・混交林での地がきでは、shelterwoodとclear-cutの比較というのが一つのテーマだったようだ。アラスカで地がきから27年後の更新状況を調べた論文は、今回の地がき論文の一つのたたき台になりそう。White spruceはエゾマツと同様、施業林では天然更新が難しいらしい。アラスカでは、ササではなくMossが更新阻害要因のようだが、エゾマツと同様に、鉱物層を剥き出しにすると更新がよくなるということで地がきが行われている。
・この論文では、27年までの更新密度と成長経過が調べられており、現在執筆中の論文と実によく似ている。違うところは、Wurtz and Zasada (2001)の論文ではshelterwoodとclear-cutの比較という施業方法の検討を行うのが主目的なのに対し、当方の論文では標高と地形の違いが更新に及ぼす影響を調べるのが主目的になっている(として位置づけようとしている)ところである。彼らのイントロでは、White spruceの更新問題からそれを解決するための一手法として地がきが位置づけられている。もちろん、エゾマツをメインにして、同じようなイントロの書き方はあり得るわけだけど、今回はそのようにはしないつもり・・・。
・更新した樹木種としては、トウヒ類(White spruce), カンバ類(paper birch), ポプラ類(balsam poplar, aspen), ヤナギ類(willow spp), ハンノキ類(green alder)となっている。27年後でWhite spruceはha当たり12万本も更新している。これはかなり高密度で、地がき大成功!というところであろうが、地がきした年が例年になく大豊作だったらしく、また初年度の気候条件がマイルドだったということで、幸運が重なっての結果ということを筆者らも述べている。
・更新主要種のspruce以外はパルプ用であろうから、そういう意味では、北海道の方がはるかに建築材になりうる樹木種(主要6種は、エゾマツ、トドマツ、ダケカンバ、ウダイカンバ、イタヤカエデ、ハリギリ)が更新しているといえる。Wurtz and Zasada (2001)はかなり記載的な論文で、データ解析としては、27年後の結果のみ分散分析で地がきの効果、施業方法(shleterwood vs clear-cut)の比較を行っているくらいで、非常にプリミティブな印象を受ける。
・博多の友人から送ってもらった”鉄なべ餃子”を頂く。昔の職場近くにあったのだが、小さめでとても美味しい。昨日もなぜか博多ラーメン(インスタント)を頂いたが、我が家のソールフードとでもいうべきか、いずれも郷愁の味である。
・この論文では、27年までの更新密度と成長経過が調べられており、現在執筆中の論文と実によく似ている。違うところは、Wurtz and Zasada (2001)の論文ではshelterwoodとclear-cutの比較という施業方法の検討を行うのが主目的なのに対し、当方の論文では標高と地形の違いが更新に及ぼす影響を調べるのが主目的になっている(として位置づけようとしている)ところである。彼らのイントロでは、White spruceの更新問題からそれを解決するための一手法として地がきが位置づけられている。もちろん、エゾマツをメインにして、同じようなイントロの書き方はあり得るわけだけど、今回はそのようにはしないつもり・・・。
・更新した樹木種としては、トウヒ類(White spruce), カンバ類(paper birch), ポプラ類(balsam poplar, aspen), ヤナギ類(willow spp), ハンノキ類(green alder)となっている。27年後でWhite spruceはha当たり12万本も更新している。これはかなり高密度で、地がき大成功!というところであろうが、地がきした年が例年になく大豊作だったらしく、また初年度の気候条件がマイルドだったということで、幸運が重なっての結果ということを筆者らも述べている。
・更新主要種のspruce以外はパルプ用であろうから、そういう意味では、北海道の方がはるかに建築材になりうる樹木種(主要6種は、エゾマツ、トドマツ、ダケカンバ、ウダイカンバ、イタヤカエデ、ハリギリ)が更新しているといえる。Wurtz and Zasada (2001)はかなり記載的な論文で、データ解析としては、27年後の結果のみ分散分析で地がきの効果、施業方法(shleterwood vs clear-cut)の比較を行っているくらいで、非常にプリミティブな印象を受ける。
・博多の友人から送ってもらった”鉄なべ餃子”を頂く。昔の職場近くにあったのだが、小さめでとても美味しい。昨日もなぜか博多ラーメン(インスタント)を頂いたが、我が家のソールフードとでもいうべきか、いずれも郷愁の味である。