Sydney Yajima


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悲劇の理由

2012-01-02 06:03:07 | 政治
今日は、なぜ?について書いてみたい
ただ、私自身も考えがまとまっていないために、書きながら考えることにする

私の なぜ?と考えていることは、「なぜ、世界で日本だけが、広島、長崎と原爆を落とされ、そして福島の原発事故となったのだろうか?」という疑問である。
そこに、どんな因果関係があるのか、ないのか。

世界には多くの人々が居て、そしてそれぞれの人々が、それぞれの地域で 自分たちにとって都合の良いように住んでいるとすれば、日本は、原爆と原発の中で居心地が良く暮らしているということになる。
現実には、世界中の人々の多くが、実は、暗闇のなかでもがいていて、救済を待っている。
アフリカ諸国はもちろん、そうでない地域であっても、比較的恵まれていると思われている先進国のなかでさえも、多くの人が苦しんでいる。

居心地良く暮らすということは、簡単に思えるけれど、実に難しいことなんだと改めて思う。

基本的かつ古典的な言い方をすれば、人間の満足度は、衣食住が事足りれば、それで良いことになっている。

多くの歴史上のリーダーたちは、それを目指してきたし、それを成し遂げてもきた。
もちろん、イデオロギーや、あるいは、より良い生活を求めることは、人間にとって重要であるかもしれないし、それが 人間と他の動物との違いであるとも 言えるだろう。
では、日本人は、今、原子力発電所を54基作って、より良い生活を手に入れることができただろうか?
さかのぼって考えれば、昭和というのは、原爆で始まった。
原爆という とても大きな力を目の当たりにした日本人は、「これは神の仕業ではないか」と錯覚したかもしれない。
今までに見たことも聞いたこともない、巨大な力の前で、日本人は恐れおののいた。
それまでの日本のさまざまな価値観が失われたのは、原爆と無関係ではないだろう。
戦後、世界は原爆をたくさん作り続け、それは冷戦を生み、そして、今も原爆を持つ、持たないで、二極化されながらも世界は迷っている。

ここで、放射能の汚染ということについて考えてみたい。
よくCO2問題がクローズアップされるが、CO2というのは、自然の中にあったし、空気の中に常に存在するし、生命体にとって必要不可欠な物質である。一方 セシウム134やセシウム137、あるいは、プルトニウムやストロンチウムという物質は、人体のみならずありとあらゆる生命体にとって、危機的な状況を及ぼすと言うことは、疑問の余地もなく、またそれらは 自然界には存在してこなかった物質である。

このところを、よく考えてみる。
日本国政府に限らず、政府というものは、国民を守るものである。
守るとは、外敵から守るという意味もあるかもしれないが、どうじに、もっとソフトの面で、健康を守るとか、学問の自由を守るや、言論の自由を守るということも、同時にあるはずだ。
ならば、今の状況では、日本国政府は、政府の形を成していないということに他ならないではないか。

日本という国を考えるとき、私はプライドと同時に、複雑な悲しみを 思い浮かべてしまう。


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