・全学自由研究ゼミの講義準備。机の上には10冊ほどの本が山積みされており、開いては閉じるということの繰り返し。明日に迫っているので、そろそろスライドを固めたいのだが、なかなか・・・。しかし、いくつかの本を読み解くうちに、縄文から現代にかけての森林文化の移り変わりが何となく分かってきた。

(ドングリと文明/ウィリアム・ブライアント・ローガンより)
・ウィリアム・ブライアント・ローガンの「ドングリと文明」という本には、かつてはナラ(ドングリ)に依存した文明が各地で発展したという説が述べられている(ちなみに、この本の”ドングリ食”に関する記述は実にイイ)。面白いのは日本の雑木林に近いシステムであるCoppice(萌芽)林というのがヨーロッパでもあった(現在も細々と残っている)ことだ。
・縄文文化に着目しつつ、なぜ日本にこれほどまでに森林が残ったかという安田喜憲の「森の日本文化」と読み比べる。安田が指摘しているのは大きく分けて2つで、1つは西洋と日本の自然観の違い(日本:自然・森との共生、循環型社会)、もう1つは西洋において森林再生を妨げた家畜の存在ということになりそうだ。しかし、このような森林史は奥深く、勉強すればするほど知らないことが多いことに気づかされる(うー、間に合うのか・・・)。

(ドングリと文明/ウィリアム・ブライアント・ローガンより)
・ウィリアム・ブライアント・ローガンの「ドングリと文明」という本には、かつてはナラ(ドングリ)に依存した文明が各地で発展したという説が述べられている(ちなみに、この本の”ドングリ食”に関する記述は実にイイ)。面白いのは日本の雑木林に近いシステムであるCoppice(萌芽)林というのがヨーロッパでもあった(現在も細々と残っている)ことだ。
・縄文文化に着目しつつ、なぜ日本にこれほどまでに森林が残ったかという安田喜憲の「森の日本文化」と読み比べる。安田が指摘しているのは大きく分けて2つで、1つは西洋と日本の自然観の違い(日本:自然・森との共生、循環型社会)、もう1つは西洋において森林再生を妨げた家畜の存在ということになりそうだ。しかし、このような森林史は奥深く、勉強すればするほど知らないことが多いことに気づかされる(うー、間に合うのか・・・)。