Sydney Yajima


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オーストラリアの本音と建前

2009-06-16 19:48:55 | オーストラリア株式
オーストラリアの本音と建前


本音と建前が日本のお家芸だと思っていたら、それは大間違いだ。
今、シドニーの西部で、イスラム教の学校を作る計画に、市が一度認可したにもかかわらず、周辺住民の反対にあい、待ったをかけている。
建前は、交通の問題で、道路が整備できていないから、学校は困るというものだが、本音は、イスラム教徒への差別だ。むろん、差別ではない、これは人種差別でも宗教差別でもなく、交通の問題で学校を建ててもらっては困るから、反対運動をしているのだと、白人系のオーストラリア人がこぞって反対する。

そもそも、カルチャーというものは、ライアビリティーである。
ステレオタイプの人間が多く世の中には存在するし、彼らの独断的な発想は決して直すことはできない。また、分散させてビジネスをすることも、理想的にはできそうなものだが、なかなかうまくはいかない。
1975年ごろ、オーストラリアでは雇用均等法というのが、できた。
それは、年齢、性別、人種、宗教、身体的特徴、などなどで、差別をしてはいけない。というものである。だが、実際にはそれらは、1980年代半ばに、別の動きが始まるまで、続く。それは雇用拡大で、政府が何パーセントは女性を雇うこと、などと法律として盛り込んだものだ。ところが、1990年代のリセッションが来ると、LIFOの法則の通り、最後に入社してきた人からやめてもらうということが、まかり通り、実際には多くの女性社員が最初に首を切られた。にもかかわらず、ユニオンは何もできなかった。なぜなら、それは女性だからクビにしたのではなく、雇用の優先は古い人にこそあるという理屈だった。1990年代以降、オーストラリアはディバーシファイを標榜する。それは、顧客が多くの人種と国にまたがっているのだから、より多くの人種とその国の文化に通じている人間を雇ったほうが、よりビジネスがスムーズにいくはずだという考え方である。この流れは、現在も続いている。しかし、ステレオタイプの考え方を、人間は変えることができないか、とても難しいため、問題が生まれてくる。それは、たとえば、CEOのオーストラリアでのイメージは、45歳のアングロサクソンの男性。彼ができる人間であろうと、なかろうと、イメージどおりにCEOが決められていくわけだ。そこで、ハイ マネージメントの人間の上には、目に見えないグラス シーリング(天井)ができ、45歳のアングロサクソンじんの男性でない限り、決してCEOにはなれないことになっている。

例えば、最近辞任した、テレストラのCEOはトルージャさんというメキシコ人だったが、アメリカでは考えられないほど、オーストラリアでは差別がまかり通っていることに驚いてしまうと、言い放ち、物議をかもし出した。最近では、白人の少年たちが集まり、カレーバッシングというゲームが始まった。要するに、インド人をみつけて片っ端から暴行を加えるというものである。インド人の多くは、学生で、移民するために、大学に通っていたりするので、ことを大きくしたくないがために、泣き寝入りをする。それが、とうとう、我慢しきれなくなり、連日、メルボルンやシドニーではデモ行為が始まっている。これらも、実に景気が悪くなってきたからだ。

オーストラリア人の気質は、平生ならば、親切でお人よしで、ほがらかで、寛容なうえに、人懐っこいものだが、景気が悪くなってくると、親切をする余裕はなくなり、お人よしは人を利用する目になり、ほがらかさは、陰険にかわり、寛容さは大胆な行動にでるようになり、人懐っこさは憎しみと嫉妬に変わる。

人間にはいつも2面性があるものだし、それが、当たり前なのかもしれないと、ため息をつきながら思う。本音と建前というのは、使い分けできるものではなく、それらはすべて建前で、そして本音でもあるのだろう。

といって、カルチャーを論じてみたところで、例えばアメリカは、いつも近視でしか経済を見られないし、日本は、遠視でしかものを考えられないことは、直せることはできないのだから、そのなかで、どうやって生きていくかを考えるしかないだろう。

日本は、鯨の問題が随分大きなことだと感じている。これも、二つの文化圏がぶつかった差別問題と利害問題だろう。この問題を解決する方法は、あまり難しくないと思う。オーストラリア人との交渉を、きちんとできる日本人を前面に出すことだ。日本の論理だけで押していくのは、無理だということを、もっと、水産庁も外務省も考える時期に来ているし、話し合いがあまりにも一方通行で、しかも別々のベクトルをむいていて、全く お互いのコミュニケーションができていない。ただ、ぶつかっている。それでは、解決は程遠い。

本音と建前といえば、今、オーストラリア経済にとって一番敏感で、触れて欲しくない腫れ物は、騰がりきった不動産価格なのである。シドニーの家は、東京よりも、高い。なぜそうなったのか?

からくりは、ある。

不動産業者、貸付業者、銀行、それに政府と広告主を多く抱えた新聞やマスコミがみんなで、せーの、とばかりに煽ったから不動産は、波に乗った。
海には、三角波という波がある。あちこちから、一気に来て、ものすごい高さになり、一気に落ち込む波のことだ。

今日のニュースでコモンウエルス銀行に続きナショナル オーストラリア銀行も、ウエストパックも貸付金の利子を上げた。これは、政府にとっては、寝耳に水であったため、トレジャーが出てきて、大反対の合唱となった。マスコミは、もうすぐ不動産が値上がりに転じるといい加減な煽りをまた初めた。雇用率はどんどん悪くなってきているというのにもかかわらず!!!だ。

どこまで、オーストラリアの政府、銀行、そしてマスコミが 人々を騙しつづけていけるか、みどころである。これは、それぞれが自分の利益になるように、持ってきている セルフ インタレスト セオリーの典型のような話で、いずれ、どこかから、ほころびが出るはずだ。