか 楽観的になるべきか

2011-07-03 07:58:30 | 政治
悲観者と楽観者は 年齢に関係なく 男女に関係なく 地域に関係なく 時代に関係なく いつもどこにでも 両方のタイプの人間が程度の差はあれ、つねに存在している。
心の持ち方、本人の資質によってその両方が 存在するのだ。
たとえ 原子力発電所が爆発して、広い地域に放射能が飛び散り、原子炉がメルトダウンしても、楽観的な人にとっては、放射能は身体にいいと言い始めるわけである。
彼らは、どんな事態になっても、あくまでも楽観的なのである。
悲観的な人は、たとえば オリンピックで金メダルを取っても、「もうこれで人生最後のオリンピックだ」などとがっくりするかもしれない。
やっかいなことに、その双方が、自分の価値判断という かなり偏っているはずの先入観によって行うしかし 自分自身では絶対だと信じている非常に曖昧なもので主張を始めるので、収拾がつかなくなる。

そういうなかで、今の時代を彼らはそれぞれの見方で判断しているのだから、当然 議論が混乱する。
いわば 混乱は、当たり前の話なのだ。
その上で、話を進めたい。

今は、さなぎの時代ではないだろうか?
と投げかけてみたい。

つまり、私たちは、多様な価値観のなかで、地を這う芋虫のような生き方をしてきた。
そうして長年 人間は、そういう時間を長く過ごしてきていた。
価値観は、どんなものだったろうか?
それは、毎日食べ続けていくということであり、それがすべての理由付けであった。
生きていくためには食べ続けていかなければならないし、芋虫としては、鳥から身を守るために目立たないように小さくなって、木陰に隠れ土にもぐり、生活をしてきた。
毎日 毎日、遅い歩みでそれを繰り返してきた。
だが、徐々に体が固くなり、動けなくなった。
それが今の時代で、つまり何をどうすることもできないでいるのである。

いずれ 私たちは蝶へと変態していくかもしれない。
だが、それまでは、さなぎなのだ
私は今、自分を見つめなおそうとしている。
間違っていたなら、いつ どこで、どのように間違っていたのか。
もし、正しかったのなら、本当にこのままで生き続けていっていいのかどうか・・・
自分のことなのだから、自分で考えてみなければ 誰も教えてはくれない。


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