初絵画展は、世田谷美術館で開催されている画家・
松本竣介の回顧展。1/14まで。
人となり絵についての概要は公式サイトにまかせる
として、思ったことをまとめるね。
原画をまとまって見たのは初めてで、しかも
いろんな角度から編集したすばらしい展示会
だったから新年からついてる気がする。
巡回先が画家との縁が深い、岩手、宮城、神奈川、
島根、東京の公立美術館となり、9ヶ月間という
長い期間での開催に向けての大変さがまずあった
そうだ。
その上、準備期間中に311が起こり、宮城県美術館は
閉鎖・補修が必要となり、岩手県立美術館はその年の
企画展を全部中止したそうだ。
☆
松本竣介は中学生の時、病気で聴力を失うことで、
画家という道に進むようになった。もしそうなって
なければ、兵隊として戦地に赴いただろし、何を
していたんだろう。
絵を描くコトへの誠実さ、真摯さが胸をうつ。音を失った
ことで彼が感じた世界はどんな感じだったんだろう。絵は
静寂で濃密だ。
兵役が免除になるが、友人知人が戦争に駆り出されるから、
家族は松江に疎開させるけど、大空襲の東京にあえてとどまる。
戦争のさなか、軍部による戦争昂揚作品を描くことの
強要を、それは無理だと『みづえ』に発表する。画家は
自分の身体から生まれたものしか描けないと。
戦争反対者ではなく、敗戦当時も息子さんに「大キクナッテ、
アメリカニカッテクレ」という手紙を送っているが、
特高の尾行がしばらくついたそうだ。
戦時下の東京、横浜を歩き回って風景画を描く。生涯の作品
数は少ないんだけど、1940年~43年の4年間は、これまでに
見られない量の絵を描く。
会場でその時分の絵があまりに多いので驚く。戦地に赴いた
人達の分まで絵に打ち込もうとしたかのように、1948年に
亡くなることを知ったかのように。
☆
下落合の家が奇跡的に戦火を免れることによって、
彼の絵、スケッチ、出版物(夫婦で月刊誌を14号まで
だしていた)、書簡など残ることになったので、彼の
再評価に繋がることになる。
すばらしいカタログ(これが2300円でとてもお得)は
そういったものも網羅され、書簡等も活字で起こしてある。
ゆっくり読んでいきたい。
松本竣介の回顧展。1/14まで。
人となり絵についての概要は公式サイトにまかせる
として、思ったことをまとめるね。
原画をまとまって見たのは初めてで、しかも
いろんな角度から編集したすばらしい展示会
だったから新年からついてる気がする。
巡回先が画家との縁が深い、岩手、宮城、神奈川、
島根、東京の公立美術館となり、9ヶ月間という
長い期間での開催に向けての大変さがまずあった
そうだ。
その上、準備期間中に311が起こり、宮城県美術館は
閉鎖・補修が必要となり、岩手県立美術館はその年の
企画展を全部中止したそうだ。
☆
松本竣介は中学生の時、病気で聴力を失うことで、
画家という道に進むようになった。もしそうなって
なければ、兵隊として戦地に赴いただろし、何を
していたんだろう。
十四歳の時に聴覚を失い、この道に踏み迷ひ十五年の
迂路を経た今日、やうやく、絵画を愛し、それに生死を
託することの喜びを知り得た。
1940年日動画廊での個展に際しての挨拶文から迂路を経た今日、やうやく、絵画を愛し、それに生死を
託することの喜びを知り得た。
絵を描くコトへの誠実さ、真摯さが胸をうつ。音を失った
ことで彼が感じた世界はどんな感じだったんだろう。絵は
静寂で濃密だ。
兵役が免除になるが、友人知人が戦争に駆り出されるから、
家族は松江に疎開させるけど、大空襲の東京にあえてとどまる。
戦争のさなか、軍部による戦争昂揚作品を描くことの
強要を、それは無理だと『みづえ』に発表する。画家は
自分の身体から生まれたものしか描けないと。
戦争反対者ではなく、敗戦当時も息子さんに「大キクナッテ、
アメリカニカッテクレ」という手紙を送っているが、
特高の尾行がしばらくついたそうだ。
戦時下の東京、横浜を歩き回って風景画を描く。生涯の作品
数は少ないんだけど、1940年~43年の4年間は、これまでに
見られない量の絵を描く。
会場でその時分の絵があまりに多いので驚く。戦地に赴いた
人達の分まで絵に打ち込もうとしたかのように、1948年に
亡くなることを知ったかのように。
☆
下落合の家が奇跡的に戦火を免れることによって、
彼の絵、スケッチ、出版物(夫婦で月刊誌を14号まで
だしていた)、書簡など残ることになったので、彼の
再評価に繋がることになる。
すばらしいカタログ(これが2300円でとてもお得)は
そういったものも網羅され、書簡等も活字で起こしてある。
ゆっくり読んでいきたい。
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