Sydney Yajima


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貧困

2009-04-10 04:43:59 | 世界情勢
貧困

アフリカではエイズ患者が増え続けている。アメリカはアフリカの貧困諸国に対して、医療薬を無償で送っている。だが、その薬を大量に摂取すると、ハイになるために、アフリカの多くの青年たちに、麻薬のように取り扱われている。皮肉な話だ。先日、BBCラジオで、アフリカの女性問題についてインタビューが行われていた。レイプが日常的に起こる地域では、多くの女性たちが 兵士による民間人 大量虐殺ののちに、なだれこんできた兵士たちに犯された。そのうちのひとり女性が答えたインタビューでの話では、「私は一体 何人の男性に犯されたのか分かりません」と言い、さらには、子供をはらみ、父親のない子供ができると、親戚から遠ざけられ、両親からも見放され、一人で誰の助けもない場所で産み、そしてその子供を育てているのだと言う。子供に対しては、愛情が出てくるのだが、子供が、「僕のお父さんは誰なのか?」と聞くと、思わず腹が立って、子供に暴力を振るってしまう自分がいることに、苦しんでいるという。また、誰からの祝福も歓迎もされないでこの世に生まれてきた子供にとって、世界は地獄以外のなにものでもないだろう。その上に、貧困とエイズ。彼らには 明日の保障もない。

一体、なぜそうなったのだろう?

日本に置き換えて考えてみた。

貧困にも様々なレベルがある。日本にも もちろん、貧困は存在する。なかには食べられないというレベルのものも確かに あるだろう。住む場所がない人もいる。その貧困層は、世界第二位の日本経済のなかでも、東京と言う大都市にでも、恵みを請う人が、あふれている。

あるオーストラリア人は、日本人の乞食に500円のコインを、恵んでやったと言う話を私にした。私は失礼なことを言う奴だと憤慨しようにも、よく考えると そんな気にもならなかった。なぜなら、隅田川の川くだりを楽しむ気持ちになれなかったことを 思い出したからだ。それは おおよそ 川くだりの風情とは程遠い、青いテントの川岸が、今でも目に焼きついているからだ。私はちょっと間を置いて、 「そうか・・・」とだけ言ったが、心底疑問におもったことがある。それは、日本の行政は、どうなってるのだろう?ということだ。外国人に恵みを請わなければ生きていけない日本人を、たった一人でも出してはいけないと 思う。戦後のどさくさに、GHQにガムやチョコレートをもらっていたという話はよく聞かされたが、あの時代は掛け値なしの貧困であったのだから、それは仕方のなかったことだったとしても、21世紀の今の時代に、なぜ?日本は、当たり前の施設を貧困の人々に与え、優しく保護する行政を執り行わないのだろうか?
衣食住は、憲法で基本的人権のなかで、きちんと保障されているべきはずのものだし、人間的な生活を保障してこそ、犯罪の根も断ち切れるはずだ。

彼らの中には多くの人たちがいるだろう。借金に負われている人や、家族から見放された人、怠けたいという人もいるかもしれない。またスキルのない人、犯罪をして逃げている人、外国籍で仕事のない人、様々な人がホームレスを形作っているだろう。
だけれども、どんな過去のある人であっても、温かく生活のできる基盤だけは、何も問わずに用意してあげてもいいのではないか?と思うのだ。そうすれば、自然とそこから新しい知恵も湧くだろうし、新しい文化も生まれるし、希望も出てくるかもしれない。なんといっても、人間が・・・それも半端でない多くの人間たちが・・・そこに大きな資源として眠っているからである。

公園で炊き出しをしている風景のなかで、「これは戦後ではないか?」と思う人が、たくさんいるはずだのに・・・もっと優しく、懐の深い情けのある政治は、誰もしないのかな?

日本の政府はそれとも、わざと ホームレス階級を作っているのだろうか?と思える節もある。それを 一般の人々が見ることによって、「ああなってはいけない」と恐怖感を抱かせることによって、経済効果に得るものがあるという構図を、わざとしているのか?と思えるのである。もし、施政者がそういうあさましい考えの持ち主なら、それは とても恥ずかしいことだ。施政者が貧困の苦しさや、悲しさに目を向けて、それをそっと目に見えない形でサポートしてこそ、貧しいものも生きる希望と仕事や将来に夢も出てくる。貧しい者から見捨てる。そんな時代は、ずっと前に終わりを告げていたはずだ。

日本は 弱者にとって優しい国だろうか? 自転車に3人乗りをして、サーカスの曲芸のようなお母さんと子供たちを見て、施政者は法律を作って禁じることを思いつく前に、なぜ、彼女たちはそうやって、子供たちを乗せて危険な思いをしなければならないのかを よく考えてみるべきではないだろうか?そうすれば、安全な道を作ることや、もっと安全な自転車にたいして 政府が補助金を出すことなどでもして、子供たちを守ろうという考え方も出てくるはずだ。

危ないから、禁じるよりも、危ないから、助けてあげようと考えることは とても難しいことなのだろうか?政府の財政悪化しているおり、そういうところまで金が回らない・・・ともし仮に、言う人がいればその人は、さっさと政治家や官僚をやめたほうがいい。人のために何かできるという力を持った人は、神様から、誰かのために何かをできるように選ばれた人である。ならば、そのあなたの力を使って、誰かのために、何かいいことをしてみたらどうだろう?

アフリカの貧困も日本の貧困も、貧困という悪魔は 人間の優しさで解決できるはずだと思う。



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