東北三陸地方には明治、昭和の大津波が
押し寄せた地点の記念碑がいっぱいあるそうだ、
って仕事仲間から教えてもらう。
大津波の記念碑は200をこえて
点在するそうだ。
岩手県宮古市の大津波記念碑が
石に刻まれた銘文が話題になっている。

高き住居は児孫に和楽、
想へ惨禍の大津浪、
此処より下に 家を建てるな。
明治二十九年にも昭和八年にも
津波は此処まで来ては全滅し、
生存者僅かに 前に二人後ろに四人のみ
幾歳 経るとも要心あれ。
この石碑の下に立ち並んだ
家々は今回の大津波でまた全滅。
失敗学会ってユニークなNPOの
会長でもある畑村洋太郎教授が
2006年のNHKの番組で答えている、
なぜ大津波の被害が忘れられるかを;
"TSUNAMI" 失敗は伝わらない
明治三陸地震津波は
1896年(明治29年) 6月15日
犠牲者22,000人で
明治以降では関東大震災に
次ぐ大惨事だったらしい。

釜石のお寺に集められた犠牲者の遺体
☆
岩手の大船渡市も高さ15メートルを超す
津波にのまれ、港町は一面がれきの街。
いっぽう明治の津波を契機に「高所移転」を
先人が決意したおかげで津波の被害に
合わなかった集落があったそうだ。

高所移転した集落の木村さん
先人の決断が明暗を分けた。
以下、こちらからの抜粋。
復興の方向性が詰まっている。
各処の防波堤は少しは機能したのだろうか?
今度こそ高所移転が実現して欲しいなぁ。
押し寄せた地点の記念碑がいっぱいあるそうだ、
って仕事仲間から教えてもらう。
大津波の記念碑は200をこえて
点在するそうだ。
岩手県宮古市の大津波記念碑が
石に刻まれた銘文が話題になっている。

高き住居は児孫に和楽、
想へ惨禍の大津浪、
此処より下に 家を建てるな。
明治二十九年にも昭和八年にも
津波は此処まで来ては全滅し、
生存者僅かに 前に二人後ろに四人のみ
幾歳 経るとも要心あれ。
この石碑の下に立ち並んだ
家々は今回の大津波でまた全滅。
失敗学会ってユニークなNPOの
会長でもある畑村洋太郎教授が
2006年のNHKの番組で答えている、
なぜ大津波の被害が忘れられるかを;
"TSUNAMI" 失敗は伝わらない
明治三陸地震津波は
1896年(明治29年) 6月15日
犠牲者22,000人で
明治以降では関東大震災に
次ぐ大惨事だったらしい。

釜石のお寺に集められた犠牲者の遺体
☆
岩手の大船渡市も高さ15メートルを超す
津波にのまれ、港町は一面がれきの街。
いっぽう明治の津波を契機に「高所移転」を
先人が決意したおかげで津波の被害に
合わなかった集落があったそうだ。

高所移転した集落の木村さん
先人の決断が明暗を分けた。
以下、こちらからの抜粋。
漁師が先祖代々の土地を離れるのは、
かなりの覚悟が必要だったに違いない。
復興に際し、「また必ず大津波が来る」と
確信していた当時の村長らが、高台への
集落移転を強く推進した。
行政も、住民の説得、移転先の道路や
水道管の整備に大苦労したという。
「本当にありがたいことだよ」。
泥の海と化したよその集落の惨状を思い浮かべながら、
柏崎美智子さんがつぶやいた。
元消防署員だった木村さんは言う。
「何十億円も掛けて大きな防波堤を造るより、
もし小さな集落で土地さえあれば、孫子のために
少しずつでも高い土地に移転していった方がいいさ」
かなりの覚悟が必要だったに違いない。
復興に際し、「また必ず大津波が来る」と
確信していた当時の村長らが、高台への
集落移転を強く推進した。
行政も、住民の説得、移転先の道路や
水道管の整備に大苦労したという。
「本当にありがたいことだよ」。
泥の海と化したよその集落の惨状を思い浮かべながら、
柏崎美智子さんがつぶやいた。
元消防署員だった木村さんは言う。
「何十億円も掛けて大きな防波堤を造るより、
もし小さな集落で土地さえあれば、孫子のために
少しずつでも高い土地に移転していった方がいいさ」
復興の方向性が詰まっている。
各処の防波堤は少しは機能したのだろうか?
今度こそ高所移転が実現して欲しいなぁ。
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