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ねがうこと、ゆだねること

生誕100年松本竣介展

2013-01-05 | art
初絵画展は、世田谷美術館で開催されている画家・
松本竣介の回顧展。1/14まで。

人となり絵についての概要は公式サイトにまかせる
として、思ったことをまとめるね。

原画をまとまって見たのは初めてで、しかも
いろんな角度から編集したすばらしい展示会
だったから新年からついてる気がする。

巡回先が画家との縁が深い、岩手、宮城、神奈川、
島根、東京の公立美術館となり、9ヶ月間という
長い期間での開催に向けての大変さがまずあった
そうだ。

その上、準備期間中に311が起こり、宮城県美術館は
閉鎖・補修が必要となり、岩手県立美術館はその年の
企画展を全部中止したそうだ。



松本竣介は中学生の時、病気で聴力を失うことで、
画家という道に進むようになった。もしそうなって
なければ、兵隊として戦地に赴いただろし、何を
していたんだろう。

十四歳の時に聴覚を失い、この道に踏み迷ひ十五年の
迂路を経た今日、やうやく、絵画を愛し、それに生死を
託することの喜びを知り得た。
      1940年日動画廊での個展に際しての挨拶文から

絵を描くコトへの誠実さ、真摯さが胸をうつ。音を失った
ことで彼が感じた世界はどんな感じだったんだろう。絵は
静寂で濃密だ。



兵役が免除になるが、友人知人が戦争に駆り出されるから、
家族は松江に疎開させるけど、大空襲の東京にあえてとどまる。

戦争のさなか、軍部による戦争昂揚作品を描くことの
強要を、それは無理だと『みづえ』に発表する。画家は
自分の身体から生まれたものしか描けないと。



戦争反対者ではなく、敗戦当時も息子さんに「大キクナッテ、
アメリカニカッテクレ」という手紙を送っているが、
特高の尾行がしばらくついたそうだ。

戦時下の東京、横浜を歩き回って風景画を描く。生涯の作品
数は少ないんだけど、1940年~43年の4年間は、これまでに
見られない量の絵を描く。



会場でその時分の絵があまりに多いので驚く。戦地に赴いた
人達の分まで絵に打ち込もうとしたかのように、1948年に
亡くなることを知ったかのように。



下落合の家が奇跡的に戦火を免れることによって、
彼の絵、スケッチ、出版物(夫婦で月刊誌を14号まで
だしていた)、書簡など残ることになったので、彼の
再評価に繋がることになる。

すばらしいカタログ(これが2300円でとてもお得)は
そういったものも網羅され、書簡等も活字で起こしてある。
ゆっくり読んでいきたい。