元判事と話す機会があり、なぜだか忘れたんだけどw 明
治時代の民法制定に話がおよぶ。そんなこと考えたことも
なかったなぁ。
中国を範とする国づくりから、西洋へ大転換するなかで、
民法の考え方の吸収、そしてどこの国を範とするかが、西
洋列国を訪ね(遣唐使の西洋版だね)、教わっていく。
よくわかってないけど、その間の状況をwikiから引用すると、
諸外国から不平等条約の改正の条件として、民法典の
制定を求められたため、早急にこれを制定する必要を
生じた。
明治新政府の初代司法卿である江藤新平が、箕作麟祥
に対して、フランス民法を「誤訳もまた妨げず、ただ
速訳せよ」と命じたのは、このような事情を背景とし
ている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/24/24b592b4e805e9b7e1d271bb92e9e8b1.jpg)
「仏蘭西法律書 民法」全16冊、明治4年)
急ぎだったろうけけど、明治民法が実際に制定されるのは
明治31年(1898)のこと。そう簡単にまとまったわけで
ない。
憲法だってなかったのだから。明治憲法が公布されたのが
明治22年(1889年)。憲法といい民法といいアジアで最初
に制定したのが日本だ。さすがというか、変わり身が早いと
いうか。
☆
フランスの民法をそのままもちこんでも、日本の実情にあわ
ないことが多々あり(家族の考え方ひとつとっても)、大幅
に修正・削除していく時間がかかった。
フランス民法だけでなく、ドイツ民法の影響も大きかった
とか。法律全般にいえるそうだけど、明治政府はフランス
やドイツの制定法を範としていく。
イギリスやアメリカなどでは判例を重ねていく判例法で、
制定法っていうのは生活・仕事のあらゆることを法で記
述するそうで、膨大な量だとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/fb/3c1ddaa14e95b6f6ecc61965bc5e0ff2.jpg)
分厚いフランス民法典 (1804年成立)
法律を制定することは政府の活動を制限することでもあ
ったし、教育界などからは日本古来の美風を害し、従来
の家族制度を無視するものとの批判もあったそうだから、
法律として記述すことは紆余曲折がたくさんあったんだ
ろう。
治時代の民法制定に話がおよぶ。そんなこと考えたことも
なかったなぁ。
中国を範とする国づくりから、西洋へ大転換するなかで、
民法の考え方の吸収、そしてどこの国を範とするかが、西
洋列国を訪ね(遣唐使の西洋版だね)、教わっていく。
よくわかってないけど、その間の状況をwikiから引用すると、
諸外国から不平等条約の改正の条件として、民法典の
制定を求められたため、早急にこれを制定する必要を
生じた。
明治新政府の初代司法卿である江藤新平が、箕作麟祥
に対して、フランス民法を「誤訳もまた妨げず、ただ
速訳せよ」と命じたのは、このような事情を背景とし
ている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/24/24b592b4e805e9b7e1d271bb92e9e8b1.jpg)
「仏蘭西法律書 民法」全16冊、明治4年)
急ぎだったろうけけど、明治民法が実際に制定されるのは
明治31年(1898)のこと。そう簡単にまとまったわけで
ない。
憲法だってなかったのだから。明治憲法が公布されたのが
明治22年(1889年)。憲法といい民法といいアジアで最初
に制定したのが日本だ。さすがというか、変わり身が早いと
いうか。
☆
フランスの民法をそのままもちこんでも、日本の実情にあわ
ないことが多々あり(家族の考え方ひとつとっても)、大幅
に修正・削除していく時間がかかった。
フランス民法だけでなく、ドイツ民法の影響も大きかった
とか。法律全般にいえるそうだけど、明治政府はフランス
やドイツの制定法を範としていく。
イギリスやアメリカなどでは判例を重ねていく判例法で、
制定法っていうのは生活・仕事のあらゆることを法で記
述するそうで、膨大な量だとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/fb/3c1ddaa14e95b6f6ecc61965bc5e0ff2.jpg)
分厚いフランス民法典 (1804年成立)
法律を制定することは政府の活動を制限することでもあ
ったし、教育界などからは日本古来の美風を害し、従来
の家族制度を無視するものとの批判もあったそうだから、
法律として記述すことは紆余曲折がたくさんあったんだ
ろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます